超進学校に見る「社会的学習理論」をいかに普通の学校に持ち込むか
超進学校という存在が世の中には存在します。
私の住む九州では「久留米附設」などがその代表例でしょう。
全国で言えば、「灘」、「開成」、「筑駒」、「日比谷」、「北野」など私立、公立を問わず超進学校と呼ばれる学校は数多く存在します。
東大や京大、医学部などの合格者を多数輩出する学校でもあります。
では、どうしてそういった学校は優れた進学実績を誇っているのでしょうか。
「カリキュラムが優れている」
「カリキュラムが優れている」ということが進学実績の理由であると考えるのは自然なことです。
しかし、関東屈指の進学校、「開成」のカリキュラムは以下の通りです。
この表を見る限りでは、特殊なカリキュラムではありません。
また同じページには以下の文言があります。
週6日制などの点はありますが、一般的な「進学校」と比較してそれほど特殊なカリキュラムではないようです。
「指導者が優秀である」
では、「指導者が優秀である」ことが優れた進学実績の理由なのでしょうか。
もちろん、これを否定することは難しいでしょう。
こうした超進学校は修士以上の学位を教員の就職条件に課しており、Ph.D.取得者も少なくなく学識という点だけならば優秀で、教員自身の学力に関しては保証されている部分はあるのではないでしょうか。
しかし、そうした人が人格的に、あるいは指導者として優れているかは未知数です。
個人の感想ではありますが、以下のようにblogに書いている方もいます。
また、最近はYouTubeなどで、全員が授業が優れているわけではない、受験に特化した授業は行わないなどの話も出ています。
実際、こうした高学力層が中心の学校の場合、授業で受験対策を行っていないケースも多く、効果的な授業を受け続けたことが入試の結果に反映された、とは言い難いようです。
(より高度な学問的なことをしているために、学力の向上に間接的な効果があるとする主張もありますが、その効果は未知数です)
「入学者が優秀である」
これは最も正解に近い外れ、と私は考えています。
そもそもの入学者が中学受験の超上位層ばかりです。当然理解力はずば抜けていて、学習習慣の定着度も高いでしょう。
しかし、これだけでは6年間という成長期の長い期間にわたって高い学力を維持するのは難しいのではないでしょうか。
実際、同一学校内における中学入試時点の偏差値と進学先大学の偏差値の相関はそれほどでもない、ということも多いようです。
つまり、必ずしも優秀な入学者は優秀な卒業者ではないにも関わらず、全体としては高いレベルを維持するには何か別の理由があるはずです。
そしてそれこそが、「社会的学習理論」です。
「社会的学習理論」
上位進学校においてその進学実績を支える最も大きな屋台骨は、実は「社会的学習理論」に基づく「観察学習(モデリング)」によるものではないか、というものです。
以下は観察学習の4ステップを引用します。
上記の4ステップを学校内に置き換えると、まじめで勤勉なトップ集団が学習を率先して行う→評価される→それを模倣する→それが評価される、ということでしょう。
このこと自体は古くから言われてきました。トップ校には生徒が自主的に学習する文化が根付いているというものです。
私学の場合は文化継承の仲介者としての教員が存在しますが、公立高校においては職員が転勤をするため、特定の教員が仲介者として存在しません。
にもかかわらず、公立の上位進学校において文化継承がなされるのは、親子進学者や成績上位者の存在が模倣するモデルとして機能しているのでしょう。
超進学校の場合はこのモデルとなる生徒の数が多いため、それ以外の小集団が引っ張られやすいということになります。
一般的な進学校において
では、一般的な進学校である私の勤務校などではこの考え方をどう応用すればよいでしょうか。
基本的に一般的な進学校においてはモデルとなる生徒が多くありません。
そのため、観察学習が成立しにくくなり、能力以上に成績の伸びが鈍化する傾向にあります。
このことに関して対応策は以下の2つが考えられます。
モデルとなる生徒を特定のクラスに集める手法
モデルとなる生徒像を教員側が提示し矯正する手法
1.モデルとなる生徒を特定のクラスに集める手法
少ないモデル生徒を一クラスに集める手法です。これは多くの進学校で行われている「特進コース」を設定するというものです。
当然、モデルとなる生徒ですのももともとは優秀ですし、お互いに学び合い切磋琢磨できるのではないかと考えられます。
しかし、この手法には致命的な欠点が存在します。
もともとは優秀であった生徒の中には「落ちこぼれる」生徒が発生するというものです。一定数の生徒は自信を喪失し、やる気を失ってしまい成績が下降する傾向が見られます。
またそもそもが一クラスに集めるなど、集中させているため学校全体のベースアップには寄与しません。
しかし、一部の突出した進学実績を求める中堅私学などでは好まれる手法です。
2.モデルとなる生徒像を教員側が提示し矯正する手法
モデル像を教員側が提示し、それに合わせて生徒を強制的に矯正する手法です。
主に課外授業や提出物、授業態度、部活動などでロールモデルに合わせさせ、その中から適性者を選び出していく手法です。
この場合、ある程度人数がそろった適性者を多数のクラスに分配することで学校全体のベースアップを図ることが可能です。
欠点としては、必ずしも人工的にそうした生徒を作ることができるかは不明な点です。
また、そうした人工的なモデル生徒は突出したカリスマにはならないため、良くも悪くも受験生の平凡な上位レベルになりがちです。
さらに、この適性者として選ばれてようなタイプの生徒は実際には主体的に学習に取り組むというよりは、教員の意向や周囲の期待だけで学習しているだけのことも多いようです。
この手法は国公立大学の合格者数を増やしたい、特に○○公立大などに合格者を多く出している地方公立進学校などで見られる手法です。ベ〇ッセとのつながりの深い学校とも言えます。
進学実績だけが学びではないが
進学実績だけをベースに「社会的学習理論」や「観察学習」について話を進めてきました。
当然学びの成果は進学実績だけではありませんが、定量的な比較としては難関大学合格者の数を学びの成果と結び付けることはそこまで無理筋ではないでしょう。
そして、超進学校には間違いなく自主的な学習習慣や学び合いの文化が根付いています。「観察学習」はそのベースになっていると個人的には考えます。
どうやって普通の学校や学級にこれらの学習文化を根付かせるかが、普通の学校に勤める私たちの今後の課題なのではないでしょうか。