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目が取れたカバ


目が取れてしまったカバという話がある。

ある日、カバが川の中で目を無くしてしまって、アタフタと探し回っていた。
しかし、どれだけ探そうと目は見つからない。
周りの動物たちは、少し休みなとアドバイスするが、それでもカバは辞めず、躍起になって目を探す。

しかし結局どれだけ探しても目は見つからない。
とうとうカバは疲れ果てて、一回川から上がって少し休むことにした。

すると、今までカバが暴れ回って川の底の砂を掘ってしまったせいで濁っていた川が、みるみると澄んでいき、川底までしっかりと見通せるような水に変わり、カバは自分の目を簡単に見つけることができた。

この話の教訓は、ずっと躍起になって走り続けていても、大切なものは見えてこないし、一回休むことで本当に大切にすべきものが見えてくることがある、ということだ。

容易に周りの人と比べ、周りの人の良い面だけが見えてくるSNSの発達によって、自分も走り続けなければいけない気がしてくる現代だが、一度立ち止まり、自分の方向性を考え直す時期も必要だ。

僕も、ある程度盲信して一つのことに打ち込む時期もあるが、結局その後に空白期間を作らないと、本当の意味で打ち込みたいことを見つけることができない。
そしてそうして納得して前に進まないと、結局自分の中で踏ん切りがついていないので、これでいいのかな?という疑心暗鬼のまま進むことになり、何も手につかないし、勢いをつけて取り組むことができない。

転職で言うと、転職活動は会社を辞める前にし、転職先が決まってから会社を辞めるべきとされている。
たしかにそれは正解だ。焦らないでいい転職先を見つけるという部分においては。
だがそれはきっと、本当の意味でやりたいことを再発見することを先延ばしにしている。

もし本当にやりたいことが、サラリーマンとして立身出世し、誰かのために働くことで安心しながら金を稼ぐことであれば、それがいいと思う。

だが、本当は独立したいとか、本当はYouTuberをやりたいとか、本当は本を書きたいとか、本当はやりたいことがあるのであれば、どこかに属して安心しながら考えることを先延ばしにせず、一回本当の意味で空白期間を作らないとダメだ。

なかなか怖いことだが、その期間に気づいたことは、自分を必ず豊かにしてくれる。
この世の中の空気感に抗って生きていきたいなら、その孤独に怖気付いてはいけない。
一瞬の空白期間の怖さを避けて、一生自分のやりがいに従って仕事ができる幸福を手に入れることはできない。

この文章を書いたのは、僕自身がこの自分の悪い癖に陥りつつあるからでもある。
ついつい安心を手に入れようとして、自分が本当にやりたいことを先延ばしにしている今は、お前が本当に望んでいる生き方か?

SEXを老後に取っておくような生き方をするな。
本当の心に従って生きるんだ。

lior

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