2024年10月15日。今日は十三夜(じゅうさんや)である。 十五夜に続き、月がきれいに照らされる日だ。 ふと十三夜を思い出し、ベランダから乗り出して月を見る。 月には兎が二羽、跳び回っていた。月に兎がいるなんて信じなかったが、本当に兎がいるような模様が月から浮かび上がっていた。 じっくり落ち着いて月を見たことがあっただろうか。夜空に煌々と輝いている異質な存在。それが月だ。太陽はどのような姿で空にいるのだろう。直視できない太陽の分まで、月を凝視する。 月は、穴だ。
スポーツの世界において、感覚派と論理派が存在していたと今振り返ると思う。 感覚派はどちらかというと天才肌のような印象で、論理派は頭で考えてそれを実行に移しているような印象だった。あくまでも学生時代の印象だ。 そして私は間違いなく後者になった。 感覚派の発言は、私にとって理解し難い。 感覚派の発言は、言語へと昇華する力が劣っているという部分も否めない。なぜなら論理的に説明する必要がそもそもないからだ。 周りができずに苦心しているところを感覚の繰り返しで乗り越えてしまう
「モモ」や「スマホ脳」を読むと、スマートフォンに関わらず便利なものはなんと恐るべきものなのだろうと思わされる。 時間の搾取は当然、生気すら搾取しているのではないかと思われるほどに我々は半導体付きの液晶にへばりついている。 テレビも、パソコンも同じだ。ゲームだって。 今は中高生のスマホ所持が問題視されている(少なくとも私の周りでは)が、私が学生の頃はゲームが問題視されていた。 ちょうどゲームボーイアドバンスや、DSなどが台頭してきた時代である。イナズマイレブンやポケット
大阪プールで試合があった。 試合といってもマスターズではない。お遊び要素のかなり強い試合だ。 今回のエントリーは50mバタフライ。エントリータイムは弱気に35秒。25歳元スイマーのエントリータイムとは思えないだろう。いやそんなもんだ。水泳歴は6年程度。高校以降は真剣なメニューなんてしてこなかった。許してほしい。 この試合を通して、私が感じたことを綴っていこうと思う。 【試合前日】前日の夕食、偶然揚げ物だった。それをみて学生の頃を思い出す。まさかここでそんな記憶が蘇るなん
ダイアログインザダークに参加してみて 研修の中で、ダイアログインザダーク(DID)が開催された。 DIDの詳細はHPを載せるのでそちらを参照してほしい。 いわゆる、暗闇の中での対話である。 最近、対話というものを良く耳にする。実際に導入しているところも多いだろう。私が認定講師となったABD(Active Book Dialogue)も、最終的には対話が設定されている。 ブームというか、世の中に対話が求められていることは言うまでもない。 暗闇の中での対話、一体どのよう
今年度の直木賞を受賞した『しろがねの葉』を読んだ。 直木賞と芥川賞の違いについて、よく知らない方もいるだろう。公益社団法人日本文学振興会のホームページより引用。 Q. 芥川賞・直木賞の違いを教えて下さい。 A. 芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。 今回の作品は、長編小説にあたるのだろうか。 銀を掘り続
この本は、立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明さんが書いた本である。 出口治明さんがなぜAPUの学長をすることになったのか、また「捨てる」という思考をどのようにして日常に取り組んでいくのかが書かれていた。 その中で、今の自分が考えていたことと似通っていたものをピックアップして書こうと思う。 ・「才能と個性を潰す、いい人の5つの要素」の話 本文において、このような内容があった。 「次のような若手の社員を、皆さんはどう思われますか? ①偏差値がそこそこ高い ②素
「とがる」人材を育てるには。マサチューセッツ工科大学(MIT)を題材として。 日本の教育において、「とがる」人材は育てられているだろうか。 突出した何かを堂々と社会に打ち出せる人はどれくらい生み出せているのだろうか。日本の教育においてそれはできていないだろう。 むしろ、「出る杭は打たれる」という言葉がピッタリなくらいに画一化されて標準化される。 そんな我々教育者には何が足りないのか。 まずは、とがりを許容する余裕だ。 余裕が必要で、余裕を生むには経済的な度量が必要
