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課題の適量は「腹六分」

腹八分」という言葉を知らない人はいないでしょう。

満腹するまで食べないで、少し控えめにしておくこと。腹八分目。

コトバンク デジタル大辞泉

何事もほどほどが肝心、という意味です。ニュアンス的にはあと少し入りそうだが、適度なところでやめておくということでしょう。

課題を「満腹」で出す熱心さ

進学指導に携わっている高校教員には非常に熱心な指導をされる方も多いようです。

特に九州では公立、私立を問わずそうした「熱血指導」、「丁寧な指導」を売りにするケースが散見されます。

そうした教員や学校で見られるのが、生徒がやるべきことを全て詰め込んだ「課題」を常に出す指導スタイルです。

私の勤務校のような私立の進学校であればそうした指導が期待されていますし、地域を代表するような公立の進学校でも同様でしょう。

そして、課題を大量に出す教員は保護者や学校のその期期待に沿った指導をしていると言えるかもしれません。

しかし、果たしてそれは生徒の成長につながっているでしょうか。

「空腹感」をいかに与えるか

大学受験だけでなく、学びにおいて重要なのは本人がいかに学びたいか、学ぼうとするかという姿勢を作ることにあります。

そうしたときに重要なのは、学びへの「空腹感」です。

あともう少しやってみたい、そこのところを詳しく知りたいという内発的な欲求が学びの質の向上に不可欠です。

教員側が常に生徒を満腹にさせていては、あるいは無理やり口に詰め込んでいては「空腹感」を感じる暇もありません。

では、課題を際限無く減らしていけばよいのでしょうか。

「腹六分」の物足りなさ

学びへの「空腹感」は、適度な「満腹感」を感じた経験から生じると私は考えています。

ある程度満足して学んだ充足感を基準にして、不足を感じるのでしょう。

そのためには適度な分量の「課題」が必要不可欠です。

その分量の目安が「腹六分」ぐらいではないでしょうか。

あと少しやってみたい、やってもいい、余裕もある、少し物足りないがそのままだと足りない、こうした分量の調整を行い「腹六分」の具合を見つけ出すことが教員の仕事と私は考えています。

自立した学習者となる支援

すべてを与えられた学習者は自律的な学習が困難になります。

大学受験まで送り出せればよい、という極端な考えも受験産業の世界には存在します。

そうした意味では無理矢理「満腹」の課題を出して大学に通すというロジックも間違いとは言えません。将来的に困るとしても、です。

しかし、実は将来ではなく、一般的にはそうした学習方法では受験学年の段階でさえ躓くケースが多いようです。

特に国公立大学の受験の場合、難度に関わらず多くの教科、科目を学習する必要があります。

一教科だけならば強制課題で乗り切ることも不可能ではありませんが、多くの科目の学習を並行継続させるためには自立学習が不可欠です。

そして、「空腹感」を覚えた学習者は自分で必要な学習を考え、情報を集め、実際に自分で学習を始めます。

具体的な「腹六分」の課題の分量

具体的にな量は生徒側の学力やモチベーションによって当然異なるため、一概に述べることは不可能です。

私の授業では、授業時間の3分の1を使って解説、残りの3分の2の時間を問題演習と個別支援や相互支援に充てることをイメージしています。
(本当は完全反転授業形式の家庭で動画、学校で演習を実現したいのですが、家庭での動画視聴学習を徹底することは現時点では難しいようです)

つまり授業中に「課題」を解く時間を30分程度設定しているわけです。

授業中の残りを家庭学習用の「課題」として課しますが、この時点で30分で終われる程度を目安としています。

これはベネッセ平均点レベルの高校生(これは)が標準的な地方国立大学へ進学することを想定している分量になります。

ずいぶん少なく見えますが、英数国での課題だけでも30分×3=90分であれば、自分の学習時間を作るにはこのあたりが現実的な解ではないでしょうか。

時代によって変化する「許容量」

かつては、私の勤務校などの地方小都市では生徒の学習環境があまり良くありませんでした。

塾や予備校も少ない上に、高校生の指導をできる人材も少なく、参考書も遠くの本屋まで買いに行く必要があり(その割に読みにくい)、ビデオ授業などもあまり身近ではありませんでした。

そのため、学校が与える「課題」の分量が生徒の学習機会に直接つながっていました。当然、分量もある程度まとまった量を求められましたし、実際に出していました。

しかし、現在はそうしたネガな要素の多くが解消されつつあります。自分で学習できる環境は10年前の比ではないほどに進歩しています。

当然ながら「課題」の量の調整は不可避ですし、内容の精査がさらに求められます。

生徒たちの「許容量」を見極め「腹六分」のさじ加減を探すことが教員の仕事の大きな部分なのかもしれません。

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