「軍師二人」 司馬遼太郎
「古来、城というもの、多くは外敵で陥ちず、内紛でほろぶものでござる。」
「軍師二人」 司馬遼太郎
時は戦国時代の終わり、この時代にも現場を知らない上層部の幻想が、会社を倒産に追い込んでゆくが如くの歴史物語がありました。
このお話は、大坂夏の陣。
前年の大坂冬の陣の講和で徳川家康にだまされ、大坂城の濠は埋められてしまいました。
まさに防御力が半減した裸城のような大坂城。
淀殿(豊臣秀吉の側室)と、そのとりまきの豊臣の行政家たちは、古今無双だった大坂城に幻想を抱いていました。
もはや裸城のような大坂城に。
豊臣の行政家たちは、城内で威福を張っている女官の子か、その血縁にあたる者で、「譜代」という権威を城内で持っていました。
なので
豊臣家の牢人募集により、大坂城に入ってきたこの物語の主人公、後藤又兵衛、真田幸村たち「牢人大将」を見下していたのです。戦場という現場を知り尽くした職人たちを。
野戦の天才・後藤又兵衛は、軍議でこう言います。
豊臣秀頼は、豊臣秀吉と淀君の子どもで秀吉の世継ぎでしたが、淀君の盲愛により戦場に出るのはおろか、すべてにおいて侍女の世話になり、風呂で自分の手足も拭けない有様。
淀君は、言います。
軍議でも、譜代衆と牢人衆との意見が分かれました。
譜代衆は、籠城論。
牢人衆は、城外決戦論。
もはや、裸城になってしまっているこの城に籠もって、どうやって勝てるというのでしょうか?
また
総大将の出ない戦(いくさ)に兵士の士気がどうやって上がるのでしょか?
又兵衛の小松山決戦の案は、見事に当たります。
ここに大軍を集中していれば
もしかすると!
しかし
又兵衛の頼みであった真田幸村の後詰(ごづめ)1万2千は、霧のため遅延。
又兵衛はそう思います。
又兵衛は、わずか三十騎の旗本とともに山を駆け降り、銃弾に胸板を射ぬかれました。
僕はこの歴史物語を読んで、今の組織のことを思い浮かべました。
組織の中が腐ってしまえば、滅びるのは時間の問題。
まさに
【出典】
「軍師二人」 司馬遼太郎 講談社
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