インナーチャイルド生活を送る
【自身の内面が現実を創り出している】
とするとならば、
【内面に自分がいる】
という事が大前提になりますね。
僕のケースになりますが
《内面に確かな自分がおりません》でした。
なので
精神面で疲れている時ですら
氣が付かないでそのまま過ごす
という事が日常だったのです。
肉体的な疲れの場合は
わりかし自分で氣がつき易いもので
僕でも休む事が可能だったのですが、
目に見えない内面の疲労の場合では
自分自身で疲労状態に氣が付かなければ
ケアのしようがないのですね。
目には見えない心の話ですから
他者に見えなくて当然なんです。
そして
鏡を見たって自分の目で心の疲れは見えにくい。
なので
自分自身で感じとる
という事が必要となってきます。
それで
僕としては
氣遣うべき対象が自分の中におりませんから
自身の疲労に氣が付かない。
さらには
氣遣う対象が周囲の他者になっておりました。
これも元を辿れば
幼少期の親への顔色伺いが
そのまま
大人になっても抜け切れていない状態ですから、
インナーチャイルドとしての自身の在り方が
そのまま
現実の大人の自身の現実を創造している訳です。
そしてこの事で
大人の自分が生きにくい、苦しい、悩む事になるのですが、
この生きにくい、苦しい、悩む事自体が
インナーチャイルドのそれらである訳です。
インナーチャイルドが現実創造をする事で
大人の自分が創造された現実を通して、
インナーチャイルドの氣持ちを共有できる仕組みとなっています。
それでですね。
大人の自分が精神的に疲れていると
たとえば、
些細な事でもイライラしたり、
他者に寛容になれなくなっていたりします。
この事で
現実世界ではうまくいかない現実が創り出される。
生活や仕事でイージーミスをしたり、
人間関係が悪化したり、
のようなうまくいかない現実が起きます。
この時に、
内面の自身の疲労を
外界から知る事ができる訳です。
この事は
アダルトチルドレンに該当する人だけに起きるものではありません。
魂がインナーチャイルドであるならば
人間誰しもに魂もインナーチャイルドも存在する訳です。
そして、
魂(インナーチャイルド)が傷付いているとか癒されていないとかに関係なく、
誰しも内面が疲れるという事は起こり得ますから、魂(インナーチャイルド)が内面の疲労を知らせる為に創り出す現実というのは在ると言える訳ですね。
それで
僕はようやく内面にインナーチャイルドとしての魂の存在を見出して、空洞だった僕の中に自分自身を認める事ができたんです。
その事で、初めて【自己対話】というものが成立したんです🌟
これまで自分と向き合う事をしていても、
どうしても良く分からないものだったのです。実は😅
【自己対話】不可能とは
対話すべき対象が中にいない
という事です。
ですから、僕の場合は
外にいる他者と対話するようになりました。
ここでの“対話“とは
実際に口頭で話しをするだけではなく、
先の《顔色を伺う》というものも
他者との対話に入ります。
内面に自分がいればこそ
《自身の顔色を伺う》
という形の自己対話も成立するのですね。
《顔色を伺う》と言うと聞こえが悪いかもしれませんが、要は自身の内面の疲労にも顔色を伺う事で氣が付く事になるのです。
『今日は少し顔色が悪いね』
って自分の心の状態が分かるんですよ🙂↕️
セルフケアをするにしても
大前提として
セルフが無い事にはどうする事もできませんでした。
セルフラヴ(自己愛)しようにも
セルフ(自己)を見つけられていない内には
愛しようがありませんでした。
自分が無ければ
自分が何がしたいのか
という事まで分からないものです。
夢も希望も待てないのですね。
あるワークで
自分がやりたい事を100個書き出す
というものがありました。
メジャーなワークなのでしょうか
人生で3回くらい別の場所で
このワークに遭遇した事があるのですが、
毎回、3個〜5個くらいで終わってしまうのです。
それも無理矢理に出した数個で
実は大して望んでいないやりたい事なのですね😰
本当に自分というものが無ければ、
自分は未來に何を望むのか
分かりませんでした。
それでいて
僕というのは自己否定がありましたから、
今の自分の現状に幸せや満足を感じていないのです。
それがゆえに
➖幸せになる為に生きよう➖
と思う訳なのですが、
何が自分の幸せなのか
具体的にはもちろん
大まかであったとしても
見定める事ができませんでした。
そうなると
そんな僕であっても大切に思う、
大きくて抽象的な【愛】の概念ですとか
自分も含めた大多数が見えないスピリチュアルの世界などを扱うようになったんです。
これら愛やスピリチュアルは
今の僕の執着ではなくて
自分を宿した僕が今なお、追求しているものですから、
決して自分の無かった僕の時代の妄想とかではありません。
愛もスピリチュアルも万人に共通の學び(愛び)だと僕は思っております。
ですから
愛やスピリチュアルに傾倒したのは不幸中の幸いで、これが変に反社会的思想や活動に傾倒していたらと思うと怖くもなります。
多くは語りませんが、
僕は日本國や日本人の事を強く思う傾向にもありましたからね😅
(※國全体や國民全体というのも大きくて抽象的なものです)
それで
愛やスピリチュアルにしても
やはり
自分軸が必要になる訳ですから
ここの点でも
苦しみはありました。
そして今の僕が発信しているのは
そのような人生経験を踏んで得た
【魂=インナーチャイルド】
という理論になります。
この事が大正解であるなんて申しません。
僕の経験談に過ぎないものですから、
スピリチュアルの苦手な方や
心理學を學んでおられる方が
この理論を受け容れる必要は無いと僕は思っております。
僕としては
この理論の実践を踏んでいる段階にあります。
そして、
その実践を失敗も込みで実況中継のように発信する事で役に立てて下さる方もおられるのかな、と思っております。
つまり
僕もまた実験段階におりますので、
その事も含めて
この理論を信じなくて良いと僕は思っております。
ただ思う事として
たとえば
十年後二十年後とかにこの実験が成功したとして、その時になってからでは、
今を現在進行形で僕のように苦しみながら生きている方に届けても、その方の人生の尺が足りなくなっているケースも考えられる為に、このような実験段階であっても発信しております。
僕の命の尺だって分からない訳です。
既に45歳の僕ですから、エビデンスを待てないな、とも思ってこのような形をとっております。
最近は
僕の中に子供の自分がいるので、
その《顔色を伺いながら》
色々とお話をして樂しんでおります。
大人の僕が不安な時は
僕の理論では
インナーチャイルドの不安とリンクしておりますので、
『不安なんだね。いいよ、いいよ、不安がるのを否定しないよ。その不安な氣持ちは分かっているつもりだからね』
なんて話しかけたり。
不思議とそのように対話をすると
大人の僕の不安も消えるんですね。
この時、不安になる現実の原因が何も変わっていなくても(‼️)です。
まずは
インナーチャイルドとしての魂の自分のその存在とその思いを受け容れる所から、はじめております☺️
テクニック的な知識もありますが、
それよりも
僕のインナーチャイルド(魂)が望んでいるのは
【団欒】という絆であり、温かさであり、情なので、その事を意識して彼と接しています。
【団欒】の性質を思えば
それは独りでは難しいと思う為、
常に心の中の彼と一緒にいますよ😊
長くなりましたね🌳
最後まで
お読み戴き
ありがとうございました🙏✨
またね👋
チャオ❣️
➖僕のインナーチャイルドは
時にインナーベイビーにもなる。
ベイビーのスピリットは純粋ですから
まさに魂そのものの思い➖
祭統 白宇
SHIR㊉W