『プロメア』5周年を迎えて~「燃える火消し魂」は「覚醒」しているか~
1 『プロメア』上映から早5年
今年2024年は映画『プロメア』が上映されてから5年の歳月が経っていることに先日ふと気付いた。時の流れは残酷なものである。5の倍数の周年というのは何となくタイミングがいいというか縁起がいい気がするので、思いつくままノリと勢いのままに改めて『プロメア』布教投稿をしようと思う。5年や若しくはそれ以上の歳月が経っても『プロメア』という作品の持つ圧倒的熱量は変わらないので、もし『プロメア』を知らない人がこの投稿を読んだら『プロメア』を「何とかして観たい」と思ってもらえるようにしたいし、『プロメア』を知っている人がこの投稿を読んだら「久しぶりに『プロメア』熱をキメようかしら」と思ってもらえるようにしたいと願ってこの投稿の始まりとしたい。
2 そもそも『プロメア』とは(※以後ネタバレあり)
ここでは、そもそも『プロメア』を知らない人向けに、改めて『プロメア』という作品について紹介したいと思う。既に『プロメア』については身体が、魂が覚えている・識(し)っているという読者は読み飛ばしてもらっても構わないほどの基本的な情報をここに掲載する。
『プロメア』は2019年5月に上映されたオリジナルアニメ作品である。テレビアニメ『天元突破グレンラガン』(以下『グレンラガン』)『キルラキル』でタッグを組んだ今石洋之・中島かずきが本作でも監督・脚本を務める。アニメ製作は主にTRIGGERとXFLAGが担っている。
ストーリーは30年前に突如世界中で炎を身体から発するミュータントである「バーニッシュ」が現れたところから始まる。炎を制御できずに周囲に炎をまき散らすバーニッシュに対して普通の人類は排他的な感情を抱きつつあり、やがてバーニッシュの中から本能の赴くまま周囲の迷惑を顧みずに炎をまき散らす「マッドバーニッシュ」が現れるようになる。バーニッシュの起こす火災に対して人類は対バーニッシュ火災専用の救命救急組織「バーニングレスキュー」と対バーニッシュ用軍隊「フリーズフォース」を設立し「マッドバーニッシュ」と対峙していた。
そして現在。マッドバーニッシュはもはやリーダーであるリオ・フォーティアと幹部であるゲーラとメイスを残すだけになっていた。本作の舞台となる「プロメポリス」で発生した火災現場に急行するバーニングレスキューのメンバー達。火災現場で逃げ遅れた人々の救命救助活動に勤しむバーニングレスキューの前に現れるマッドバーニッシュの3名の残党達。マッドバーニッシュを捕まえようと張り切るバーニングレスキューの新人隊員であるガロ・ティモスが先陣を切る。ガロは自身の専用のレスキューガシェット「マトイテッカー」を駆り、ゲーラとメイスを捕らえることに成功する。残ったリオを捕まえるためにプロメポリス中を駆け巡るガロ。リオの高い戦闘力によりマトイテッカーの武装を剥がされ丸裸状態にされるガロ。しかし、ガロはあくまで「チームワーク」に徹し他のバーニングレスキューのメンバーと連携することでリオを捕まえることに成功する。
マッドバーニッシュの残党を全員捕まえることに成功したことで、功労者であるガロはプロメポリスを治める首長にして自身の命の恩人でもあるクレイ・フォーサイトから勲章を授与される。ガロは勲章に恥じぬことのないように、そして命の恩人であるクレイへの恩返しとなるように、今後もバーニングレスキューの一員として活動することを誓うのであった。
一方、逮捕されたリオは、バーニッシュの収容施設で先に捕まったバーニッシュの同胞達を確認した後で大規模なバーニッシュ脱出計画を実行していた。リオ達は先に捕らわれたバーニッシュの同胞を助けるためにあえて捕まっていたのである。そして、偶然バーニッシュの避難先を発見したガロと再会するリオ。ガロはリオと再会することでバーニッシュは炎を出せること以外は自分たちと同じ人間であることを思い知らされることになる。そして、リオの口から衝撃の事実を聞かされる。クレイ・フォーサイトが無差別にバーニッシュを捉え人体実験を繰り返しているというのだ。自分の命の恩人であるクレイがバーニッシュに対して非道なことをしているとは信じたくないガロに対して、「そうやって目を背けていろ」と台詞を吐き捨てその場を立ち去るリオ。ガロはリオ達バーニッシュがまた別の場所に避難することを見届けることしか出来なかった。
後日、ガロはクレイの元に真実を問い直しに向かう。そして、意を決したクレイはガロに真実を伝える。このままでは半年後に地球はマグマの上昇により滅びるというのだ。クレイは人類全員を救うことは不可能と判断し、代わりに限られた人類を宇宙船に乗せ、居住可能な惑星に移住する計画を進行していることを告げる。そして、その宇宙船を動かすエネルギー源としてバーニッシュの人体実験をしていることを告白する。クレイから全ての真実を告げられるが、納得の出来ないガロ。「俺が地球の火消しをする」と息巻くガロであるが、クレイは「バカに騒がれると面倒だ」とガロを拘束する。尊敬するクレイが突然自分を拘束することに動揺するガロであるが、クレイは突然態度を豹変させ「ずっと目障りだったんだよお前はぁ‼」と怒声を上げてガロを独房に送り込む。尊敬し「旦那」と慕っていたクレイから裏切られ意気消沈するガロ。「あんたはずっと、俺の英雄、だったのに…」
しばらくして新しい避難先で大人しい生活を送っていたバーニッシュ達。そこにフリーズフォースが突如襲来し再びバーニッシュを捕らえる。対バーニッシュ用の新型兵器により苦戦を強いられるリオ達。何とか敵の隙を突いてリオを脱出させることに成功するゲーラとメイス。しかし、残りのバーニッシュは全てフリーズフォースに捕らえられることになってしまった。捕らえられたバーニッシュ達はどんどんと宇宙船のエンジンに組み込まれていく。
ゲーラとメイスに逃がされたリオは活火山で新型凍結兵器を破壊し、自分の怒りを全て炎に変えてクレイ・フォーサイトに、プロメポリスの住民にぶつけることを決意する。炎の竜となったリオはそのままプロメポリスへ侵攻する。混乱に乗じて牢獄を脱出したガロはバーニングレスキューのメンバーの元に合流し、リオの「火消し」をするために動く。そして、再び激突するガロとリオ。バーニングレスキューのメンバーであるアイナ・アルデビットはガロとリオの二人を誘導し、「氷の泉」で二人の頭を冷やさせることにした。
