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豚すぎて笑える
豚すぎて笑える
ふと気が付くと
自分でも笑えるくらい
やる気がなさすぎているんだ
そして実際に
まわりに嫌な顔されつつも
声まで漏らしてひとり笑っているけれど
本当に笑えてくるほど
仕事にやる気がなさすぎるんだ
すぐにやらなきゃいけないことがあれば
毎日終電でも二ヶ月はかかるとしても
何も考えずにひたすらやれていた
今からだってどうせやれるのだろう
虫のように働いて
虫のように思われながら
だからってやってきたし
他の人がやれることなんてやれてきた
だからって
一昨年はそうしていたからって
それでもずっとやる気なんかないんだよ
もちろん一昨年だってなかったし
養豚場の豚と同じなんだ
食べることの喜びなんてなくて
目の前にあるから食べるだけ
食べるのが早くて
無心に食べるからって
俺が仕事やる気があるなんて思わないで
(終)
この詩のようなものは、さほど仕事に追われているというわけでもないのに延々と残業していた頃に書いたものらしい。
というより、こっちで詩のようなもの(「誰かの顔がまだ生きている理由なんだと思う」)を久しぶりに書いてみて、いろいろ思い出して、本当にそうだったなという感覚になれるような、自己満足が残るものを書けたから、なんとなくもう少し書いてみようとして書いたものだったのだろうなと思う。
実際、これを書いた頃に勤めていた会社では、落ち込んでいた半年を除くと、ずっと残業ばかりしていたように思う。
別に、この数年後だって、そのまた数年後だって、数ヶ月くらいだらだらと忙しいのが続いたり、一ヶ月くらい毎日終電で土日も出ていたとか、ちょっと体調が悪くなってくるくらいの、身体に無理がある程度の残業をしていた時期があったのだと思う。
けれど、この詩のようなものを書いたときの会社では、(転籍前も含め)在籍していた四年半のうち三年以上は残業時間が六〇時間とか七〇時間を超えていたんじゃないかと思う。
かといって、長く働いていたからって、あの頃の俺には、やる気といえるようなものがあったんだろうか。
けれど、きっとやる気ならあったのだと思う。
その会社にいたとき、「もしドラ」(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』 を読んだら』)が流行っていて、マネージャーが誰かに貸してもらったらしくて読んでいて、読み終わったから又貸ししてくれて読んだけれど、一番大事なのは「熱意・真摯さ」(integrity)とあったのに対して、そりゃそうだなとは思ったし、自分にしたって、そういうところでやっているから、他人のペースに合わせずにがつがつと仕事を進めているのに対して、さほど反感をもたれず、むしろみんなにいろんな面で頼ってもらえているのだろうなと思った。
ただ職場でがむしゃらに働いていたということではないのだ。
大学生の頃だって、サークルで中心的な立場にいたけれど、みんなにああだこうだ言って頑張ってもらう役回りだったときも、自分がうまく振る舞えばみんなが機嫌よくついてきてくれるなんて思っていなかった。
みんながそれぞれに、みんなで集まっているからできることの中に、自分のやりたいことを見付けて、それができるようになっていけている充実感をみんなと共有できているから、気分よく散漫にならずに集まってわいわいしていられるのだ。
そのためには、みんなでどういうふうにやっていこうという話を中心になって引っ張っていく人には、integrityのようなものこそ重要になってくる。
integrityは日本語ではそのまま当てはまる言葉がなくて、「真摯さ」、「誠実さ、誠意」、「高潔さ」、「清廉潔白さ」、「高い品格、品位」、「公正さ」、「完全性」みたいな響きを包括するようなイメージを意味するらしい。
大学生の頃から、集団をひっぱっていくというのは、集団の中で一番みんなでわいわいいい気分でやりたいし、いいものを作りたいよねという気持ちをみんなに対して発している人が自然とそうすることだと俺は思っていたのだと思う。
その頃は、単純に、一番ちゃんとやる気がある人が引っ張っていくことになるというような思い方で思っていたのだろうけれど、「もしドラ」を読んで、マネジメントにはintegrityが一番大事と書いてあって、ドラッガーはちゃんとしたものなんだなと思った。
同時に、そんなちゃんとしたものを多くの人が一生懸命読んでいても、世の中のマネージャーたちのマネジメントはこんな程度だし、integrityが欠けた人をそういうものが必要な場所のマネージャーにしてしまう会社ばかりなんだなと、バカらしい気持ちにもなった。
その会社での数年間というのは、長く一緒に仕事をしたマネージャーの人と、自分と一緒に案件を持ってくれた何人かの人たちのおかげで、自分にとっての仕事上の青春時代のようなものになってくれた。
