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「ホンのひととき 終わらない読書」 中江有里

「わたしの趣味は読書です。単に趣味というより生きがいかもしれません。」



「ホンのひととき  終わらない読書」 中江有里



テレビのコメンテーターでおなじみの中江有里さん。


紹介のテロップで本が好きなんだと知り、この本を購入しました。


今まで書評というものをあまり書籍で読んだことがなかったので、どんなものなんだろうと思い、読みはじめました。


中江さんが本好き・読書家だとわかるエッセイや、仕事が終わってからの読書、仕事に向かう道中の読書、旅のお供に連れて行く本、それらの書評と感想が盛りだくさんでした。


中江さんの日頃の生活や、お仕事のお話しから本につながり、するどい視点で本の解説をしてくれています。


読んだことのない本ばかりでしたが、読んでみたくなる本がたくさんありました。


中江さんの書かれている文章は、とても芸術的で上品な文体ですので、読んでいて心地良く、優しい気持ちになります。


書評というものが中江さんのフィルターを通り、まったく別の読み物になっているんです。


それは


中江さんの普段の生活や仕事で感じたことから、やさしい語りがはじまり、そこから「解説する本」につながってゆき、その本の面白さ、深さ、心の揺れが表現されています。


このあたり絶妙で、中江さんの気持ちの引力に引っ張られ、本の世界に入り込めるのです。


そして


そのまま1つの「本の紹介」を読み終えると、とてもさわやかな気持ちになりました。これは中江さんにしかできない書評なんだと思いました。


本の面白さについて、中江さんはこのように語っています。


つまり本の面白さとは、自分のアンテナでキャッチするものなのです。そのためには、自分の感受性を磨き、自分が何を面白いかと思うかを知ること。

本の食指を動かすのは、本そのものではなく、あなたの好奇心です。


書評って本を紹介するだけでなく、書いているご本人さんの意思の入った、新しいエッセイ・読み物として成立するんだなと思いました。


その中から、この先読んでみたい本がありました。


二〇一〇年に亡くなった作家・佐野洋子さんは、がんに罹患されてから、死を前にしたエッセイを執筆した『死ぬ気まんまん』(光文社)、素晴らしすぎるタイトル。

六十八歳でがんが再発し、余命二年を宣告された佐野さんは記す。

(中略)

わたしにとって、死はまだ遠い。何の保障もないのに「明日はたぶん来る」と思っている。

しかし死が遠いなんてことは単なる思い込み、希望的観測だ。東日本大震災でどれだけの人が亡くなったか、考えれば自明である。

生まれれば死ぬことはわかっているのに、自分の最終地点をしっかり見つめることは難しい。はっきりと言えば怖い。

佐野さんは言う。「その時にならないと、わからないのだ」

そっか、いくら怯えたってどうしようもないな。その時にならないとわからないのだから。

この本は闘病記ではない。惜しまず、振り向かず、人生を生ききった佐野さんの記録であり、記憶。

佐野さんに会いたかった。だけど会うと怖そうだ。でももう会えない。仕方がない。もっとたくさん佐野さんの本を読もう。



【出典】

「ホンのひととき 終わらない読書」 中江有里 PHP研究所


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