分厚い氷で覆われた「氷の泉」は、バーニッシュの炎を纏ったリオが不時着したことで氷解し、中から謎の研究所が露わになった。その研究所から出てきた謎の老人がガロとリオの二人を案内する。アイナも二人の後を追って謎の研究所に入る。その研究所の中で3人は衝撃の事実を知ることになる。謎の老人はデウス・プロメスといいバーニッシュ研究の第一人者であった。そして、クレイはデウス博士の助手であったが、デウスの研究成果を全て自分のものとするためにデウス博士を殺害していたのだった。ガロ・リオ・アイナの3人の前に現れたデウス博士は生前彼が作成した彼自身の記憶をベースにしたAIだという。そのAIデウス博士はクレイがこのまま地球移住計画を強行しようとすればその瞬間に地球が崩壊すると語る。そもそも、30年前に地球が平行世界の宇宙と繋がってしまったために、炎を纏った知的生命体=プロメアが特定の地球人類と一体化してバーニッシュが発生したというのだ。そして、バーニッシュが苦痛を味わうほど地球のマグマが上昇していき、クレイが地球脱出のためにバーニッシュを利用しようとしていることは、バーニッシュを苦しめる最たるものなのである。クレイの野望を止めるため、ガロとリオは「デウス・エックス・マキナ」に乗り込みクレイの元に飛び立つ。
はたしてガロ達はクレイの野望を止められるのか、そして、地球の危機を救うことが出来るのか。
…というのが大まかなあらすじである。7割ほどの内容を紹介したが、残り3割は興味があれば是非自身の目で見て体験して欲しい(と言いつつ後で残りの3割についても言及があるものとして記事を読んで欲しい)。恐らくここまであらすじを語っても『プロメア』の面白さが損なわれることはないだろう。だからこそ、映画観で上映していた当時において口コミやSNSで話題になりロングランを記録し、後に「応”炎”上映」や4DX上映等が実施される=既にストーリーが頭に入っている人でも改めて・何度でも楽しめる作品であることの証左となっているのである。
3 『プロメア』の魅力
さて、ここまで『プロメア』のストーリーを長々と語ってきたわけだが、私が、あるいは『プロメア』を観た私達が何故ここまで『プロメア』という作品に熱狂したのか、言い換えれば我々の燃える火消し魂が何故ここまで覚醒したのか、思う存分本能に任せるまま書き連ねていこうと思う。
(1)約2時間に濃縮されたTRIGGER魂
本来テレビアニメであれば2クール(約半年、24~26話)かけて描かれても不思議ではない濃密な熱量の物語を約2時間という短い尺でまとめきったことが、『プロメア』という作品がここまで大きく盛り上がった大きな要因の一つではないかと考えられる。『プロメア』の冒頭20~30分がテレビアニメ1クール目の最終話(第12話・13話あたり)に相当する熱量なのである。ガロとリオが縦横無尽にプロメポリス中を駆け巡る戦闘シーンはめまぐるしくも作画が崩壊することなどなく、むしろビビッドな画面がスピード感と共に良く映えているのだ。この最初のシーンだけでも並の映画ならクライマックスにおいても違和感のないシーンなのだが、この『プロメア』という物語においてはあくまで「序章」なのである。
中盤の盛り上がり所であるリオが覚醒して炎の竜となってプロメポリス中を襲うシーンも見所の一つと言えよう。BGMとしてsuperflyの「覚醒」がリオのテーマ曲のように用いられているのもよりそのシーンを印象深くしている。「バーニッシュはむやみに人を傷つけない」ことを信条としていたリオがその矜持を一度捨て去るほどに深い悲しみと怒りに囚われてしまったことを「炎の竜」という形で具現化されているのがより一層リオの心情を表している。そして、そんなリオの怒りを鎮めるのが熱血火消しバカ(褒め言葉)のガロというのがとても見ていて気分が良い。
こうしたガロとリオの対決が落ち着いた後での、箸休め兼世界の真実が明かされるシーン=デウス博士の研究所のシーンにおいては、クレイが黒幕的存在であること、バーニッシュをバーニッシュたらしめる「プロメア」という存在を明示することで映画『プロメア』というタイトルの意味の伏線回収など真面目なシーンもある一方、アイナの水玉コラに見えるようなカメラワークだったりデウス博士の「まぁ君たちは運が良かったね」的なノリのお笑いパートも欠かせない。この辺りのシーンはデウス博士の声優を古田新太さんが務めていることもあって、TRIGGERというよりはむしろ劇団☆新感線みが強いかもしれない。ラスボスとの最終決戦前に世界の謎が明かされるのは後述する『グレンラガン』や『キルラキル』とも共通する流れであるが、単純な熱血展開で視聴者を楽しませるだけでなくきめ細かな伏線回収もしてみせるのが中島かずき脚本の真骨頂とも言えよう。
そして、いよいよ後半に入ると、当初は対立していたガロとリオが協力してクレイに挑む構図に変わる。当初は対立していた者同士が後半になって手を組むというのは、後述する『グレンラガン』におけるシモンとヴィラル、『キルラキル』における纏流子(まとい・りゅうこ)と鬼龍院皐月(きりゅういん・さつき)の関係を想起させる。また、当初敵対していた彼らの協力関係を印象づけるのは対立するラスボス的立ち位置のキャラクターの存在である。『グレンラガン』でいえばアンチ=スパイラル、『キルラキル』でいえば鬼龍院羅暁(きりゅういん・らぎょう)であり、『プロメア』においてはクレイ・フォーサイトである。何より、クレイをラスボス的ポジションとしてとても印象に残るのは、間違いなく堺雅人さんの演技によるものが大きいことは否定できないだろう。クレイの「悪あがきはぁ、そ~こ~ま~で~だぁーッ‼」という怒声から始まるロボット対決シーンは、『プロメア』という作品のハイレベルだった戦闘シーンを更にもう一段上のステージへと強制的に移行させる。リアルタイムの上映時期において当時のツイッターのトレンドにもなった「滅殺開墾ビーム」をはじめとしたパワーワードの応酬とも言える必殺技がバンバン登場し、登場人物のテンションも互いにどんどん上がっていく。個人的に印象に残っており、かつ好きなシーンとして二度目の「絶対零度宇宙熱死砲」をガロとリオが真っ向から耐えているシーンを挙げる。
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リオ「ガロ、あえて避けなかったようだが、これは一体どういう作戦なんだ?」
ガロ「やせ我慢、やせ我慢作戦だーッ!」
リオ「バカかお前は!!」
ガロ「俺はバカだが地球一の火消しバカだ。今消してやるよ、アンタのくだらねぇ野望の炎もなぁ!!」
リオ「わかったよぉーッ!!」
クレイ「やれるものならやってみろーッッ!!!!」
