誰かを失って気づく後悔


人は何かの近くにいるとき、何かを持っているときは、そのありがたみに気づかない。その貴重な時間に気づかない。ろくに会話もせず、いつでも触れるスマホに気を取られて、その存在との時間を蔑ろにする。

身近な人が帰らぬ人になったり、友達ともう会えなくなったりしたとき、ああ、なんでもっと会っていれなかったんだろう、触れ合っていなかったんだろうと後悔する。

誰しも死ぬ時が来ることを知っていて、今あるこの時間は有限で、大切にしないといけないことをわかっているのに、ついつい他のことに気を取られたり、大して重要でないことに時間を使ってしまう。

大切なことであればあるほど、そこに時間と体力と頭を使うことが出来なくなるのはなぜだろう。人間の性だろうか?
職場の人よりも、家族の方が大切に決まっている。それなのに、家族を大切にするために職場の付き合いをするというテイで、結果的に職場の付き合いの方が長く時間を使ったりする。

そしてそもそも、何が自分にとって最も大切なのかを考える時間すら持てていない。
一度立ち止まって、人生の中で本当に大切にすべき存在、時間、価値観を再考する時間すら持てずに、日々の喧騒と忙しさの中に、その大切なものが埋もれていく。

なんて虚しいのだろう。大して大切じゃないことのために時間を使うために生まれてきたわけではないはずだ。
日々の仕事も、何かしらの我慢も、結局は最も大切なこと、存在と一緒に時を過ごすためにあるはずだ。

大切なものを失ってから気づくのでは遅い。誰しもが何度も経験しているが、失ってからでは、元の時間は取り戻せないんだ。その時は、その時でしか経験できない。

失ってから流す涙を思い浮かべよう。そしてその涙を、幸福な涙にするために、大切なものと一緒に時間を過ごすアクションを今すぐに取ろう。

lior

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