学習を苦役と考える生徒
生徒に課題や宿題を出すとき、私は必ず模範解答と解説をセットで渡します。
高校数学の内容で解答無しで考えることは、大抵の場合は不毛な時間を費やすだけに終わるからです。
その宿題を提出してもらったとき、最も困るのが
「赤ペンで解答を書き写した」ノートやプリントです。
何のために課題をするのか
私は課題を授業で習った復習を行うために出しています。
授業中に説明した、あるいは自身が考えた問題や定理、性質を実際に手を動かして解くため、と言えます。
したがって、わかったら解けば良いし、自己採点ができます。
わからなかったら場合も、すべてを埋めて提出をするような強制をしていません。
にも関わらず、全てを赤で書き写す生徒が常に発生します。都度、その必要がないことを伝えても、です。
基本的な数学の学習の仕方
数学の学習方法は極めて単純(数学の内容が単純、ということではなく勉強の仕方という点において)です。
ともかく問題を解いて、解答を見て採点や訂正をすればよいだけです。計算ミスなどの場合には赤で訂正を書く程度でも良いと思います。
問題なのは解けないような問題にぶつかったときです。
ミスではなく、方針が立たなかったり、途中で解答の方向性が見えなくなり、解答が書けていない、もしくは見当違いのことを書いている場合です。
このときに、すべきことはまずしっかりと解答を読むことです。
そして、1行ごとにわからない用語や内容、論理展開が無いのかを確認し、解答の筋道をなぞっていきます。
そして、今度はそれを見ずに解答用紙に「再現」します。途中で手が止まったら再度解説を確認し、「再現」を続けます。
注意すべき点は、「再現」中は模範解答を見ない、ということです。詰まったらペンを置いて読む、その後模範解答を伏せたり閉じたりして自分の解答を書く、の繰り返しです。絶対に、見ながら書く、をしてはいけません。
意味を考えず、丸写しをする行為は全く学習効果が無いからです。
では、丸写しをする生徒はどんな目的でそれを行うのでしょうか。
「苦役=学習」という思いこみ
おそらく殆どの場合がこれに該当します。
彼らはノートに大量の文字を書くことを学習だと勘違いしています。
このタイプの生徒は努力の足跡を残すことに非常に熱心です。授業中の板書なども一字一句完璧にノートに写しています。
これをやる生徒は比較的真面目で、優等生タイプが多いように感じます。
しかし、実際にはそれは学習ではありません。ただの苦役です。
そしてこのタイプの生徒は、「苦役=学習」である、と無意識に信じていることがとても多いのです。
「苦役=学習」と考える原因
なぜ彼らは「苦役=学習」と考えてしまうのでしょうか。
おそらくは、それまでの学習指導の中に学習を苦役と認識する経験を積んでいるのではないか、と考えられます。
板書をノートにすべて写させて提出を強要する
単語をノートに書かせて評価する
罰書きと称する写経を強制する
これらは私が生徒時代に経験したものです。そして、実際に現代の生徒に聞いた話から出たやり方でもあります。
板書はそれを用いて理解を促進させるもので、どうしても後から見直す必要があるのならばスマホなどで写真を撮ればよいのです。
単語は覚える事に意味があるのであって、書くことは目的ではありません。書いて覚えることを全否定はしませんが、覚えた後にテストとして書くほうが時間を無駄にせずに済みます。
罰書きという名の写経はもはや何をさせたいのか不明です。あの行為は途中で思考を停止させて手だけの運動になるのがわかっているのに…
しかし、これらの苦役に労を惜しまず取り組む生徒を評価する教員は未だに多いようにも感じます。
そもそも、本人がその苦役を通して頑張った美談が自分の中で作られてしまっているため、成功談として成立しているようです。
このような経験を繰り返し、「苦役=学習」という間違った思い込みをすることになるのでしょう…
特効薬無し
これを治すための特効薬は今の所ないようです。
ただ、最低限意識したいのは、私が自身がその片棒をかつぐことのないようにすることです。
あとは、地道に何度も繰り返し説明していくしかないのか…