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このガロとリオのやりとりは、松山ケンイチさんと早乙女太一さん両方のファンならニヤリとするコンビ芸だと思う。個人的にはWOWOWで放映されていたドラマ『ふたがしら』『ふたがしら2』(原作:オノ・ナツメ)での弁蔵・宗次コンビを想起させる。知らない人向けに説明すると、『ふたがしら』とは「でっかいこと」をなしとげるために盗賊一味をぬけた弁蔵・宗次コンビを中心に描かれた時代劇盗賊エンタメである。実写ドラマ版において弁蔵・宗次をそれぞれ松山ケンイチさん、早乙女太一さんが演じており、ドラマの脚本は中島かずき氏が担当している。『プロメア』における上記のガロとリオのやりとりは少なからず『ふたがしら』シリーズの影響を受けているのではないかと想像している。因みに、『ふたがしら2』における早乙女太一さんの殺陣は死ぬまでに是非一度は観てみて欲しいと思う。
話を『プロメア』に戻すと、リオデガロンとクレイザーXが同士討ちになった後、クレイがバーニッシュとしての正体を現してからはクレイ役の堺雅人さんの喉が心配になるほどクレイの声が張り上げられている。特に「救世主だよぉ!人類のぉ!」という台詞は『キルラキル』の第1話における蒲郡苛(がまごおり・いら)の「皐月様に、敬礼ぃぃぃぃぃッ!!」という台詞並の声量である。声優が本業ではない堺雅人さんが本職の声優さんに勝るとも劣らない声の圧を発した貴重なシーンである。声にも一切妥協をしないのがTRIGGER作品の特徴である。
クレイに捕らわれたリオを救出するためガロが新たにルチアから巨大ドリルを装備されたマトイテッカーに乗るシーンでは、『グレンラガン』のセルフオマージュを思わせる。『グレンラガン』の視聴者であれば「ここから先のシーンは無茶を通して道理を通すシーンが現れるのかしら」と予想が出来るかもしれない。クレイからリオを奪還することに成功し、瀕死のリオを救助することにも成功すると、今度はリオの方から「だったら、地球を燃やし尽くそう」というとんでもない提案がなされる。そして、ここぞとばかりに流れる"Inferno"。テレビ版『グレンラガン』27話Bパートで流れる”空色デイズ”や『キルラキル』24話Bパートで流れる”シリウス”並にテンションは爆上がりである。いわゆる「勝利確定BGM」というヤツである。そして、なんだかんだで宇宙・太陽系まで巻き込んで一気に問題を解決する。オタクなら皆大好き「これが欲しかったんだよ、このハイメガマックスカロリーな展開がよぉ!」というヤツである。
最後まで一気に駆け巡る展開は視聴してなかなか体力を使い疲労困憊すること間違いないだろう。だが、その分気持ちの良い疲労感に包まれることの裏返しとも言える。そんな心地良い疲労感を味わえるアニメ作品が、つまりはTRIGGER魂がしっかり注入されているのが『プロメア』と言えるのである。
(2)魅力的なキャラクター達
壮大かつ熱量の大きい物語を進行する上で欠かせないのは、魅力的なキャラクター達である。そんなキャラクターの中でも主に主演を務めた3人のキャラクターに焦点を当てて紹介していきたい。
①ガロ・ティモス
主人公の一人。ぱっと見のキャラクターデザインは『グレンラガン』のカミナに似ている。確かにそう思わせるようなわかりやすい「熱血バカ」な部分と、カミナとは異なる「人の命を救うレスキュー隊員」であるという相反する魅力が同居しているのが、ガロという男の特徴である。
ガロは無鉄砲な熱血バカっぷりがよく目立っているが(火災現場で見栄を切ったりなど)、ただのバカではないところがポイントだ。自分が悪い・間違っていると思ったらすぐさま反省し自分の姿勢や行動を修正し、相手に謝罪まで出来るところがただのバカではないところの一つだ。具体的には、ガロがリオと洞窟で再会する場面で「バーニッシュもメシを食うのか」とリオの逆鱗に触れる失言をしてしまうわけだが、その後にリオから「バーニッシュをなんだと思ってるんだ。バーニッシュも人間だ。」と言われ、当たり前のことに気付いていなかったことに気付いたガロはすぐにリオに対して「すまなかった」と謝罪したのだ。ただの熱血バカなら「犯罪者のくせに偉そうな口きくんじゃねー」的な台詞を吐いて「自分は間違ってねーぞ」的なことを言ってもおかしくはない気もするのだが、ガロはそういったことはせず大人な対応を取ったのだ。そして、一度はクレイに裏切られて失意のままテロリストとして牢屋に閉じ込められることになっても、大火災を目の前にするとすぐにガロの「火消し魂」に火が点いて消火せずには居られなくなるのは当初から一貫しているのも良いし、結局そこからガロの火消し魂が絶えることがなかったのもポイントが高い。それどころか、だんだんただの火消しバカではなく、「地球一の」火消しバカになり、最終的には「宇宙一の」火消しバカと自称するのもとてもガロらしい。
また、ガロの主人公像として「悪を倒すヒーロー」ではなく「人命救助に命を賭けるレスキュー隊員の一人」という側面を強く前面に出しているところもポイントが高い。物語の冒頭でリオを捕まえることが出来たのは、ガロが自分一人の手柄や支分の正義感に安易に捕らわれることなく、あくまで「レスキュー隊員の一員」として動いていたことが印象深い。ガロとリオが1対1で互角の勝負を続けていたが、やがてリオに軍配が上がりマトイテッカーを纏っていたガロはどんどん丸裸にされ、やがてアーマーを全て取り除かれてガロは追い詰められる。しかし、ガロは「俺は、俺たちは、レスキュー『隊』なんだよ」と言い、他のバーニングレスキューのメンバーの準備が整うまでの時間稼ぎをしてみせたのだ。このシーンだけでも、ガロという男は独りよがりな行動をするような人間ではなく、自分がチームの一員としてどういう行動をすればチームに貢献できるか判断することの出来る人物だということがわかる。
なにより、ガロの「レスキュー隊員」としての矜持が発揮されるのは終盤においても変わらない。その証左として、「俺は助けるぜ。リオも地球もアンタもな!」とクレイに啖呵を切るシーンが印象的である。「火消しバカ」として目の前の地球のピンチを救うというだけでなく、自分のことを騙し裏切った、「敵」でさえあるクレイをも「助ける」と言ってのけるガロの器量にはクレイも思わず「私も…?」と反応してしまうほどであった。そして見事その「助ける」という行為を有言実行してみせる。主人公としてこれ以上無いほどの説得力である。おかげで、『プロメア』を鑑賞して気持ちいい気分でエンドロールを迎えられるのである。
昨今の創作物の主人公像として「やれやれ系」だの「俺TUEEE系(俺だけチートで無双系)」だの「どこにでも居る普通の(普通じゃない)○○系」だのといったようなあまり熱量を感じさせない人物像が流行しているように思われるが、ガロのような下手をすると時代錯誤かもしれない熱血系主人公こそが面白い作品を牽引するにふさわしい主人公像と個人的には思うわけである。ただし、熱血バカで終わらない新時代の魅力もあるのがガロという主人公の特性だとも思っている。ガロが如何なる魅力を持っているのか、是非自分の目でも確かめてみて欲しいと思うわけである。
