【~連載~静岡の歴史を学ぼう221】Terao Family's Documents 寺尾家文書
※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。
静岡市歴史博物館に行くと「彰往考来(しょうおうこうらい)」というタイトルでA4サイズ、6ページほどの小冊子があります。
水戸徳川家の徳川光圀(水戸黄門のモデル)が「大日本史」を編纂するために置いた組織を「彰考館」と名づけました。光圀は中国古代の歴史家であり学者の杜預(どよ)の語「彰往考来」(往事を彰らかにし、来時を考察する)から命名し、光圀によってはじめられた大日本史編纂事業は、水戸家の代で12代250年にわたって継続されました。(Wikipedia および茨城県県立歴史館HPより)
以前、静岡市長室に飾られていた「彰往考来」の扁額(徳川家16代德川家達筆)は現在、静岡市歴史博物館に見ることが出来ます。その小冊子は内容が充実。その一部を記事にしました。
Terao Family's Documents
寺尾家文書
In Shizuoka, the Imagawa clan and Lord Tokugawa Ieyasu are respected as the main figures who created this region’s history.
静岡では今川家と徳川家康公がこの地方の歴史をつくりだした主な偉人として尊敬されています。
Conventionally, Shizuoka’s history in the medieval period has been depicted mainly as the history of the local rulers.
従来、中世の静岡の歴史は為政者たちの歴史として描かれてきました。
However, many kinds of local residents, such as farmers, merchants, and artisans, were engaged in their region’s history.
しかし農民、商人そして職人といった数多くの地元の人々がこの地方の歴史に関わっていました。
These commoners were also the main characters who forged the local history.
こういった庶民たちも地元の歴史を作り上げた主人公なのです。
Local people were depicted in some historical documents in the early 1500s, when the Imagawa family was prosperous.
今川家が隆盛を誇った1500年代初頭、地元の人々については歴史書の中に書かれていました。
The Terao family in Ejiri (the present Shimizu Ward) used to manage a prominent local inn for merchants and got involved in water transportation in the Shimizu port.
江尻(現在の清水区)の寺尾家は大きい商人宿を経営し、清水港で水運業に従事しました。
The Imagawa clan considered this port as the entrance into the city of Sumpu.
今川家はこの港を駿府のまちへの入り口として考えていました。
Historical documents that were preserved by the Terao family are now Shizuoka City’s designated cultural properties, which are housed in the Shizuoka City Museum of History.
寺尾家が保存していた歴史書は現在静岡市の指定文化財で、静岡市歴史博物館に所蔵されています。
One of the Terao family’s documents stated that the Terao family was allowed to hold markets in Ejiri three times a month, to manage an inn where merchants stayed overnight, and to be exempted from the liquor tax.
寺尾家文書の一つには寺尾家が江尻において月に3回、市(いち・マーケット)を開くこと、商人向けの宿屋を営むこと、そして酒税を免除されることを許可されました。
The Terao family was also involved in making and selling sake.
寺尾家は酒の製造、販売にも従事していました。
They had large houses on the east and west sides of a local bridge in Ejiri.
彼らは江尻の橋の東西に屋敷を持っていました。
We can assume that this family is so rich.
この一家はかなり裕福だったと思われます。
(参考資料)彰往考来(しょうおうこうらい) 静岡市歴史博物館発行 より
わたしたちの研究「駿河の戦国民衆と地域権力 ~地域が伝えた今川・徳川の古文書~」 静岡市歴史博物館 学芸課長 廣田 浩治著
(こうした専門家である学芸員さん達のおかげで歴史の息吹を感じることが出来ます。 しかもこの内容を無料で配布して下さって感謝です。)
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