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この世は偽善と皮肉に満ちている。

[本・レビュー] 地政学の思考法  ペドロ・バーニョス著


争いごとは人間の本質であり、権力者の言動は偽善と皮肉に満ちている。部屋のごみが勝手にゴミ箱まで歩いて行かないように、何もせずに戦争もいじめもない世界など期待できるはずがない。例示されている多くの国際的事例が事実か否かはともかく、仮に『偽善行為』と捉えてみれば、世の中の矛盾をうまく説明できるのもまた事実。結局頼れるものは自国のみ。抑止力としての軍隊はもつべきか。もつのであれば、いかに権力者を監視・制御するシステムを構築すべきか等々、色々考えさせられる名著。


 著者のペドロ・バーニョスさんのプロフィールです。
 "スペイン軍の予備役大佐、欧州合同軍(本部フランス)の防諜・治安部隊長を歴任。旧ユーゴスラビアの平和維持活動に参加。地政学、国家戦略、防衛政策、安全保障、テロリズム対策、諜報活動、国際関係の第一人者である。"
 本書では”隣国を出し抜き、大衆をコントロールする権力者たちの「16の戦略」”が紹介されています。

 ”これらの戦略を知っておけば、世界を支配する策略家たちの手中で操り人形のように踊らされないよう、最大限の警戒ができるようになる”といいます。私も本書を読み終えて、世の中をみる意識がかなり変わりました。今までも似た内容のことを都市伝説のようになんとなく聞いたことはありましたが、「まさか」程度の認識でスルーしていました。


 しかしながら、それなりの立場にある人がいくつもの例をあげて、世界の偽善・皮肉を紹介・解説されるのを見、「確かにそう考えると、色々な矛盾のつじつまが合うな」と思うに至りました。


 ここに書かれていること全て事実だとは限りません。この本ではプロパガンダ(政府に有利な意見を構築するための世論操作)という概念が紹介されていますが、スペインに有利になるよう、ペドロさんによるプロパガンダ的な側面が含まれているかもしれないからです。ペドロさんは、プロパガンダは世界で繰り返し用いられてきたと解説されています。


 さて、本書を読むと、いじめも戦争も、世の中からは決してなくならないであろうことが認識できます。


 ”強すぎるリーダー、取り巻き、いじめられる子、マイペースの子、誰ともかかわらない子。
 こういう図式が見られるのは学校に限らない。たとえば軍隊、刑務所、職場など、構成メンバーが多くの時間をともに過ごさなければならない共同体であれば、どこにでも当てはまる。世界的な意思決定において、大小さまざまな影響力を持つ強国がせめぎあう国際社会においても、まさに同じことがいえるのではないだろうか。”


 ”自分がいじめの対象とならないため、力のあるグループに自ら加わってその他大勢の一人になることを望む子も出てくる。悲しいかな、こういった転向組こそが、他者に対してもっとも残酷になることも多いのだ。”


 どらえもんのキャラクターはよくできていると思います。強すぎるいじめっこ=ジャイアン、取り巻き=スネ夫、いじめられる子=のびた。


 このキャラクターは世の中の「あるある」の風景とも呼べるのかもしれません。たとえ自分の環境はそうでなくとも、誰もが同様の状況を人生で一度はみかけたことがあるのではないでしょうか。


 ”「人間であるがゆえに人間たちは闘う」とは16世紀のザクセン選帝候モーリッツの言葉だ。
 彼のいうとおり、争いごとは人間の本質や社会の現実と不可分で、利害、認識、文化に違いがあるかぎり避けることはできない。それはまた武力闘争であって、どんな国際システムのなかにも見られるものだ。”
”悲観的な思想の持ち主であったカントは「戦争自体には特別な動機など必要ない。人間の特性にもともと植え付けられているからだ」と述べ、「人間の自然な状態は平和ではなく戦争である」と断言した。これは目新しい考えではなく、カントよりはるか昔に、ギリシアの哲学者プラトンが「都市間の戦争が継続し、永遠になくならないのは自然の法則だ」と述べている。「戦争の残酷さは、人間より猛獣にふさわしい」といったのはロッテルダムのエラスムスだ。
 暴力のスパイラルを生み出す戦争は、人の奥底に潜む本能を引き出し、非人間的な面をむき出しにする。戦争は人間のもつもっともネガティブな側面を表面化させ、誇張する。ひとたび引き起こされれば、理性や動機づけ、法にかなっているかどうかといった考えはむしろ邪魔になる。その瞬間から、「ただ勝たなければならない」という強迫観念だけが存在するからだ。勝つためにはどんな手段もいとわなくなる。それがたとえ信じられないような手段であっても。”


 だからといって「人間の自然な状態は平和ではなく戦争である」=「平和など幻だ」
 ということにはなりません。


 部屋にちらかったゴミは、何もしなければゴミが勝手にゴミ箱に収まってくれることなど期待できません。しかしながら、立ち上がって自分でゴミを拾い、ゴミ箱に捨てることは可能です。