②リオ・フォーティア
当初は主人公のガロと対立するライバル的な立ち位置(『グレンラガン』で言うところの「ヴィラル」ポジションであり、『キルラキル』でいうところの「鬼龍院皐月」ポジションである)としての印象が強いが、実はもう一人の主人公であり、後にガロの相棒になる男である。初登場時はバーニッシュフレアに覆われた鎧を纏っており、マッドバーニッシュのボスにふさわしい立ち振る舞いをしていたが、その実顔は美少年で実際の身長もガロよりは低いという反則的なキャラクターデザインである。しかも、この手のキャラクターにあてがわれる声優さんというのは、大体は少年的な声も出せる女性声優さんという相場が決まっていたりするものだが、この『プロメア』という作品においてリオ・フォーティア役を担ったのは俳優の早乙女太一さんである。クールで格好良い声はリオの持つカリスマ性に説得力を持たせ、後にガロの相棒枠としてこれ以上無いほどに成功していると言える。普段は落ち着いた声をしているのだが、感情、特に怒りが爆発したときに声を荒げるのはもう見ているこちらも何かが覚醒してしまいそうになりそうだ。リオが「許さん、許さんぞ、クレイ・フォーサイト‼」と叫べば、観ている視聴者も「俺らも許さんぞクレイ・フォーサイト‼」と感情が思わず高ぶってしまうものだ。
そして、終盤になってからガロと共にクレイを止めるようになってからはガロの相棒として息の合ったコンビプレイを魅せてくれる。ガロが「デウス・エックス・マキナのデザインが気に入らねぇからやる気が出ねぇ」と言えば即座にガロデリオンを生成してみせるし、ガロが「駄目だ、やっぱり纏(まとい)がねぇと力が出ねぇ」と言えばマトイデッカーを生成してくれる。もうドラえもんならぬ「リオえもん」である。しかも、ガロのノリに「これでいいか」と100%の正解を出してくれるのも相棒としてのポイントが高い。つい先程まで互いに争い合っていた者達とは思えないほどの息の合ったコンビネーションだ。
リオは女性人気の高いキャラクターの一人であり男らしい格好良いシーンもいっぱいあるのだが、後半のガロの相棒枠になってからはこうしたシーンに負けず劣らず可愛いシーンも多い。これはキャラクターデザインの一人である「すしお」氏が意識的にリオの作画を担当したためと言われている。後述するキャストオーディオコメンタリーでは女性キャラクターのアイナより可愛いと言われていたりする。「格好良い」も「可愛い」も「相棒」も「カリスマリーダー」要素も備えた魅力メガ盛りのリオ・フォーティアというキャラクターを存分に味わって欲しい所存である。
③クレイ・フォーサイト
プロメポリスの市政官にしてガロにとっての命の恩人兼「英雄」である屈強な肉体を有している人物。公式ポスターの影の付いた細目というキャラクターデザインに堺雅人が声優を担当しているというメタ情報を組み合わせると、事件の黒幕なのではないかという憶測が思い浮かんでしまうのがオタクの悪い癖なのだが、案の定こうしたオタクの予測は当たってしまう。怪しい雰囲気を纏っていたのは限られた時間の中で限られた人類だけでも救済しようとあがいていたわけなのだが、そのためにバーニッシュを犠牲にしようとする計画がガロの心情と対立したためにクレイは中盤でガロを嫌っていたという本性を現す。そして、終盤でリオデガロンと闘うシーンになってからはクレイが本気100億%で主役のガロとリオコンビに襲いかかってくるというか、主役二人が揃わないとクレイの本気に絶対に押し負けてしまうと感じさせる堺雅人さんの120億%の演技がとにかくスゲぇと言わざるを得ない。TRIGGERとXFLAGの劇場版の本気作画で描いたシーンであっても堺雅人さんの演技が突き抜けてくるようなシーンがいくつかあってビビる。声が作画を突き抜けてくる経験は後にも先にもこの『プロメア』の本性を出したクレイのシーンくらいだろうと思わざるを得ない。
クレイという人物を考察するに当たっては、クレイ役の堺雅人さんのインタビューが印象深く参考になる。堺雅人さんは、パンフレットのインタビューでこのように語っている。
堺雅人さんがクレイをこのように評するのは、実はクレイもバーニッシュであり、強力な自制心で自身がバーニッシュであることを周囲に隠し続けていたからである。バーニッシュとして覚醒してしまうと何かを燃やさずにはいられなくなるという衝動に駆られてしまうのだが、クレイはそれを抑え続けることが出来たというのだ(もっとも、クレイは学生時代の頃バーニッシュの本能を十分に抑えることが出来ずにガロの実家を燃やしてしまうことになるのだが。つまり、ガロをクレイが救ったというのは実はマッチポンプであったのである)。世間的にバーニッシュに対する差別感情が生まれていたこともあるが、クレイ自身もバーニッシュに対して「醜い突然変異」という差別意識があるのであり、しかもそんな「醜い」対象に自分自身がなってしまったというのはどんな気分なのだろうか。これが堺雅人さんの言う「自殺願望」に繋がると思われるのだが、個人的にはこうした自殺願望に加えて、何とか自殺することなく正気を保つために人類を救う「救世主」になることに執着するようになったのではないかと思うのだ。たとえ自分が嫌悪するバーニッシュであったとしても自分が人類を救ったという事実があれば、自分を肯定することが出来るようになるかもしれないと一縷の望みをかけてパルナッソス計画という人類移住計画を強行しようとしたのではないか。そして、限られた人類のみを救おうとするか、地球も人類も全員救おうとするか、この立場の違いによってクレイはガロ達と対立することになる。クレイ自身も地球や全ての人類を救う現実的な方法があればそちらに舵を取ることも可能だったろうが、現実的にそのような方法がないから強行的に大多数を切り捨てる手段に打って出たのである。
最終的にガロとリオの活躍によって地球からプロメアが消え去ることで世界中からバーニッシュの存在もなくなり、世界は救われることになった。その事実を知った後のクレイの「余計なことを…」という台詞は短いながらもとても含蓄を含んだ台詞になっていると思われる。字面だけを見れば「この野郎余計なことをしやがってぐぬぬ畜生」と怨嗟にまみれたニュアンスの台詞にもなりそうであるが、実際にこの台詞を発したクレイの口調は憑き物が落ちたように落ち着いた、優しいニュアンスも混じった台詞になっているように感じられる。本当は自分が世界を、人類を救いたかった。それができないならばいっそ世界など滅んでしまえという意味で「余計なことを」といったのだろうが、ガロが直前に言った「俺は助けるぜ。リオも地球もアンタもな!」という台詞に嘘偽りがないことを証明させられたところに悔しさなり嬉しさなり安堵なりといった感情も含まれているから落ち着いたニュアンスの台詞となったのだろう。この点、もし機会があれば中島かずきのオーディオコメンタリーも聴いてみるとよりハッキリこの時のクレイの心情が明らかになるだろう。
