すぐそこにある《見える化》 (SS;3,000文字)
お、らっしゃい! 奥さん、今日は珍しく、坊ちゃんとご一緒ですかい? ユウタくん ── だったっけ、何年生? ほう、もう5年かい、こちとら、齢とるわけだ。
今日はトマトのいいのが入ってるよ。え、高い? ……勘弁してくださいよお、日本のトマトはほら、温室で作ってますからね、高あ~い石油食ってるようなもんですよ。
こっちも赤字続きなんスよ、ホント、誰かなんとかして欲しいですよ!
「おじさん、ホントになんとかして欲しい?」
え? ……そ、そりゃ、ホントだよう!
「ボクがなんとかしようか?」
ええ? ……そりゃ、なんとかしてくれるんならありがたいけど……。
ははは……、いや、このままじゃ、店たたまなくっちゃならねえってね、ウチのカカアとも話してるんでさあ!
で、奥さん、今日は何を? ……え、キャベツ買おうと思ったけど、駅前スーパーより高い? ……勘弁してくださいよお、ウチのキャベツは無農薬を仕入れてるんでさあ、スーパーとくらべられちゃあ……え、坊ちゃん、何ですかい?
「どうやら、経営の見直しが必要みたいですね。そのためにはまず、《現状把握》が必要です」
え? 現状? 把握って?
「経営合理化のためにまず、《労働時間の使い方》と《お金の出入り》、このふたつを《見える化》してみましょう」
え、みえみえ見える化? 何だい、それ?
「この店で働いているのはおじさんとおばさんの2人ですね。とりあえず、おじさんの労働時間とその中身を《見える化》しましょう」
── はあ?
「精度を高めるためには、少なくとも数か月分の業務内容を《見える化》した方がいいんですが、まずは昨日のおじさんの1日を分析してみましょう」
え、昨日かい? 朝はいつも5時に起きて5時半から中央市場だ。セリは7時から8時の間なんだが、その前に相対取引がある。その後、店に戻って荷を下ろし、陳列やら値決めやらして10時から店開きだあな。あとは夜7時の締めまで、ずうっと働きづめだ。あと、片付けして家に帰るのは8時かな。
── とにかく、大忙しだ。
「で、おじさん個人の労働時間は?」
え? どういうこったい?
「おばさんがひとりで店をきりもりしているのをよくみかけるもんだから。……きのう、おじさんが店に出てた時間は?」
そりゃあ、俺は朝早くから仕入れに行ってっからよ。帰った後、商品を店に並べた後は、しばらくかかあに任せてひと息入れてたな……。
「ひと息入れて店に戻った時間は?」
んーっと、4時ぐらいだったかな? ほれ、夕飯の支度で一番忙しい時間帯は店に出てるからな。
「午前10時から午後4時まで仕事はしていてなかった、ということですね?」
んーっと、昨日はそんな感じかな……たまたま昨日はな。
「昨日、何かあったんですね? え、どうしたんですか? ホントのことを言っていただかないと、真の《見える化》はできませんよ」
でもよ、……たまたま昨日はよ。
「たまたま昨日は……おそらくレースがあったんですね。場外馬券場ですか?」
うっ! ……な、なんで……。
「お母さんがこの店で春先に筍を買ってきたことがあるんだけど、新聞紙にくるまれてた。それが、東スポだったので」
……参ったな。でも、たまたま昨日は大きなレースがあったからなんでい。たまたま……。
「目的は《見える化》であって、咎めてるわけじゃないです。じゃ、午後4時から何時までお店に出ていたの?」
店を閉める7時までだい! これで、文句ねえだろ?
「その後は?」
その後はもう、いいじゃねえか! 仕事が終わってんだからよう! ……え? 言うの? 昨日はたまたま、商店街の寄り合いがあったんだよ……子供にゃわかんねえかもしれんが、付き合い、ってもんがあるからな。
「寄り合いは、どこで何時まであったんですか?」
え? そんなこと、ここの経営とは関係ねえだろ? ある? しょうがねえな……スナックだよ。え、どこかって? どこでもいいだろ? ダメ? ……そのあのその……居酒屋「酔いどれ」が1階に入っているビルの3階だよ。
「あそこの3階ならスナックじゃなくて、キャバクラ『キャンパス萌えルン♬』ですね。外国人のお姉さんがミニスカートの制服姿で接待してくれるお店ですよね?」
── なんで、子供がそんなことまで知ってるんだ!
「まあ、いいです。つまり、お店の片づけは奥さんに任せて、7時から……あの店は2時間単位制だから、9時までかな?……いて、その後は?」
その後は家に帰ったさ! いや、昨日は、たまたま寄り合いがあったんだ。それで11時に寝て、今朝はまた5時起きだい!
「おじさんの労働時間は、正味8時間ですか。残業無しのサラリーマンと同じですね」
いやな、何度も言うけどな、レースも寄り合いも、昨日はたまたま重なったんだ!
「いや、さっきも言ったけど、とがめてるわけじゃないから。今度は、お金の出入りの《見える化》です。昨日1日、仕入れに使ったお金と、売り上げを教えてください」
うーんと、大ざっぱでいいかい? 昨日は仕入れに3万2千円ぐらい、売り上げは6万3千円ってとこかな。
「なるほど、粗利益率は50%ぐらいですね。それに軽トラの減価償却、お店の賃貸料、光熱費やガソリン代など諸経費も入れなきゃいけないですが、この規模の個人商店としては平均的ですね」
── そ、そうかい?
「ところで昨日、場外馬券場でのお金の出入りはどうだったんですか?」
え? そんなことまで言うの? だって、そりゃ、儲かる日もありゃ、カラッキシの時もあらあな。昨日の分だけでいい? 正直に《見える化》?
……いいよ、いいよ、言うよ。昨日は連複ばかりで1レース当てたんだが、あとはダメ、……結局、1万3千円ぐらいのマイナスかな。さ、もういいだろ?
「キャバクラでの出費はどうですか?」
ええええ? ……勘弁してくださいよ。……言うよ、言いますよ。……1万8千円。いやね、俺についた娘がフルーツ頼んでいいかって、しつこくってさ。
「そうですか。昨日1日で単純に《見える化》したお金だけでも、プラマイゼロですね。これに諸経費を入れれば、間違いなく赤字です」
……はあ。なんだか疲れちまったな。いいよ、いいですよ。……わかっていますよ、俺だって、何が問題なのか ── 坊ちゃんに指摘されるまでもない。
「おじさん。企業の経営コンサルの仕事ってのは結局、『社内の誰もが前からわかっていることを指摘する』ことなんです。内部の人間、例えば奥さんに言われても直らないけれど、第三者が同じことを《見える化》したデータを添えて提示することで、ようやく改革が始まるんです」
……なるほど。
……奥さん、今日のお代は結構です。トマトとキャベツ、持ってってください。ユウタ君へのコンサル料です。
……その代わり、今の話 ── 特に使った金額ですがね ── ウチのかかあには黙っていてください。
え? ダメ? ……お願いしますよ。
「お母さん、コンサルの仕事はここまで、これ以上は介入しちゃだめ。あとは経営者の判断に委ねるんです」
あ、……ありがとうございます。
── え、奥さん、納得できない?
「いい、お母さん? 我々は神様じゃない。ビジネスに、妙な正義感は禁物です。出過ぎたコンサルに、次の仕事は来ない」
ま、まいど……。
<初出:2022年9月3日>