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『しろがねの葉』を読んで

今年度の直木賞を受賞した『しろがねの葉』を読んだ。



直木賞と芥川賞の違いについて、よく知らない方もいるだろう。公益社団法人日本文学振興会のホームページより引用。



Q. 芥川賞・直木賞の違いを教えて下さい。

A. 芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。





今回の作品は、長編小説にあたるのだろうか。

銀を掘り続ける男たちと、訳あってその集落に迷い込んだウメとの物語である。

主人公のウメは女性であり、その社会の中には男女それぞれに明確な役割があった。いわゆるバイアスである。

男の矜持、女の扱い、ジェンダーについて関心が高まっている現代においてこの分野は読者も読みやすいものであろう。

ウメは当初、女であることに抗うのだが、身体はやはり女性として成長していく。周りの目もウメを女として認識し始めた。

生理、強姦、妊娠、流産…。ウメにおそいかかる女の人生がウメを苦しめるが、ウメはそれに順応していく。いや、順応してしまう。



性の壁は越えられなかった。



私はそのように感じてしまった。しかし流石は直木賞。続きが気になって仕方がないのだ。



内容についてはこれ以上触れない。URLを入力しておくので興味のある方はぜひ購入してほしい。








最近、生活がかなり忙しかった。

私の読書時間は基本的に通勤時間だ。その通勤時間に読書ができなかったのである。

自分の中で処理できていない問題が、自分のキャパシティを越えてのしかかってきたからだ。不安や心配、考えすぎるとこの闇にはまってしまうのである。



この状態を、私は「余白がない」と呼んでいる。



世の中で仕事をしている者は、ほとんどが「余白」なんてないのではないだろうか。日中は仕事に明け暮れ、疲労感を蓄えて家に帰る。そして死んだように眠り朝を迎える。

そのような生活の中に、「余白」なんてものはあるわけがない。「余白」なき世界に「優しさ」は生まれないのである。



しかし、この「余白」を無理矢理作ることができる手段があるのだ。

それこそ、「文学に触れる」ことだ。



「文学」とはいわゆるフィクションであり、現実世界とは違うものだ。現実世界から背を向けるという意味だけではないが、「文学」の世界に入り込むことができればそれは「余白」になる。



「余白」のない者は、「HOW TO(手段)」を知りたがる。効率がいいからだ。



それは「余白」のない自分に「余白」を生む方法であって、読書をしないものよりよっぽどよい。しかし、「HOW TO」を身につけたところで、あなたには「余白」は生まれない。それは自分がよくわかっているはずだ。



「余白」のない者たちへ。「余白」を生むために読書をしよう。

特に「文学」に手をつけてみよう。



無理矢理にでも読んだ方がいい。「余白」こそが人生に幸せを生むチャンスなのだ。



「HOW TO」を得られなくても、自分の中に何も残らなくてもいい。まずは文学によって「余白」を生じさせてみてはいかがだろうか。

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