日々の雑感 day81【 全国高校生マイプロジェクト・長野summit 2024】
今年も探求学習の祭典。全国高校生マイプロジェクト・長野 summit のファイナルにファシリテーターとして入らせて頂きました。オンラインに急展開したこの3年間すら経験と可能性に変えて、人々は前に進んでいきます。多忙なスケジュールの合間を縫って、挨拶だけでもと僅か10分程度の滞在で県知事もかけつけ、会場の高校生達の顔を見つめていかれていましたね。
☆本質に近づいていく
上記リンク。2021年の時に僕はこのように書いています。
☆
僕はよく思うんです。
もし、学校に心理的安全性がもたらされて、彼ら、彼女らが summit に純粋でそのままな自分を持ってきてくれたらと。
そしてそんな時、もし自分が彼ら、彼女らがその奥に隠し持っているもう一段階先のギアを引き出すことが出来たら、そこにどんな風景が広がっているのかと。
なので、学校や子供達に関わる人に願うのです。
主役である子供達を信頼してほしいと。
彼ら、彼女らに主役の座を受け渡してほしいと。
上から義務として教えるのではなく、同じ位置から同じものを見て、彼らが主体的に進む力になってほしいと。
☆
この数年の間、長野の高校生達は着実な歩みを見せて、昨年は全国大会で【ロールモデル賞】を受賞するという活躍もありました。そしてそのロールモデルから共に学んだ同じ地域の高校生達が、今年、県知事賞の一角を担い、全国大会へと進んでいくことにもなりました。
一歩一歩ですが、一段階先のギアまでたどり着く高校生が増えてきているように感じます。単なる調べ学習ではないディープラーニング。自分自身とつながっていける高校生達の体験と経験の場になってきていることは、地域の、この国の未来にとって少なからぬ可能性を切り開いているとも言えるのではないでしょうか。
もちろん、その環境を整えてくれて、心理的安全性の中で彼らが「自分らしさ」を十分に発揮できる状態をつくってくれた周囲の大人の方々にも感謝の念をお伝えしたいと思います。
☆学んだこと
もう10年以上。毎年のことではありますが、こうした10代の姿を見ては、
「ロールモデルたれ」
という自分の心の声が聞こえてきます。真綿のように吸収し、急速に成長していく彼らにとって、少しでも長い時間、背中を見せられる存在でありたいと思います。そして、その想いが情熱となって、少しずつでも学びの歩みを積み重ねていければと思うわけです。
僕自身が寄り道、回り道。あるいは悪い見本のような大人によって無駄にさせられてしまった時間が、彼らには生じないようにも祈っています。
僕がこの50代になった今あるものをより早く手に入れる。30代、あるいは20代で彼ら、彼女らがここに到達できるなら、その先にある未知の領域を彼ら、彼女らは開拓していく機会にもなるでしょう。
きっと、それが進化の本質であり、伝統と呼ばれる言葉本来の姿でもあると言えます。僕の尊敬する歴史上の人物でもある*秋山好古校長先生の言葉には「我が屍を超えていけ」という一文もありますが、まさにそこだなと。
そして秋山校長と同じように、超えられたとしても一杯のお茶を出して、話し相手になれるような人物でもありたいと思います。
Well-Being が当たり前の社会と日常。そんな日は意外とすぐそこまで来ているのかもしれない。そう思える一日となりました。
*秋山好古・1924年~1930年に郷里の愛媛県松山市で私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)の校長を務めた。学校の教師になるのが夢であり、その職を得たかに見えたが、弟の学費と生活費をねん出する為に陸軍に入り、士官となる。日清、日露戦争では最前線に立ち、日露戦争では秋山隊を率い、世界最強と呼ばれたコサック騎兵と真っ向から渡り合った。歴史的な戦勝の立役者とも呼ばれている。戦後は陸軍大将、教育総監に。
陸軍を退き、校長となると生徒や親から「戦争の事を話してほしい」とか「軍服姿を見たい」と頼まれるも「今は中学の校長である」と全て断り、また「生徒は兵士ではない」と学校における軍事教練を極力減らす。当時珍しい海外への修学旅行を自費で実施させる等、その見識、知見の秀逸さは傑出していた。
「個人の確立(自立)による社会の確立(自立)」「個人の生活安定による個人の確立」「個人の生活安定のための個性(適性)を見出し育成する」といった今の令和に行われている考え方を実践。実学を重視し、生徒個人の人格形成、そのための個性・適性を見出して育てること、そのためのに生徒が落ちついて学ぶことができる環境を整えることに徹した。時代の先駆けでもあった根っからの教育者だった。
ありがとうございます。頂きましたサポートは、この地域の10代、20代への未来投資をしていく一助として使わせて頂きます。良かったら、この街にもいつか遊びに来てください。