「三角関数不要」発言とその議論を整理する
数学担当者として、やはり最近Twitterで盛り上がっているこの話題は触れずにはいられません。
今日はこのことについて考えていきたいと思います。
国会・財務金融委員会での野党議員の発言
要約すると、国会議員が委員会において三角関数よりも金融経済を教育すべきではないか、という旨の発言をしたというものです。
私も過去記事において、「なぜ数学を勉強する必要があるのか?」という記事を書いていますが、今回はこれを深掘りをしていきたいと思います。
論点の整理
上記事において、二つの視点で考える必要があることを説明しました。
一つは個人の視点として「私」が数学を学ぶ必要性、もう一つは社会的視点として日本の中高生が数学を学ぶ必要性です。
今回の藤巻議員の発言問題に関してTwitter上でも議論が活発なようですが、国会議員の委員会内における発言であること、教育制度に対しての提言であること、この二点から社会的視点に絞って議論する必要があります。
つまり、ネット言論において散見される「三角関数は金融経済の基礎」や「理系にとって三角関数は読み書きそろばんのようなもの」という趣旨の発言は議員との議論に対してずれた批判と言えます。
三角関数の重要性は藤巻議員だって知っているはずです。彼は慶応義塾大学経済学部からみずほ銀行に入行したエリート二世議員です。三角関数の重要性を知らないはずがないのです。
そうではなく、ほとんどの普通科高校の生徒に三角関数を教えているカリキュラムが妥当かどうか、という議論をしないといけないのです。
(ネットやマスコミの言論でたびたび見られる、相手の教養を軽んじる切り取り方と一方的な決めつけで他人を無能扱いする悪弊がここでも発揮されています)
「三角関数」を大半の高校生に課す妥当性
現行、もしくは新教育課程においても、三角関数は依然として大半の高校生が学ぶ状態が維持されています。
(実際には数学Ⅰのみが必履修なのですが、ほとんどの高校は数学Ⅱまでを卒業単位に含めています)
まず、三角関数自体の重要性に関して考えると、多くのネット言論者が口にするように理系進学者にとって最も基本的な道具の一つです。
当然ながら、社会的視点で考えれば研究者、技術者育成の観点から極めて重要と言えるでしょう。
一方、文系にとってはどうでしょうか。
文系進学者は直接使うことはありません。
しかし、三角関数は現代技術、特に画像処理や音響、電波などの技術やICTの根幹に関わる内容です。
その点を考慮すると、社会全体の知的基盤を整える意味でほぼ全員が学ぶことは重要と言えます。
つまり、三角関数を学ぶこと自体に関しては重要であるという結論が得られるでしょう。
「金融経済」の定義
さて、藤巻議員は金融経済を優先すべきと主張しています。
では、藤巻議員の言う「金融経済」とは何なのでしょうか。
さて、では「金融リテラシー」とは何でしょうか。
ここからもわかるように、金融リテラシーは極めて実生活に即した、学問というよりも生活上の必須の情報や知恵に分類されるものです。
この「金融リテラシー」と「三角関数」を比較しての発言が話題になっているわけです。
つまり、藤巻議員の主張は基礎基盤教育を広く行うのではなく、もっと実利的な知識を優先すべきで、その本質まで学ぶのは一部の人だけで良い、というものなのです。
「三角関数」と「金融経済」の比較ではない
したがって、一見すると「三角関数」と「金融経済」の比較の議論なのですが、実は藤巻議員の主張は学問的、抽象的なものよりも、実利的、具体的なものの優先度を上げるべきだ、という主張なのです。
より踏み込んだ話として考えると、高等学校を「学問の入り口」と捉えるのか、「そろばん教室」として再定義すべきなのか、ということでしょう。
実際、普通科が多すぎるという議論はここ十年以上にわたってなされており、今回の話はその一端に過ぎません。
そうした観点から見るとき、三角関数を多くの普通高校で全員に課すことに関してはきちんと議論すべきなのかもしれません。
また、今回の件から改めてメディアの切り取り方に対して条件反射ではなくじっくりと考える重要性を再確認できました。
藤巻議員をTwitter上で批判していた人の中には「大学が多過ぎる」などの低学力大学生に対して批判的な意見の人が多いように感じました。
その場合、批判者は本質的には藤巻議員と近い意見の持ち主とも考えられそうですが…