ep17 青ジャ

青ジャ、と僕は心の中で呼んでいた。クラスメイトのみんなからすると、「体操のおじさん」。とはいえ、彼が体操をしている姿は一度も見たことが無い。「体操のおじさん」と言われているのは、彼が毎日着ていた鮮やかな青いジャージがなんとなくNHKのラジオ体操っぽいから。

でも実際調べてみるとNHKのラジオ体操に出演しているのはお姉さん方で、青いジャージの男性の画像なんて1枚も見つからない。みんなけっこう調べもせずに、適当に、イメージで物を語る。実際が全然違っていたとしても、みんなが「ああ、そうだね」と思えば別にそれで物事は進んでいく。別にだから何ってわけでもないけれど、僕だけはあくまでも事実に基づいて、青ジャという心の中の呼称にこだわっていた。

体操のおじさんこと青ジャは、いつも決まって朝の同じ時間に、団地の奥から坂を駆け下りてきた。7時10分m中学生1年生の僕は毎朝、団地の真ん中のバス停で坂を駆け下りる彼を見送った。

駆け下りるというのは少々、言い過ぎた表現かもしれない。彼は毎朝走っているわりにはとても足が遅かった。歩幅は小さく、蹴り出しも弱々しい。ヒョロヒョロと背が高くて、エラの張った顔。紫色の、色の悪い唇。それが妙にとんがっていて、センター分けの刈り上げの髪が歩くたびピョコピョコ揺れるもんだから、僕はそれを「かわいいな」と思っていた。

鮮やかな青に紺のラインが入ったジャージは、毎日決まって同じもの。でもきちんと洗濯はされているようで、彼のジャージはいつも遠目から見てもハリがあって、こざっぱりとしていた。

クラスメイトたちの一説によると彼は一年分、365着のジャージを常にストックしていて、毎日走り終わるとジャージをゴミ箱に捨てるらしい。特注のオーダーメイド品で、一着40,000円。若くしてトレーディングで成功しFIREに成功、今は悠々自適な投資家生活を送るセレブ。これもまあバカバカしい嘘で、実際僕は春休みや夏休みの部活に行き帰りに、作業着を着て白いライトバンに乗る青ジャの姿を何度か見かけたことがある。

たしかあれは秋の頃だったろうか、珍しく平日の下校時間に青ジャを見かけたことがあった。団地の入り口のスーパーから出てきた青ジャは運悪く、たむろしていた団地の不良中学生たちと鉢合わせした。そしてさらに運悪く、ランニングの時と同じ青いジャージを着ていた。

「はたらけや、童貞ニート」

茶髪の細身のやつが大きな声で青ジャの背中に悪口を投げつけると、不良たちはどっと笑った。

心無い言葉に、カッと顔が熱くなった。すれ違った青ジャは眉間にシワを寄せて、ぎゅっと口をとがらせていて僕はまともにその顔を見られなかった。

福岡の大学に進学して以降は、青ジャの姿を見ることも無くなって、そんな人がいたことを思い出す機会もなかった。彼と再会(?)したのは、22歳の夏の日。就職も決まって、暇な大学四年生のことだ。アルバイトもする気になれず、人生最後の夏休みを実家で過ごそうと帰省していた時のことだ。

親の車を借りて、高校の同級生と朝まで遊んだ帰り。団地の外の国道で、鮮やかな青いジャージ姿で走る青ジャを見つけた。

うわ、なつかし。思わず声が出てしまった。彼は10年前とほとんど変わらない姿をしていた。相変わらず眉間にシワを寄せて、走るのもてれてれと全然速くなくて、青いジャージで。

まさか、団地の外のこんなところまで走っていたとは。10年越しに知った新しい発見への驚きと一緒に僕の前にあらわれたのは大きな寂しさだった。

僕が中学1年生の頃から10年間、多分、青ジャは毎日ずっと団地を走っていて、僕はその間に大人になった。僕の前には曲がりなりにも開そうな未来があって、何かに悩んだり、喜んだり、悲しんだりしていた間も、彼は刈り上げのサラサラセンター分けヘアーをゆっさゆっさと揺らしながら、毎朝団地を走っていた。サラサラセンター分けヘアが若者の流行の髪型になるくらいの、長い年月。

きっと一生、話すこともないだろうし、もしかしたらこれから先二度と見かけることもないかもしれない。だけど僕は不良の罵声を浴びながら早足で歩く彼の姿を今でもしっかり思い出せる。

その、唇を尖らせて速足で歩く彼の姿と、それを見送る胸が痛い中1の僕がすれ違ったあの瞬間は、僕のこれからの人生において、なんだかとても大切なもののような気がするのだ。

彼はあのとき確かに怒っていた。そしてそれと同じくらい、怯えていた。毎日同じ表情で走っていた彼のいつもと違う顔を見て、僕は驚いた。知らない誰かにも、心があって、暮らしがあって、僕や友達と同じような質量の人生を生きている。僕が初めてそのことに気づいた瞬間だったのかもしれない。

何をバカなと思うかもしれないけれど、僕はあの時多分初めて、大人になることの怖さみたいな、ひとつの時代がはっきりと終わる怖さみたいな、そういうものを感じたのだった。

車を止めるわけにもいかず、あっという間に青ジャの姿は見えなくなった。団地の入口を曲がると、バス停には部活に行くジャージ姿の中学生の姿があった。最近はこの辺も子供が減って、昔みたいな不良もいなくなった。バスを待っている彼もまた、10年前の僕と同じように、青ジャの姿を見ただろうか。「なんて呼んでる?」って、聞けるものなら聞いてみたい。

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