自分の興味関心の枠の外に、気を向けること。 非常に大切。 普段生活していて目にも触れないゾーンに、意識を向けないと、全く気にもかけずに時間が過ぎていく。 たとえば、流行ってる曲や映画など、ある程度そこに対して興味を向けないとダメだ。
頭の中が詰まっていて、思考のスペースが生まれていない。いつからだろう。こんなにも考えすぎている日々が続いているのは。 日々いろんなことが降り積もって、後のことも前のこともいろんな事を考えないといけない今。 考えに考えすぎて、もう脳の中に考えるスペースがないと言っても過言ではない。 元々考えることは好きだ。考えすぎてしまうことが悩みでもあるくらいだ。 でも考えて生きないくらいなら、死んだほうがマシだとも思う。考えずに日々思考停止で時間の流れのままに進むくらいなら、考えて考
自分は本当に自分の行きたい方向に向かって進んでいるのか、それを冷静に考える時間が必要だ。 たとえば本当は独立したいと思っているのに、いま取り組んでいることは独立への道に全く進んでいないときがある。 いま取り組んでいることがとりあえず落ち着いて、5年くらい経ったらそれを生かして自分の独立のために動き出す、という方法や考えのもとに進んでいる人がいるかもしれないが、5年後にスッパリ今のことをやめて、新しい方向に進める人なんてごく僅かだ。 大抵の人は、5年後も、とりあえずこれをやっ
今日は本当に悲しくてしんどい日です。 文章なんて書けるモチベーションはありません。 なので、下書きに取ってあった、はるか昔の尖った自分の文章を置いておきます。 start! 本当はこんな文章を書いてる場合ではない。明日からでもすぐに働かなくてはいけないんだ。働ける場所を探さないといけないんだ。 このクソッタレな世の中の中から、少しでも興味が湧くような仕事を見つけないといけないんだ。何かしら、右から左へ流す価値があるものを見つけないといけないんだ。 でも、何も、何も、そ
目が取れてしまったカバという話がある。 ある日、カバが川の中で目を無くしてしまって、アタフタと探し回っていた。 しかし、どれだけ探そうと目は見つからない。 周りの動物たちは、少し休みなとアドバイスするが、それでもカバは辞めず、躍起になって目を探す。 しかし結局どれだけ探しても目は見つからない。 とうとうカバは疲れ果てて、一回川から上がって少し休むことにした。 すると、今までカバが暴れ回って川の底の砂を掘ってしまったせいで濁っていた川が、みるみると澄んでいき、川底までしっ
人は何かの近くにいるとき、何かを持っているときは、そのありがたみに気づかない。その貴重な時間に気づかない。ろくに会話もせず、いつでも触れるスマホに気を取られて、その存在との時間を蔑ろにする。 身近な人が帰らぬ人になったり、友達ともう会えなくなったりしたとき、ああ、なんでもっと会っていれなかったんだろう、触れ合っていなかったんだろうと後悔する。 誰しも死ぬ時が来ることを知っていて、今あるこの時間は有限で、大切にしないといけないことをわかっているのに、ついつい他のことに気を取
人に迷惑をかけるな。そう言われて育つ社会だ。最近はそれが特に顕著だろう。集団の中からはみ出さないこと、溶け込むこと、個性を埋没させること、それが自然と出来る人は、割と楽に生きられるのかもしれない。 だが知らず知らずのうちに我慢していることも自分の中では分かっていなくてはいけない。そのために、1人になる時間が必要な時代になってきた。人と付き合うためには自分の個性や特徴を埋没させないといけないから、それを放出できる時間が必要なのだ。 ただ、それが我慢と思わない人もいるだろう。