 平和な状態は当たり前ではなく、そのためには不断の努力が必要なのだという認識が重要です。


 また日本を含めた世界の歴史、宗教の勉強・理解が非常に大切なことも認識させられます。


 "独裁者、横暴なリーダー、抑圧的な政府、そして過激なナショナリストたちは決まって、歴史を教え直すことで現実とは別の世界をつくり出そうとしてきた。現代でさえ、理屈の上ではそれほど抑圧的でも横暴でもないとされている政治リーダーまでもが歴史を利用し、歴史を歪めている。したがって、歴史は取るに足りないなどと考えてはいけない。起こったことの現実、あるいは現実になるべく近い歴史を知ることで、私たちは自分たちが何者なのか、自分たちはどこに向かっているのかがわかりやすくなる。そかしそれよりも大切なことは、見失いがちな客観性のある真実を探求することで私たち自身がより強くなれることである。"


 自国の教科書で教えられる知識のみならず、複数の文献、特に国境や宗教などを越えた多角的視野で検証してはじめて、『事実を正しく把握』するスタートラインに立つことができます。状況によっては文献全てが嘘・偽りということもあり得ます。少なくともこのような認識がなければ、私たちは情報提供者の意のままに操られる可能が高まってしまいます。


 本書を読むと、北朝鮮が核を手放すことを期待しづらい現実もみてとれます。


 ”出典によって数字に多少違いはあるものの、データを見ると恐ろしくなる。3年間の戦争中、北朝鮮の上に落された爆弾の量は3万5000トン以上のナパーム弾を含む65万トン。60万軒以上の住居、5000校以上の学校、そして約1000棟もの医療機関が瓦礫と化したと考えられる。都市への爆撃を終えると、今度は貯水池やダムが狙われ、農地が浸水して農作物が台無しになった。これらの数字を見ると、米国は第二次世界大戦中に太平洋地域全体に落としたより多くの爆弾を北朝鮮に投下し、ドイツや日本に対するより多くの市町村を崩壊させたことがわかる。
 朝鮮戦争で戦略航空軍団司令を務めた米国の空軍大将カーチス・ルメイは30年後、自分は北朝鮮の人口の約20%を消滅させたと恥ずかしげもなくいい放った。第二次世界大戦時に激しい空襲を受けた英国でさえ死者は人口の2%だったことを考えれば、北朝鮮での大虐殺の規模は明らかだろう。しかも、北朝鮮での死者300万人という数字はさらにひどくなる可能性もあった。ダグラス・マッカーサー元帥は、北朝鮮の上に30から50発の原爆を落とす提案をしていたのだ。こうすることで戦争を10日間で終わらせられると考えた、と終戦後すぐのインタビューで答えている。
 北朝鮮の例によって、行動を起こそうとする場合には相手国民の特異な気質を知ることがどれだけ重要かがわかるだろう。この点に気を付けない限り、どんな動きも失敗する恐れがある。”


 北朝鮮は何も、平和な世の中でいきなり武装を始めた、異常な集団ではありません。


 ジャイアンに常日頃いじめられているのび太に対し、すねおが「卑怯だからドラえもんの道具を使うのをやめなよ」といっても、のび太が「そうですね」ということは期待しづらいでしょう。


 これは「北朝鮮の核武装は正当化されるべき」と申し上げているわけではありません。上記のような過去を知らなければ、無条件な核の放棄など期待できないということを申し上げたいだけです。


 ベッドの上から「核兵器」捨てといてといっても、現実は甘くないというわけです。


 「各国が自己の利益を最優先する事実」は大国でも変わりません。いや、むしろ大国であるからこそ、巧妙(そして時にはあからさま)に自己利益を最大限に獲得してきた事実が本書では列挙されています。


 国連安保理常任理事国は中国、米国、フランス、英国、ロシアの五カ国です。


 ”国連安保理は、非常任理事国以外は新しい加盟国を迎え入れることなく、永遠に5カ国体制(およびいくつかの特別参加国)を貫くべくあらゆる手を尽くしている”と解説されています。


 1968年に署名された核兵器不拡散条約により、それまでに核実験を行った米国、英国、フランス、ソ連(ロシア)、中国を除く全ての国が、核兵器の開発と保有を禁じられています。その後、191の主権国家が、核実験をしないと条約に署名しましたが、インド、パキスタン、イスラエルは条約に署名せず(建国したばかりで紺頼状態にある南スーダンも未署名)、核兵器を保有しているようです。”核兵器の開発に成功したとみなされているイスラエルには、米国が技術移転をしたという噂があるが、それが事実であれば米国は核兵器不拡散条約の重要な規定に違反していることになる”


 つまり五大国は、自分達の核の保有は正当化しておきながら、他国に保持は認めないという立場なのです。そして、その五大国の立場・特権を他国には決して譲ろうとはしません。