俺のやる気というか、熱意とか真摯さとか、そういうことに感染してくれていた人がいたし、俺自身、マネージャーや同僚の熱意に気持ちを温めてもらいながら働いていた。
今から思えばあんなに残業しなければよかったと思うけれど、それでも、熱意を他人と確かめ合いながら働いていたから、身体は疲れていたし、ちょっと精神的にも消耗しすぎた状態が長続きすぎてはいたけれど、それでも、仕事内容が表示された画面を見るだけで、すっきりとした気分で、やれるからやっておこうと、ついつい残業して仕事をなるべく進めようとしていたのだ。
そして、そういう仕事上の青春時代というのも、そのうちに終わってしまうということなのだろう。
きっと、俺がいた事業部がうまくいっていて、どんどんと自分たちの提供しているシステムをグレードアップさせ続けていられたのなら、俺のモチベーションはあと何年かそれなりの熱量を保っていたのかもしれない。
俺がいた事業部はうまくいっていなかったから、ここからはだんだんと残っている客がいなくなるまで、開発は最小限にして、なるべく保守だけをしていくような流れになっていくということだった。
そのうえで、俺が数年来受け持っていた案件もあらかた必要なものを開発し終わって、在庫管理の方式を変えるとか、どういう帳票がほしいとか、そういう要望だけでもそれなりに手はかかったけれど、もう顧客とあれこれ話し合って決めることもなくなって、ひたすら手を動かしていれば、一つ一つ片付いていくというだけの状態になっていったのだ。
単純に、仕事に慣れてしまったということだったのだろう。
仕事していて新しく思うことがなくなって、仕事に飽きてきて、それでも、他にやることもないし、残業するなと言われる会社ではなかったし、仕事ならいろいろあるからと、自分の客の仕事だけでなく、手を付ける人がいなくて放置されている共通部分の改修なんかに手を出したりして、自分でも何をやっているんだろうなと思いながら、だらだらと、同じことしかしていないなとバカらしくなりながら、毎日何時間も残業をしていたのだ。
そんなふうに空っぽなモチベーションで残業していたとはいえ、今から思うと、自分でも驚くほど、定時中も、残業中も、ずっとだらけることなく手を動かし続けていたなと思う。
当時は喫煙していたし、喫煙するときに休憩してお喋りしたりできるからと、また次に喫煙するまではひたすら画面を見続けて手を動かし続けるというのが習慣になっていたんだろうなと思う。
手を動かして、手を動かした分だけ仕事は進んで、同じようなことばかりやっているのだから、ほとんどミスもバグもださずに、自分の案件が落ち着いてしまったせいで、ひとと喋っている時間が減って、黙ってうんざりした顔で仕事するようになっていったとはいえ、まわりの人からすれば、苦しそうには見えても、やる気がなさそうには見えなかったのだと思う。
けれど、俺はあの頃、自分のことを豚すぎて笑えると思っていたし、手を動かすのが早くて、無心にやっている感じだからって、俺が仕事やる気があるなんて思わないでほしいなと思っていたのだ。
あの会社での、仕事での青春時代みたいなものが、もうちょっとでも長く続いてくれていたらよかったのになと思う。
そうしたら、落ち込んでいた時期も、もっと仕事とか職場に気持ちを救ってもらえていたのだろうし、大好きだった上司や同僚の人たちと、できるだけ長く一緒に働いていたいと、一番幸せなモチベーションの持ち方で、あの職場での日々をもっとよいものとして続けていられたのかもしれないのだ。
そして、その上司にしろ、その同僚にしろ、まだあの会社に残っているのだし、そういうことを思うと、あんなふうにやる気を失ってしまって、やる気を失った横顔をたくさん見せてしまって悪かったなと思う。
俺と仕事を分け合うようにして働いた人たちは、俺がそういうやつだとわかっていたのだろうし、モチベーションの向かう先がなくて空回りしていることもわかってくれていたのだろうと思う。
それでも、俺は豚すぎて笑えるとひとりで笑っていたし、そういうなげやりさは、どうしたって一線を越えてしまっている感じとして、そばにいる人たちへの拒絶になってしまっていたのだろう。
俺が辞める話をして、その上司は泣いてくれていたし、俺もなかなか涙がとまらなかったけれど、本当に、あのひとと働けてよかったなと今でも思っている。
それだけに、その当時に、その当時の投げやりな気持ちを垂れ流すようにして書かれた詩のようなものをたまたま何年かぶりに読んで、どうしてこの頃、こんなにもなげやりな気持ちの中にのめり込んだままになってしまったのだろうと思ってしまうのだ。
俺には友達がいたし、友達に助けてもらえたのだ。
それだけではなく、俺には仕事上の青春時代があったし、そういう上司や同僚がいたのだ。
それなのに、どうしてそのあとにしても、自分の気持ちをどうにもできないままになってしまったんだろうなと思う。
みんなよくしてくれていたのに、どうして俺はよくしてくれていることへの感謝を返すために生きようとできなかったのだろうと思う。
(終わり)