クレイ・フォーサイトはガロやリオの敵、あるいは黒幕的な立ち位置のキャラクターであるが、決して「悪役」とは言い切れない魅力のあるキャラクターである。そして、クレイが魅力的なキャラクターであることに堺雅人さんの力が150%関係しているのは言うまでも無い。
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本編を2時間程度という短い尺の中で収めなければならないので、メインとなるこの3人のキャラクター以外の登場人物についてはなかなか深い掘り下げがされてるとは言いがたいが、その分視聴者に想像の余地が残されていると言えよう。例えば「バーニングレスキューメンバーの日常回をテレビアニメで見てみたい」と思わせるほどに他のキャラクターも魅力的であることは間違いない。
(3)固定観念を覆す「色彩」
『プロメア』を彩る画面がビビットな色彩で表現されているのも『プロメア』という作品を印象づけていることに貢献していると思われる。
例えば、『プロメア』という作品を語る上で欠かせない「炎」を表す色について言及してみよう。通常、炎の色といえば赤かオレンジ色を想定するだろう。ガスコンロの炎の色に着目すれば青色という答えが出るかもしれない。しかし、『プロメア』における炎の色はこうした色に限られず、ピンクや黄色、場合によっては黒といった色が用いられる。そして、後述の「△」といった特徴的な形と合わさることで、既存の様々な炎の演出や表現とは異なる唯一無二の炎の表現に成功しているのである。実際には炎が舞っている描写でも、『プロメア』という作品に係ればまるで桜吹雪が舞っているように見えるシーンも少なからずあるのだ。「炎」という固定観念に縛られない色彩表現が、『プロメア』という作品の面白さを底上げしている。
また、『プロメア』は本編において全体的にビビッドな色彩による映像がふんだんに盛り込まれているが、エンドロールにも色彩表現が秀逸である。エンディング主題歌であるsuperflyの「氷に閉じ込めて」が流れながらキャスト・スタッフの名前が流れる背景の色が、黄色から赤へと次第に変わっていく。アハ体験のように注意してみないと色の変化に気付かないほど自然と背景の色が変化しているのだ。このエンドロールの背景の色彩が変化する表現を「グラデーション・ボーイ」というのだが、最後の最後まで観客を、視聴者を楽しませることに余念が無い。
(4)『プロメア』内における△◇○といった形の意味
『プロメア』の世界観においては図形が散りばめられていることがわかるのではないかと思う。火事で火の粉が舞う描写がなされている際の炎は三角形(△)で表現されることが多い。炎は本来不定形であり、最近のアニメーションでも炎を表現する際はCGを用いてリアルに描かれることが多いが、『プロメア』における炎は「△」という形で表現されることが多い。現実的なリアルさよりも表現としての「△」という「図形」を採用したのだ。また、物語の主な舞台となるプロメポリスは四角形で統一されており、光の反射でさえも四角形(「◇」←このような形)で表現されることが多い。そして、日光も物語の当初は四角形で表現されていたところ、クライマックスを迎える頃には日光は丸(「○」)で表現されていた。このように、現実では形が定まっていないものに特定の図形を当てはめているのには、勿論理由というか意味付けがある。プロメポリス側あるいはクレイ・フォーサイトが統治する体制側がメインのシーンでは四角形(◇)がメインで表現されている。一方、バーニッシュがメインのシーンでは自由の象徴として三角形(△)がメインで表現されている。そして、最終的に水と油が調和の取れた一つの証として丸(○)が印象的に描かれている。
脚本担当の中島かずきはこの△◇○といった表現を「チビ太のおでん」と称していた。チビ太とは『おそ松くん』『おそ松さん』に登場する、おでんを振る舞う人気キャラクターである。そしてチビ太のおでんとは「宇宙の調和」を意味するのだという(哲学)。最初は「△」や「◇」といった自分の所属する陣営によって形も分かれていたものが、物語が収束するにつれて皆が一つになり調和が生まれることで「○」に収まるというニュアンスを含んでいるということである。
『プロメア』を2回目以降で視聴する際には、こうした象徴的な図形にも意識を向けて視聴すると新たな発見があるかもしれない。
(5)音楽・主題歌の力
これまで『プロメア』という作品を映像という観点から評価してきたが、音楽(劇伴)という観点からも『プロメア』という作品を評価してみたい。というより、結論を先に行ってしまえば『プロメア』は音楽も最高である。『プロメア』のOST(オリジナル・サウンド・トラック)を担当しているのは澤野弘之氏である。主題歌である”inferno"を筆頭に数多くの印象的な曲が『プロメア』には散りばめられている。
また、superflyの提供する楽曲もまた印象深い。”覚醒”の流れるシーンはマッドバーニッシュの初登場シーンだったり、リオの「覚醒」シーンだったりと印象深い。また、エンディング主題歌の”氷に閉じ込めて”は全編圧倒的な熱狂に包まれた本編から一転して落ち着いた雰囲気のバラード曲であるが、これ以上無いほどにプロメアの余韻に浸れる名曲である。
何より、メインの主題歌として"inferno"が印象的なシーンで多用されているのが良い。映画『プロメア』のメインタイトルが登場してから最初に"Inferno"が流れるのがプロメポリスの朝方の爽やかな街並みと相まって自然と観客のテンションが上がってしまう。何度も視聴している人の中には最初の"inferno”が流れるシーンで思わず涙腺が緩んでしまうのではないかと思うほどに感情や魂が揺さぶられる楽曲となっていることだろう。そして、序盤での"Inferno"では泣かない人でも、終盤の"Inferno"が流れるシーンではパブロフの犬の条件反射のように涙腺が崩壊せざるを得なくなるのではないだろうか。この物語の終盤でオープニング主題歌波のメインテーマが流れる演出は、『グレンラガン』27話(最終話)Bパートで流れる”空色デイズ”を、『キルラキル』24話(テレビ放映版最終話)Bパートで流れる”シリウス”を想起させる熱い展開である。だいたい最終話のBパートで1クール目のオープニングテーマが流れるアニメ作品は名作である。『プロメア』も無論言うまでも無く名作と言える条件を満たしていると言える。
