映画評 私ときどきレッサーパンダ🇺🇸
『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』など数々のヒット作を生み出してきたピクサー・アニメーション・スタジオによる長編アニメ。第95回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートを果たす。
13歳の少女メイが過保護の母親ミンからの期待と思春期の混乱の間で悩み、感情がコントロールできなくなる。ある日メイは、興奮するとレッサーパンダに変身する体になってしまった。
「興奮するとレッサーパンダになる」設定は、思春期のメタファーとして機能する。感情をコントロールできなくなった人の姿は醜いように、人間からレッサーパンダに変身してしまう事実は自他共にフリークスであることを認識することになる。美しいとされる見た目に憧れ、人の視線を気にせざる得ない思春期の子供にとっては辛くのしかかる。
また、赤面を意味する原題『turning red』の通り、人が興奮すると赤面するように、本作では抑えきれない怒りや過度に抱え込む羞恥にフォーカスを当てている。感情をコントロールしきれない思春期の比喩を強めるためだろう。であるからこそ、主人公メイには感情移入しやすくなる。ちなみに、レッサーパンダは英語圏で「Red Panda」と呼ばれているのは偶然ではない。
レッサーパンダの比喩や赤色の使い方、思春期の苦い思い出を思い起こさせるいい意味で居心地が悪い展開など楽しい映画ではあったが、終盤に差し掛かると真の意味で居心地が悪くなった。
オチとしてはメイはレッサーパンダを封印せず自分らしさの一貫として残し、さらにはいつ何時でも出せる、つまりは感情をコントロールできるようになったことを示唆させる。そもそも論、感情をコントロールできる人は大人でもいない。思春期ほどではないにせよ、感情に任せて行動してしまう大人がどれだけいることか。
そしてメイの母親がレッサーパンダになって街が暴れる終盤のシーンがあるのだが、街の人にとってレッサーパンダはいつ何時命が奪われるかもしれない諸悪の根源だ。メイが変身しよう者なら通報されるのがオチ。真の意味フリークスのレッテルを貼られることになる。思春期の子供にとっては「自分らしさ」でも跳ね返せない辛く耐え難いものではないだろうか。
母親がレッサーパンダになって街を破壊した後のオチは親子の絆の再構築というウェットかつ自己中心的なもの。身内以外はどうなっても良いという『マイ・エレメント』における多様性と称しておきながら都合のいい人たちしか映さないオチと通づるものがある。