 今回のCOVID-19の件でも国連の機関であるWHOが決して中立ではないであろう現実が垣間見られました。


 本書では世界の大国が、『人道的介入』という大義名分のもとに、いかに自国の利益を追求してきたかという歴史が列挙されています。


 各国は自国の利益を最優先するため、「今日の友は明日も友」という保証はありません。「昨日の友が今日の敵」といった例は歴史でも数多くみられます。


 最近、「敵基地攻撃能力」に関する報道をよく目にします。日米の関係がいつ変化するか分かりませんし、中国、北朝鮮、韓国を含んだアジアの状況も過度の緊張を含んでいるのも事実です。
 「抑止力は大切」というのも一理ありますが、仮に抑止力をもつのであれば、いかにそれをコントロールするのかが非常に重要となります。
 第二次世界大戦敗戦前に、日本はアジア各国を統治下においていたのもまた事実です。日本の抑止力保持が「かつての帝国の武装化」と捉えられ、予想以上の反日感情を呼び覚ます可能性も皆無ではありません。


 ”予想できない未来に対して絶対に失敗しない方法は、もっとも不利な状況を想定しておくことである。古典的な軍事戦略のなかに、一番危険な状況に備えて安全策を確立しておきながら、一番ありえそうな状況にもとづいて戦術を発展させるというものがある。つまり、安全策が計画を遅らせたり、制限したり、妨害するほど過度にならないようにしながら、計画を実行に移すのだ。とはいえ、慎重さを欠いてはならない。リスクはつねに存在し、不測の事態はどんなときにでも起こり、備えていない者は遅かれ早かれ滅びてしまうということを忘れてはならない”


 私は、日本の政治家、特に菅さんが上記をご理解されて、適切に行動できるとはとても思えません。


 『安倍政権の継承が最善、菅政権で安泰』といったムードに大きな危惧を抱いています。


 プロパガンダについて、次のような記載がありました。


”1807年、米国人ジョン・ノーヴェルは就任後6年が経過していた第3代米国大統領トーマス・ジェファーソンに書状を送った。新聞を発行したいと考えていたノーヴェルは、その手紙で、「いかに新聞社を運営すべきか」について助言を求めたのだ。ジェファーソンは同年6月14日付で返信しているが、そのなかで当時の新聞・雑誌について辛辣な批評を行っている。
 ―できるだけ有益な新聞社を運営する方法についての意見をということなら、このように返事をしなければなりますまい。”事実のみを伝え、健全さを原則とすること”。それが答えですが、そういった新聞はあまり読者を獲得できないのではないかとも思います。現在、新聞に書いてあることは何も信用できません。本来真実であるはずのことが、堕落したメディアに載った途端に疑わしいものに変わります。偽情報が横行するこの状態がどれだけ深刻であるかは、事実を日々の嘘と比較照合できる知識を持った人だけが知っています。実際、嘆かわしいことに、新聞を読んでいる我が同胞の大半は、世界で起こっていることのなにがしかを知ったと信じて往き、死んでいくのです。付け加えれば、新聞を読まない人は新聞を読む人よりずっと情報通です。したがって何も知らない人のほうが、偽りと間違いで頭がいっぱいの人より真実の近くにいるのです。
 2世紀以上も前に書かれたトーマス・ジェファーソンの言葉はいまなお有効なだけでなく、おそらく何より真実をいい当てている。現在では新聞が唯一のマスメディアではなく、ラジオとテレビ(映画も含めることができる)があり、最近ではそこにインターネットとソーシャルネットワークが加わったことを考えるとなおさらである。当時は新聞が唯一の情報源だった人もいることを考えれば、現在、少なくとも先進国においては実質的にすべての人が、われわれの先祖の大半が一生かけて得ていた量より多くの情報を1日で受け取っている。だが、情報を受け取ることでより賢明になると考える愚を犯してはならない。真の知識というものは、疑いを持ち、自分自身で分析することからしか生まれないのだから。実際、情報量が増えれば増えるほど、むしろ無知になるのだ。”


 安倍さんの退陣表明後、内閣の支持率が急上昇したことが報道されていました。退陣前の低支持率が操作されていたのか、退陣後の数字が操作されているのかは、ともかく、結果自体は何も変わっていないにも関わらず、退陣表明で支持率が大きく変わる世論そのものに大きな不安を感じます。


 ” 重要なのは「共感する知性」である。つまり相手の立場に立ち、「積極的に」相手の言葉に耳を傾け、状況を理解し、権力の乱用を避け、相手の考えと解決策を受け入れられる能力を持つことである。
 結局、成功するのは、誰もが何をしなければならないのかわかっていないときに、すべきことがわかっている人間なのである。マキャヴェッリは『君主論』で次のように述べている。「過ぎていく時代に適応した行動をとれる者が勝ち、その行動が次代と合っていない者は失敗する」。不測の事態に対応するには、開かれた精神を持ち、心構えをしておくことが重要である。なぜなら、考え方に柔軟性があれば予期せぬことにも適応できるからだ。それはやけになったり運に身を任せたりすることとは違う。その計画にはできるだけ柔軟性を持たせ、計画のすべてが完全に実行されることなどありえないと知っておかなければならないのである。”


 本書は、歴史・宗教を学び、世の中を客観的に捉える重要性を認識させてくれる名著だと考えます。

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