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【読書日記】心に大きなマンションをつくりたい(『82年生まれ、キム・ジヨン』)
1:長すぎる前振り
「心のマンション」ってなに?
大学時代から、「心が広い大人になりたいなぁ」と、漠然と考えるようになった。
・人の些細な言動に容易にムカつきたくない。
・周りをよく見て、なるべくたくさんの人に気を配れるようになりたい。
そういう人になりたいなぁと思っていたら、とある「知恵」と出会った。
「なるべくたくさんの『自分』を心に住まわせた方が良い。男らしい自分、女らしい自分、臆病な自分、勇敢な自分、面倒くさがりな自分……」
おそらく内田樹さんの本で出会った知恵だ。
なんの本だったか、それともレポートの課題や小論文対策で読んだ文章だったか、大学を卒業してn年経ってしまったいま、思い出せずなんとも歯がゆい思いをしている。
(もし「この本だぞ」と教えていただける方がいたら嬉しいです)
そして、n年前、大学生だった私はこう思った。
「心を広くするためには、
心に大きなマンションをつくればいいということか」
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101号室 正義感あふれる私が住んでいる。
すぐカッとなるのがよくない。
102号室 繊細な私が住んでいる。
他者の痛みに共感し、泣く。
103号室 大胆不敵な私。
時折とんでもない決断を下す。
その他、可愛いもの好きな私、カッコイイもの好きな私、読書好き、運動は普通な私が住んでいる。いろんな自分が心にたくさん住んでいる。
こうやってたくさんの「自分」が心にいることで、他者とかかわるときに、小さくとも「共通点」を見つけやすくなる。そのため、他者に寛容になれる機会が増えるというのが「心のマンション」のメリットだ。
ただ、「たった一人」の自分しかいない心の方が、多分、平和だと思う。
自分が「一人」だったら心の中で面倒な葛藤や喧嘩は起きない。
だけど、実際問題、「たった一人」以外を心から追い出すのは辛いことも多い気がするし、他人に「たった一人の自分のキャラを演じ続けろ」と言われるのも、大学生だった私にはかなり辛いことだった。
だから内田さんの言葉に、色々とどっちつかずな私はとても助けられた。
そして、このマンションは、「自分以外の心」に住んでもらうこともOKだ。
むしろ「自分以外の心」に住んでもらうことの方が、大人になるには大事だと思う。
家族。友達。好きな作家さん。尊敬する誰か。
(あぁ、その考え方素敵だな。ぜひ、私の心に住んでください)
……と言った感じで。すると私の視野はどんどん広くなる。
あとは、嫌だなと思う人や、意見が違う誰かにも、心にいて貰った方が良い。
とてもむずかしく、勇気がいることだけれど。
(まぁ、あのひとの言い分、今はうまくのみこめないけど、一旦、ね)
(隣人トラブルは避けたいので…808号室ぐらいに……)
そんなことを考えてから、n年後のある日、この『心のマンション』があまりにも大きすぎる女性と、私は出会った。
82年生まれ、キム・ジヨンだ。
2:読書日記『82年生まれ、キム・ジヨン』
前振りが長すぎて、すみません。
ここからが読書日記となります。
超有名作品ですが、簡単に紹介をさせて下さい。
チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房)
・2016年に韓国で出版された大ベストセラー作品。
・あらすじ
夫と一歳の娘がいる専業主婦キム・ジヨンがある日、実母、祖母、友人などの人格に「憑依」されてしまい、「病気」を疑われた彼女は精神科に通うことになる。精神科医が記すカルテの形式で、キム・ジヨンの人生を追体験していく。
『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下、『キム・ジヨン』)と言えば、「フェミニズム」、「#Me too」のイメージが強い。
確かにその通りで、キム・ジヨンが幼少期から学生時代、そして就職や結婚に至るまでに経験した多くの不条理な「女性としての生きづらさ」を、心が軋みながら読み進めることになる。
ただ、私がもっとも『キム・ジヨン』に感動した内容は、キム・ジヨンの「心の広さ」である。
キム・ジヨンは、産後うつと育児うつによって、知人の人格を「憑依」させてしまうと診断される。
例えばこんな感じで「憑依」をする。
場面は、正月、ジヨンが夫の実家に里帰りをし、夫の家族のために労働し、精神を消耗させていたところだ。
「お言葉ですが、申し上げますよ。お宅だけが家族ですか? うちだって、家族なんですよ(……)うちの子だって里帰りさせてくださいよ」
これは、ジヨンの母が「憑依」して、ジヨン(娘)も里帰りさせてやってと苦言をしている場面だ。
このジヨンの言動を、周囲の人間全員が「憑依」、「体調が悪い」、「病気」だと言った。
でも、本当にそうなのだろうか。
私の勝手な感想を、今から述べたい。
・心には「マンション」があるとする。
・すると、ジヨンの「心のマンション」には、男尊女卑社会で苦しみ、もがき、ときに闘ってきた「女性たち」が住んでいて、
・女性を自由に生きさせない社会で、心に傷を負ったジヨンを休ませてあげるために、心の住人である「彼女たち」が表に出てきたのではないか?
小説内では、ジヨンが人生で出会ったたくさんの女性が現れる。
・働かない夫と四人の息子を養った祖母。
・祖母に息子を生むよう言われ続け、娘を一人消した母。十四歳で家を出て、三人いる男兄弟を大学に行かせるために紡績工場で働き、本当は教師になりたかった。
・給食を食べる順番が男子からなのが不公平だと手を挙げた、小学校時代の友人、ユナ。
・弟ばかり可愛がるのをおかしいと怒り、泣いた姉。本当に行きたかった大学を、家族のために諦め教師となった。
・検査だと言って指示棒を胸に当てる男性教員の指示棒を叩き折った女子生徒。
・予備校の男子生徒に付きまとわれたジヨンを助けた、バスに乗っていた女性。
・男子ばかりが会長をつとめることを、そして女子はそんな男子を労う栄養剤ではないと言った、サークルのスンヨン先輩。
・女はダメだなと言われないように、会食・残業・出張を買って出て、産後一年で職場復帰したキム・ウンシル課長。
ジヨンは、「彼女たち」の闘ってきた姿を心に刻んだ。
そして、ジヨンの心のマンションに「彼女たち」を迎え入れた。
(どうぞ、疲れたでしょう。私の心で少し休んでいってください)
そんな「彼女たち」は、ジヨンの優しさにこたえるように、疲れたジヨンの代わりに言うのだ。
「ジヨンは頑張っているよ。実家に帰してあげてよ」
それを、私は「憑依」だと、「病気」だと、言うことはできない。
それはジヨンの「優しさ」じゃないだろうか?
「心の広さ」じゃないだろうか?
ジヨンの「愛」なんじゃないだろうか?
私は、「ジヨンが医療の助けを受けるべきでない」と、言いたいのではない。
私はただ、ジヨンの「愛情深さ」に、泣かされただけだ。
そして私は、そんなジヨンに、私の心に住んでもらいたいだけだ。
(私も貴方のように、闘っている誰かを、もがいている誰かを見過ごさない、そんな強さが欲しいです)
『82年生まれ、キム・ジヨン』は、名づけようのない壁にぶつかったときに、何度でも読みたい一冊になった。