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さいさんの地方創生 note【探究学習ブームの中で②「制限のない未来は描けない子どもたちのリアル」】

この日本ではこうした正解のない世界や未知、未踏の領域でロールモデルとして実践者である大人の数が圧倒的に足りていません

「傾聴が大事だ」といいながら周囲の参加者に傾聴することなくワンマンショーで話をしてしまう先生や「時代は変わる!」とか「イノベーション!」とか言っている大学教授達の大学では、未だに進路指導で「旧国営(NTTやJR各社等)が一番」とか「新卒は上場企業一択」みたいな進路指導がされていたりします。

とした前回がこちら。

そして予告通り今回からは「探究」の伴走者に必要な「学び」に具体フォーカスしていきたいと思います。

先日のオンラインでも、もう今すぐにでも高校生起業家になってしまいそうな高校生がいました。地方の高校生ですが、出発点から展開していく視点や組み合わせた地域リソース。それを現実化していく為のリサーチと数字をきちんと出していること。地域企業の巻き込みや将来性や世界市場における可能性も含めて、10代で【Fire】の状態になったり、連続起業家として始まるキャリアすら、容易に想像できる内容ともいえました。

そして、こうした状態はこの高校生が例外的な存在であったり、特別な才能を得ているから生まれているのではなく、前回も触れたように制限、制約を外すことによって、はじめて一定確率で生まれてくるものです。

例えば、日本でイノベーションが生まれない理由の一つに政府による「規制」が挙げられています。内閣府の資料でも【規制緩和をしたらGDPがさくっと上昇した(0.数%程度)】といった知見もありますが、それでも今尚1万を超える規制が稼働していて、さらにこれでもかと毎日のように生み出されているの。そんな「規制」の国に住む私達でもあるわけです。

その「規制」がこの国に新しい風が吹き込むことを阻んでいるというわけですが、政府が「良かれと思ってやっている」と答弁をするように、私たち自身も無意識に「規制」や「制限」を高校生達に同じように課そうとしてしまう。そんなことが多いわけです。

こうした現状を踏まえるなら、制限のない未来を描き、現実化するための一歩を踏み出すためにはどのようなサポートが必要になるか?

ここを紐解いていくことは不可欠です。

☆9年間の義務教育における負債

ごくごく一部の子供たちを除くと、私たちは小学校入学と同時に自らの夢や希望といった未来への視点を失っていき、ついには自分の性格や個性が本来はどのようなものであったかも忘れてしまうようになります。
 
学校の中で自らの意志で自由に発言するような機会はまず与えられませんが、その一方では間違いを生み出すためのテストが繰り返されます。
そして、一つでも間違えれば、他の大半が正解であっても間違った箇所を責め続けられる。そんなシーンが日常的です。

行動科学でも明らかになっていますが、叱る大人側はドーパミンが発生して実は「幸せ」であったりする一方で、叱られる子ども側は脳内で少なからぬダメージを受け、言語や聴覚、短期記憶や修正といった機能にマイナスとなる影響を受けます。だから同じミスを繰り返します。

こんなことを10年近く繰り返しやられてしまえば、誰しも高校生になった頃には、自己受容や幸福度、ましてや自分が社会的な影響力をもつなんて感じなくて当たり前とも言えるのではないでしょうか。

子ども時代に虐待を受けた者が親になると子どもに虐待を行うデータ分析もあり、自分の子どもに対して日常的に虐待する者がおよそ3分の1、普段問題はないがいざ精神的ストレスが高まった場合に自らの子ども時代と同様に今度は我が子に対して虐待する者が3分の1いると見積もられています。また同様に、よく責める教師のクラスが「暴力的」になりやすい(子供たちが無意識に悪いお手本を模倣する)といったデータもあって、昨今の不登校が毎年増加という状況は、子どもたちが生きるために選択している本能的選択ではないかとすら思うわけです。

こんな負のループする環境を、大人としていかに変えていくか。そして、これらの社会的背景を踏まえたうえで、どのように高校生達に関わっていくのか。これは、支援する大人達にとって不可欠なものといえます。

実際、以前にある高校の探究学習で受け持った時、初回前に先生から「さいさんのクラスは、課題のある子(成績が悪い)が多いです」と耳打ちされたことがあります。けれど、全回が終わってからのフィードバックで僕の方から

本当は大人側(先生サイド)の課題だったのではないですか?

と投げかけると「まさにそうでした。自分もやってみます」というリアクションを頂きました。僕の時間になるといそいそと教室を移動する姿や、そこでみせた発想や積極的な発言は、それまでに彼ら、彼女らが、学校で一度もみせたことがなかった姿だったそうです。
 
OECD等でよく指摘される日本の10代における「自己受容」や「自己肯定」等の欠如に関し、なぜか子供たち自身の課題とする大人サイド(学校、行政等)が少なからずいます。しかし、この態度(Attiude)や他責に始まる考え方(mind set)こそがまずNGと言えるでしょう。最初の選択として、自分達自身にこそ、その矢印を向けてみよう・ということです。

☆「制限のない未来は描けない」から始まる現実

さて、話を戻すしますとコーチング界隈。あるいはスタンフォード式等で知られるのが「制限のない未来」というパワーワードです。

先のような事例を目の当たりにしたり、本を読んだり、ちょっとコーチングを学んでみた人は、普通にそこに書いてある通り、習った通り、相手に対して「制限のない未来」を描く要求をしてしまいます。そして、大なり小なりの失敗をします。

これは欧州でよく使われる「ライフチャート」等の転用でもそうですが、相手の状態や状況もわきまえずにこうした How to をそのままやってしまおうとする。その姿は、その人自身がまさに上下関係だからこそできる学校教育の悪しきループを辿ってしまっている証ともいえそうですね。
 
こうした【正解っぽい手法】をやれば結果が出るように考えているといつまでも【個別化】なんて出来ませんし、ましてや【本質】に辿り着くようなこともない・わけです。

とだいぶ、長くなりましたね。
ここで次回に続きます!


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