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貴綱 みか
2020年12月29日 09:51
認知症の母の背中側に立ち母の両脇の下に私の腕を入れて身体を支えて歩かせようとすると歩くのが面倒なのか時々母は軽く足を浮かせてぶらぶらさせて体重を預けてくることがあった小さな子供のお茶目な悪戯のようで微笑ましく思えてクスッとなっていたが小柄な母が足腰も弱って認知症も段々と進んでいって自然と私が母の面倒を見る保護者の立場になって少しずつ親も自分と同じように
2020年12月28日 08:50
ある暑い夏の日自宅の近くまで迎えに来てくれた親戚の車に母とともに拾ってもらい母の父親が眠る田舎の墓地へお墓参りに出かけたお墓に到着すると家の外は車椅子を利用する親戚の叔父さんと母は冷房の効いた車の中で運転手の従兄と静かにお留守番車を降りた叔母達と私はお墓にお線香とお花を手向けご先祖様に心を寄せて手を合わせお参りをするそれからまた車に戻り全員そろって田舎の家にお
2020年12月27日 08:06
母は要介護4くらいの時から立ち上がるのに介助が必要になり一人ではトイレに行けずリハビリパンツ+尿取りパッドを常に使用するようになっていたしかも認知症のせいで時々おむつの中の便を手でさわってしまったりその手を周りにこすりつけたり・・・もちろんそんな惨事に気づいた時には母親自身と周りの寝具などすぐに汚れを落として清潔な状態にしていたがいくら清潔に綺麗に整えても母は常にお
2020年12月26日 20:13
触ってはいけない不浄なものだという事が認知症の母には分からなくなっていて便が出てしまったおむつの中に手を入れてしまう事がある母はおむつの中が気持ち悪くて落ち着かないから手を入れてしまうのかただ不快を感じたり自分の欲求に従ってやっているだけかもしれないが母のベッドに近づいた時に何となく臭ってきたり母の手が汚物で汚れているのを発見してしまったらすぐに対処しないわ
2020年12月26日 08:08
昔、一時期家で東京新聞をとっていた東京新聞とうちの家族のかかわりはただそれだけだったけれどいつのまにか母の頭の中では私が東京新聞に勤めていることになっていたようである日「東京新聞を取り始めました」と、デイケアの職員の方が私に言ってきた時にもああ、そうなんだとただ思っただけで仕事に介護にと割と忙しくしていたその頃の私は別に気に留めることもしなかったが後になっ
2020年12月22日 07:57
朝、母を起こそうとベッドの脇まできたがベッドに寝ているはずの母の姿が見えない掛蒲団をめくってみたがやはりいない一体どこに行ってしまったのか母が消えてしまった家の中の伝い歩きも一人ではおぼつかないのでまさか一人で起きてどこかへ行くとは到底考えられない母を起こしに来た時にベッドに密接している押入れが開いていることにはすぐに気づいてはいたが押し入れとベッドには段
2020年12月21日 10:44
朝、母を起こしに行くと「今日は行く日ですか?」とデイケアに行く日かどうか尋ねてくることが多かった認知症が進んできた母は時々自分がどこにいるのかさらに自分が誰なのかも分からなくなることもあったがデイケアと認識していなくてもどこかに出かけるか出かけないかは分かっていたらしくデイケアに行く日には私が母に朝食を食べさせおむつを取り替えて洋服を着替えさせて玄関まで手
2020年12月20日 21:09
「○〇(←母の名前)さんの,かっこいい髪形が好きです」毎年母の誕生日にグループホームの職員の方々からのメッセージと母の写真が貼られたカードをいただいていて冒頭の言葉はある年の誕生日カードに職員の方が書いてくださったメッセージだがその頃、母の髪の毛は私がカットするようになっていた介護初期の頃は美容院に行く母に私が付き添っていたがそのうち車いすでも行けるカットのお店になり
2020年12月20日 08:01
朝、いつものようにベッドで目を覚ました認知症の母に「おはよう」と声をかけると「おはようってなぁに?」と尋ねられた母はたびたび自分がどこにいて何をしているのかわからなくなったりはたまた自分が誰なのかわからなくなったり挙句の果てにはある日、年齢を尋ねてみると6歳と答えることもあったがそんな状態の母にとって「おはよう」が分からなくても全く不思議ではない母
2020年12月19日 08:02
親が鬱陶しく思えるようになった思春期の頃からか母ともちゃんとした大人の会話をあまりしてこなかったせいか母の認知症が進んできて私を呼ぶのにまるで他人のように「おねえさん」とか「すみませんが・・・」とか私が誰だか分からなくなって面識のない人に話しかけるようにされてもそれまでの私は家族よりも外に気持ちが向いていたせいか昔はあんなにしっかりしていた人だったのにとか親が自分
2020年12月18日 08:04
母の通ったグループホームである年の七夕の日に母が震えるような字で書いた短冊に「むすめがかえて(帰って?)きますように」と書かれていた母は一度目の結婚で生まれて1年も経たない我が子をおいて家を出されて2度目の結婚で生まれた私は幼少時に交通事故で生死の間をさまようような重傷を負い奇跡的に助かった娘が成人して一人暮らしをしたいからと家を出ていった時には母が泣いていたこと