『プロメア』は映像やストーリー、キャラクター、背景だけでも十分情報量の多い作品であるが、音楽方面もこれらに負けず劣らず魅力的な楽曲が盛りだくさんである。プロメアのOSTは映画本編の映像と合わせて視聴しても良いが、音楽単体で聴いても満足感の高いクオリティの作品達である。ちなみに、私が"Inferno"以外で気に入っている楽曲は、"NEXSUS"と"Gallant Ones"と"WORLDBIGFLAMEUP"と"燃焼ING-RES9"(バーニング・レスキュー)である。
4 私のプロメアの思い出
(1)映画『プロメア』とのファーストコンタクト
2018年の半ばか2019年初頭にかけて劇場予告で『プロメア』の存在を認知した時は、正直そこまで期待値は高くはなかった。『グレンラガン』や『キルラキル』の製作スタッフが集結しているというのは個人的に魅力的だけれども、だからと言ってオリジナルの劇場映画まで成功するかねぇ?というのが率直な感想だった。『グレンラガン』や『キルラキル』が大ヒットしたのはテレビアニメで2クール(約半年、話数にして24~26話)分じっくり描写し尽くしたからこそであり、後に『グレンラガン』は劇場編集版も上映されたが、それでも「紅蓮編」と「螺巌編」と二つに分けて上映されたのであり、これだけの分量の熱量を必要とする作品を90分~2時間という尺で果たして収まるのか?と懐疑的であった。しかも原作もないオリジナルストーリーというのが展開の予想がつかないというのも自分の中で不安を加速させる要因の一つになった。さらに、主役お三方の声優さんが「松山ケンイチ」「早乙女太一」「堺雅人」というキャスティングで、アニメというより「劇団☆新感線」の舞台のようなキャスティングであった。当時は彼らの台詞が入った劇場予告が無かったので、「松山ケンイチ」や「早乙女太一」の声優としての技量が未知数の状態であるのも当時の何も知らない私としてはむしろ不安要素の方が強かった。「まぁ制作費くらいは回収できるかもしれないけど、大ヒットまではしないだろうなぁ」と思っていた。今にして思うとこの時の自分に「歯ぁ喰い縛れぇいッッ‼」と言いつつぶん殴ってやりたくなる気持ちにならざるを得ない。
※ここから先はネタバレ兼上述した内容と重複することをご了承いただきたい。
そんなこんなで2019年5月下旬。気付けば『プロメア』公開第1週目と時が進んでいた。私個人はこの時何をしていたかといえば、3回目の司法試験を終えた直後で暇を持て余していた時のことだった。「そういえば『プロメア』って映画が今頃やってる時期だったなぁ。映画の第1週上映特典もあるみたいだし、それをもらうためにとりま観ておくか」と軽い気持ちで観た。座席は確か前の方だった気がする。この時点で観客の数も多かったような記憶もある。画面を見上げながら、本編の上映が始まった。暗めのイントロから世界各地でバーニッシュが突然発生したことが端的に伝えられる。バーニッシュと非バーニッシュの対立も見られ不穏な雰囲気が残る中、スタイリッシュの演出と共に『プロメア』のタイトルが画面に浮かび上がる。直後、メインテーマ曲の"inferno"が流れた時点で心が掴まれた。爽やかなテーマ曲がプロメポリスの街中を上空から流れていくのがとても晴れやかな気分にさせてくれる。すると、バーニングレスキューメンバーの控え室で出動待機していたメンバーが緊急要請を受けて一気に出動態勢を整える。からの、バーニングレスキューの巨大消防車である「メガマックス」が画面狭しと登場する様は私の中の男の子心を大満足させるものであった。もう冒頭5分の時点で「完成度高けぇなオイ」と評価せざるを得なかった。
そうこうしている内にバーニッシュ火災現場に到着。先に現場で消火・救助活動に勤しむバリスとレミーの時点で既に格好良い。アイナも可愛い(順番が前後したがルチアも癖があってなんか良い)。そして、満を持してバーニングレスキューの主役ことガロ・ティモスの登場である。初見で観た時は松山ケンイチさんのことを全然意識することはなかった。もう松山ケンイチさんが声優として演技しているというよりは、単純にガロ・ティモスが自然に喋っているようにしか聞こえないのである。松山ケンイチさんは声優でも食っていけることが証明された次第である。予告映像の時点で演技に疑問を抱いてスイマセンでした。
そして、”覚醒”と共にマッドバーニッシュの3人が登場するシーンもバチクソ格好良いと思った。それに対してガロはマトイテッカーを纏い、ゲーラとメイスをあっという間に拘束する。その拘束のハイテンポっぷりは『キルラキル』のテンポの速さを想起させると思った。そして、いよいよリオとガロのプロメポリス中を縦横無尽に駆け巡る戦闘のスタートである。カメラアングルも縦横無尽に追従してもガロやリオの作画が崩れないことに感動すら覚えてしまった(よくよく考えたらこのシーンは3Dを活用しているので作画が崩れないのは当たり前といえば当たり前なのだが、違和感を感じさせない3Dを自然と駆使していることに改めて感動してしまうのだ)。リオの剣捌きも見事というか、早乙女太一の動きを見事にトレースしている感じが伝わってきて、感嘆せざるを得なかった。そしていつの間にかリオがガロを追い詰めるシーンに入る。絶体絶命のガロと思われたが、ガロの「俺は、いや、俺たちは、レスキュー”隊”なんだよ」という台詞からのバーニングレスキューのチームワークによってリオの高速に成功するシーンは、1クールアニメの最終話(12話か13話あたり)を想起させる盛り上がるシーンだなと思いつつ、「『プロメア』ってまだ始まったばかりだよね?」とわくわくせざるを得なかった。まだ30分足らずでこの満足感を味わえるのだとしたら、『プロメア』という作品が終盤に差し掛かる頃にはどんな感情と感想が湧き上がってくるのだろうかとゾクゾクしたものだ。
ガロがクレイから勲章を授与され、バーニングレスキューメンバーでピザを食べるシーンは思わずこちらもピザを食べたくなると思ったものだ。食事が美味しそうなアニメ作品は大体名作なのであり、『プロメア』も例外ではないのである。食事シーンの中の雑談で発せられたルチアの「お金になる発明は邪道だよ」という台詞が妙に印象に残った。わずかな台詞からも彼女のマッドサイエンティストとしての矜持が垣間見えるのがキャラクター造形が上手いなぁと思いつつ、バーニングレスキューメンバーの日常回観たいなーと思ったりもした。もっとバーニングレスキューメンバーの深掘りをして欲しいと思ったりした(後に前日譚である『プロメア SIDEガロ』を観たけれど、それでもまだまだ足りないと思った)。
そうこうしている内に、クレイがバーニッシュを人体実験するために善人・悪人問わず「回収」していること、地球崩壊の危機が迫っていること、クレイがガロに怒りをむき出しにしてガロを牢屋に閉じ込めるといったように、クレイの本性や計画が判明したりとせわしなく物語は進んでいく。そして、リオが「覚醒」したシーンは心の中で一緒に「許さんぞ、クレイ・フォーサイトー!!」と叫んだものである。地面が割れ、バーニッシュフレアを地面から噴出させながらプロメポリスに進撃するリオの姿は悲しくも格好良かった。
