【独裁者の心理パターン①・彼らを生み出す「使命と責任」とは】日々の雑感 day67
他に宿題が多くて手放していた note を久々に。今の日本らしく「無責任」に飛び交うプーチン論。特にいじめっこをかばう様に、いじめっこにも理由があるレベルの展開を見て、ファクトフルネスにおける【分断、ネガティヴ、直線、恐怖、過大視、パターン化、宿命、単純化、犯人捜し、焦り】といった様々なバイアスにまさにはまっているなぁと見ます。
自身としても気をつけつつ、FACTベースで考えていきたいと思います。
☆「責任量保存の法則」
さて、結論から行きましょう。
この「責任量保存の法則」には二つのパターンがあり、
静的保存:誰かが責任を多く持つと、他の人々は責任を持たなくなる。
動的保存:責任を過剰に持つ人は、いずれ全てを投げ出し責任過少になる。
というものです。歴史的に見ても独裁者には巨大な責任感や使命感があり、困難な状況下にあって進んで「責任」を引き受けていきます。
例えば、名作「銀河英雄伝説」でユリアン・ミンツが家族であり、師でもあるヤン・ウェンリーとこんな対話を交わしています。
ヤン「不動の信念などというしろものの方が、往々ににして他人や社会に害を与える事の方が多い」
ユリアン「信念という言葉がお嫌いなんですか?」
ヤン「必勝の信念とか特に嫌いかな」(信念なんて願望の強力なものに過ぎなくて、なんら客観的な根拠をもつものじゃない。だいたいそんなものが強まれば強まるほど、視野が狭くなり、正確な洞察や判断が不可能になる)
ユリアン「それが閣下の信念なんですね!」
責任の所在について、私達の認知は極端となる傾向にあります。この為、能力を超えた責任を果たそうとすると燃え尽きてしまうし、能力未満の責任しか与えられないと成長の機会を失ってしまいやすくなります。
ヤンはユリアンに独裁者を生むのは「みんなが楽をしようとしたからだ」とも表現していますが、一人の英雄に責任をすべて渡してしまい、責任を負うべきポジションの人々が無責任な社会を構築すれば、英雄の視野はどんどん狭くなっていき、ほどなくして英雄がその責任を投げだした時、英雄の抜け殻には「膨大な権力」だけが残ってしまい、誰も手が付けられなくなってしまう・・というわけです。
これは今回のプーチンに限らず、私達の国でも至る所で起こっている事です。例えば、このエビデンスからも僕は行政組織「無責任」ありきという文化には、この国が停滞した大きな要因があると考えています。
政治が責任を取るから、公務員には責任はないという【働き方】そのものが、政治家を小さなプーチンに育ててしまい、そして公務員(やそれに準ずる方々)自身は成長せず、いつも失敗を避け、変化を怖れ、新しいことをしようとしないし、この国の新しい可能性に対し「規制」という権力を使って妨害する。
そして数年後、10年後にその規制や妨害がどれだけやってはいけないことだったかが白日のもとになり、今更のように「なぜ日本に Google が生まれなかったか」等と他人事のように「課題」と言い張る。そんなことが枚挙繰り返されてきました。
これは大企業病にも言える事ですが、集団が全体として持続的に成長するためには、メンバーの能力と責任をマッチングさせることが欠かせないということです。
そして、それを上手に実行する為には、対話から分析、判断、実行を実現出来る、失敗を怖れないリーダーが不可欠・ということになります。
*参考