巷でよく聞くメッセージ。 「やればできる」「努力は必ず報われる」「頑張った人を応援します」 これらの言葉には、大きな落とし穴がある。当たり前といえば当たり前なのだが…。 「頑張れない人」は一体どうすればいいのだろうか。そもそも「頑張る」とは??? これは、「ケーキの切れない飛行少年」の続編にあたる作品である。 そもそも、世の中には「頑張れない人」や「やれない人」が存在することを知ってほしい。教育業界の人間は特にだ。 我々は努力したり頑張ったりしている人が好きだ。そ
KGAAフェスタに参加してみて…。 関学の体育会OB OGが集まるKGAAフェスタというものに参加してきた。名刺を配ろうという目論見と、OBOGまたは現役の熱に触れようとしたのである。 結論から言うと、視界が霞んだ。校歌を歌えない。声を発そうとすると涙が流れてしまうから。 日頃の仕事に忙殺されて冷え固まっていた自分の中にある『関学愛』が、マグマのように煮えたぎってきた。自分の4年間が頭の中で駆け巡る。 尖り続けた1年生。フレキャンを経験し自分の中で大きな変化のあった2
この物語は、わがままだったメアリーと病弱なコリンと動物を操る魔法使いのディッコンのおはなし とでもいっておこう。内容を紹介するものではないので、ぜひ読んでほしい。 この物語でキーポイントとなっていたのは、 『自然』の存在である。 わがままで痩せていたメリーも、病弱なコリンも、この『自然』によって元気で丈夫で感性豊かな子どもへと変貌した。 『自然』に触れること、植物や動物、土や風、それらに触れることによる肉体的・精神的な成長が表現されていた。 我々もきっとそうであろう
最近巷でよく聞く、well-beingについて書籍を読んでみた。 よくわからない概念だと捉えている人が多いと思うので、今回はその解説を。 やはり人に伝えることを前提に読むと、理解がグッと深まって自分のためになる。ラーニング・ピラミッドも伊達じゃない。 well-beingとは??? well-beingとは、良好な状態、(心もからだも)健康であるということ、満たされている状態のことを表す。 世の中にはどのような満たされた状態があるかというと、 (狭義の) 健康 幸
-掃除屋のベッポが、冒頭に話していた言葉。 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」 これが物語の中で一貫した大切な考え方になることを、最初に予測できなかったー この物語は不思議な少女モモと、「灰色の男た
第168回芥川賞受賞作品の『この世の喜びよ』を読んだ。 今まで読んでいた本や小説とは雰囲気が変わり、我々に教訓を与えたり、何か光るものを明確に示してくれるわけではなかった。 少なくとも、私にそれを感じ取れるだけの教養がなかったといえる。 芥川賞とは、そもそも何なのだろうか。 公益財団法人日本文学振興会にこのような説明があった。 Q. 芥川賞・直木賞の違いを教えて下さい。 A. 芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから
子ども文学を子どもの頃に全く読まずに今まで進んできた。社会的に「おとな」といわれる年代になってから、本をすこしずつ読むようになってきた私だが、今回の本では「子ども」と「おとな」についての気づきがあった。 「子どものなみだはおとなのなみだより小さいというものではありません。」 「不幸にあっても、くじけないことです。 へこたれるな、不死身になれ。」 「かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません!」 筆者エーリッヒ=ケスト
最初にこの本を手に取った時、LGBTQの話かと思った。なぜなら、表紙に中性的な子どものイラストが描かれていたからだ。 ジェンダー問題や多様性に関する話なのかな?と勝手な予想を立てつつ、この本を読み始めた。 LGBTQの話が全くなかったわけではない。むしろLGBTQに収まらず、一般的にいわれる「生きづらい人々」への視点があった。 英国で暮らす筆者と配偶者(配偶者という書き方にも工夫が感じられる)と、その2人の間に生まれた息子。この3人が中心となって物語が進められていく。