リオの暴動のおかげで牢獄を脱出したガロは、クレイに裏切られたショックを一度忘れて目の前の火消しに全力で取り組む火消しバカの姿を取り戻す。ガロは「クレイに襲いかかったテロリスト」疑惑をかけられていたのだが、アイナは自分のよく知っているガロが帰ってきたことを心底嬉しそうにしていたのでこちらも観ていてとても嬉しくなった。やっぱり熱血火消しバカはどんな時も熱血火消しバカであってほしいものである。
そうこうしている内にリオとクレイが対峙する。リオの暴走に対してクレイが何か秘策を繰り出そうとしていたところにガロが割って入る。再びガロとリオの一騎打ちが始まる。戦場はアイナの駆る救命飛行機「スカイミス」の格納庫内に移る。二度目のガロとリオの戦いはシンプルな殴り合いである。最初の出会いの時とは異なり、お互いに真実を知り、互いの信念をぶつけ合うように殴り合う。そして、二人の殴り合いはアイナが二人を氷の泉に落とすことで終結する。すると、氷の泉は実は秘密の研究所であることが明らかになり、デウス博士がガロとリオとアイナを研究所に導きいったん物語は落ち着きを見せる。ここまででもジェットコースターに十分乗ったような感覚を味わっているわけだが、これでもまだ物語は半分くらいである。
デウス博士が登場し、世界の真相=プロメアの正体について解説を加えたことで物語はいよいよ佳境に入っていく。「デウス・エックス・マキナ」が登場したことで「これグレンラガンっぽいロボットバトルが展開されるんじゃね?」と思ったらまさにその通りとなった。ただ、『プロメア』は視聴者の予想通りに展開を進めても期待は常に超えてきたのである。その証左としてクレイが本性をむき出しに「悪あがきはそこまでだーッ!」と叫んだ辺りから『プロメア』という作品のギアがまた一つ上がったことを確信した。「さっきの覚醒リオとの勝負も相当熱量のあるシーンだったけれど、アレをさらに超えるってのか!?」と驚愕したがまさにその通りとなった。「滅殺開墾ビーム」というパワーワードが爆誕し(しかも「滅殺開墾ビーム」という文字が物理的に残る演出も笑いを誘った)、仕舞いには「絶対零度宇宙熱死砲」なるものまで登場する始末。「瞬砕パイルドライバー」の説明をした時のクレイの「その程度の装甲など、紙、同然!!」と叫んだシーンでは、私は堺雅人さんの声の演技あるいは声量がカロリーの高い作画を超えてしまったのではないかと思ってしまった。私は色んなアニメや映画を観てきたがこんな経験をしたのは初めてであった。
リオデガロンとクレイザーXが相打ちになった後でさらにさらに『プロメア』という作品のボルテージが上がる。クレイの正体がバーニッシュであることが判明すると、堺雅人さんの声量もさらに限界突破した感じになる。私が堺雅人さんが出演したドラマでちゃんと観たことがあるのは『リーガルハイ』と『半沢直樹』シリーズであるが、そのどちらも堺雅人さんが声を張り上げるシーンがあり、その声量を仮に「レベル5」とするなら、『プロメア』の堺雅人さんは「レベル6」に到達していると率直に思った。堺雅人さんの喉はいよいよ死ぬのではないかと心配にもなった。そして堺雅人さんの声量に比例するようにクレイの顔芸もどんどん凄いことになっていった。
リオがプロメテック・ポッドに収納され、再び宇宙船パルナッソス号が起動し始めワープゲートが開くと共に地球崩壊のカウントダウンが近づいてくる。ガロはリオと地球を救うためにもう一度クレイのもとに突撃をかまそうとする。そんなガロをサポートするためルチアは新たなマトイテッカーを授ける。新型マトイテッカーは『グレンラガン』を観ていればおなじみの「ドリル」スタイルであった。「なんかわからんがこれで勝つる!」と思ったものである。熱血バカにはドリルがよく似合う。「どりゃー!!」と再びクレイの元に突撃するガロ。しつこいガロにクレイは「消えろ!」と言うが、火消しバカのガロは「消すのはこっちが本業だ!」と上手い返しをする。こういうクレバーなところがあるのがガロの魅力であると再確認したものである。クレイの炎に包まれるも、リオの炎に再び守られクレイの攻撃を耐えるガロ。そしてガロはこう宣言する。「俺は助けるぜ。リオも地球もアンタもな!」と。「私も…?」とクレイは戸惑う。「助ける」とは言いつつも、それはそれとして一発クレイをぶん殴るガロ。それくらいはしてもいいと思った。一転、急いでリオの救命行為に移るガロ。心臓マッサージだけではリオを救助できないと観るや、ガロはバーニッシュの炎を口に含みリオとマウス・トゥー・マウスで炎を移植することを試みる。京アニ制作の水泳アニメ『Free!』では男子高校生同士の人工呼吸をするためのマウス・トゥー・マウスは未遂で終わったが、『プロメア』はその辺りを日和らないで真摯に救命行為を描ききったことに心の中で賞賛の拍手を送った。ガロの救命行為が功を奏してリオは息を吹き返す。そしてリオはガロに対して「だったら、地球を燃やし尽くそう」と火消しバカならぬバーニングバカみたいな提案をする。リオはプロメテック・ポッドにつながれた際にプロメア本体の意志とも繋がったことで彼らの本当の声を聞き、彼らの望みを知ったのだ。プロメアは今の状態では不完全燃焼であるから、バーニッシュの力を全開にして彼らを完全燃焼させればいいと提案する。「今度は、ガロデリオンに乗って!」という台詞によって、更なる期待がまだ『プロメア』という作品に残されていることを思い知らされる。リオの呼びかけに応じて、バーニッシュ達が自分の意志で全力で自分の中のプロメアを完全燃焼させる。プロメテック・ポッドに強制的につながれて無理矢理燃焼させられたときの炎の色は赤色がかっていたが、完全燃焼しているときの炎は海のような水色をしていた。そして流れる”Inferno"でこの作品の完全勝利を確信する。プロメアが完全燃焼していることで生じた「青い炎」は世界を洪水のように覆い尽くす。その青い炎を浴びたアイナ達は「この炎、熱くない」と温かい感想を述べる。観ているこちらも何だか温かい気持ちになった。そして、ついに地球よりもでかいサイズとなった「ガロデリオン」のお出ましである。どこかで見た構図の気もするが、そんなことはもはや気にしない。ガロとリオ、二人合わせての「燃えて消すぜ!」の声と共に一惑星が完全燃焼し、不完全燃焼気味のプロメアの赤い炎に包まれていた地球が本来の青い姿を取り戻した時は、『宇宙戦艦ヤマト2199』でコスモ・リバースによって地球が元の姿に戻ったような爽快感を得たのを覚えている。
こうして、完全燃焼を果たしたことで地球上からプロメアはいなくなり、同時にバーニッシュという人種も元の人間に戻っていく。クレイはそのことを知り「余計なことを…」と言うが、その声色はどこか憑き物が落ちたような落ち着いた雰囲気を出していたと記憶している。クレイは敵役ではあっても根っからの悪人ではなかったのだと気付いた。そして、瓦礫の跡でガロが「よく燃えたなー!こっからだぜ」という台詞を言ったことで、物語はいよいよ終わりを告げ、そして心地言い終わりを告げてくれると知る。リオはそんなガロの姿を見て「お前、やっぱりバカだな」と言う。それを受けてガロは「俺は宇宙一の、火消しバカだ」という台詞を返し、ガロとリオがグータッチをするところで本編は終幕となった。瞬間、流れる"Inferno"で締めるエンディング。最高の終幕と言うほかない。短縮版"Inferno"と共に流れるキャスト紹介画面でガロ役が「松山ケンイチ」ということを知らされると、やはり初見では驚かざるを得なかった。すでに何度も書いていることの繰り返しになるが、言われなければ松山ケンイチさんがガロを演じているとは到底気づけないのである。それほど松山ケンイチさんはガロというキャラにはまっていた。キャストの文字がプロメア仕様になっていたのはキャストに対する製作スタッフの心意気だろうなと感じた。プロメアに出演したキャストはこれを見ていたら相当嬉しいだろうなと感じた。そして、本来のエンドロールと共に”氷に閉じ込めて”が流れる。何故だかわからないが何となく映画の『クレヨンしんちゃん』のエンドロールを観ているようなどこか落ち着いた雰囲気を感じ取ってしまった(共感してくれる人はいるかしら)。
そんなこんなで、圧倒的熱量と満足感を迎えて最初の『プロメア』鑑賞は終わった。1回目を観終わってからもう早く2回目を観たいと思い、また、上映2週目の特典も欲しいと思ったので、上映2週目も観に行った。既に一度は観に行ってストーリーは大体頭に入っているはずなのに満足感は変わることはなかった。3回目くらいまでは初めて観に行ったのと同じ心持ちで『プロメア』という作品を心の底から・魂の底から愉しんでいたと言える。
上映1週目と2週目の特典であった『プロメア』本編の前日譚である「SIDEガロ」や「SIDEリオ」の特別上映を加えた『プロメア』の上映や、4DX版『プロメア』上映など何度観ても飽きない工夫を凝らしながらプロメアはロングラン上映を続けていた。そして、この次に紹介する「応”炎”上映」もまた忘れられない印象深い上映となったのである。
(2)『プロメア』応”炎”上映の思い出
コロナ禍が猛威を振るっていた時期はそもそも不要不急の外出が自粛されるというムードが社会を覆いつくし、映画に限らずライブやイベントといったものも中止されたり、実施されるといっても無観客配信という形式で行われたりといったように、エンターテイメント業界としては「寂しい」では言い表せないほどの「厳しい」状況を迎え、徐々に規制が緩和された後でも映画はしばらく静かに鑑賞することが推奨されたりもしていた時期があったりしたものである。しかし、コロナ禍前に上映された『プロメア』はオリジナル映画でありながら口コミやSNSで観客を増やしていき、公開期間が徐々に延びてロングランを記録し、そして、観客の声出し・サイリウム点灯あり・何ならコスプレもありの「応援上映」が印象的な作品であったとも言える。『プロメア』の応援上映は応援の「援」の字が作品の世界観に合わせて「炎」となって「応”炎”上映」とされているのである。
『プロメア』の応”炎”上映は劇場の上映が始まる前から既に始まっていたのだ。私はコスプレ界隈には全く詳しくないからどうやってコスプレ同士が集まるのかよく知らないのだが(多分当時のツイッター等SNSを駆使してコミュニティを作って情報収集や参加表明などしているのだろう)、そこには『プロメア』の登場人物がそこにいた。生のコスプレを見る機会はそう多くはないのだが、間違いなく言えるのは、映画館にガロが、リオが、アイナが、ゲイラやメイスがいたということだ。まるで映画本編のシーンから飛び出してきたかのようなクオリティだった。何故かリオが二人も出てきたがどちらも本物と言って差し支えないクオリティだった。ガロに至っては髪の毛が逆立っているのも忠実に再現されていた(後ろの座席の人の視聴の妨げにならないか劇場スタッフと若干困った感じになっていたようだが何とか穏便に解決したようだった)。
そんなこんなで応”炎”上映がスタートした。冒頭の各国におけるバーニッシュの発生地点が字幕で現れる度に「トーキョー!」「サンフランシスコー!」「パリー!」といった合唱が始まる。こうした一体感が生まれるのが応援上映の魅力である。
応援上映は既に一度は作品を観に行った事のある人向けのコンテンツなので、頭の中に登場人物の台詞や劇中歌を覚えてしまっている人も多数いる。そのため、各々の印象的なシーン・好きなシーンで好きなようにキャラクターの台詞に合わせて同じように台詞を暗唱したり、挿入歌や主題歌を合唱したりと、想い想いの「応援」を行っている。
『プロメア』応”炎”上映において全国のどの劇場でも共通する特に印象的なシーンは、リオの素顔が初めて露わになるシーンで「キャー!!」という黄色い歓声が沸き上がることと、ガロがリオの救命救急行為に成功し、リオの意識が戻ったシーンで誰も余計な声援を発することはなくただ粛々とパチパチと拍手が湧き上がることである。また、クレイが初登場するシーンでは「旦那ァ!」「旦那ァア!!」とわざと囃し立てたり、バーニッシュのじいさんが初めて出てきた時は「クソジジー!」等と罵倒するシーンも印象に残りやすい情景だろう(もっとも、『プロメア』公式アナウンスにおいて、「キャラクターやキャスト・スタッフに対する誹謗中傷表現はやめましょう」というアナウンスなされたことで、バーニッシュのじいさんに対する罵倒はなくなった。後述するキャストオーディオコメンタリーにおいて声優の稲田さんはジジイに対する罵倒はヒールレスラーに対するヤジみたいなノリで残しても良かったのではないかと発言されていた。表現の自由と誹謗中傷の見極めが試されるシーンだと個人的に思った)。
個人的に参加した応"炎”上映で一番印象に残っているのは、クレイがバーニッシュの人体実験をしていることをリオから知らされたガロが、勲章をクレイに返却するシーンである。執務室でクレイが「(勲章を)返したい?」と発言したのに対してすぐさま「倍返しだ!」と『半沢直樹』の名台詞を大声で突っ込んだお客さんがいて、思わず爆笑してしまった。これくらい気の利いたことを言える人間になりたいと思ったものである。あと、これはどこの劇場でもお約束というか、暗黙の了解なのかもしれないが、物語の終盤でガロがリオの人工呼吸をしてリオが意識を取り戻すシーンでは、観客は全員リオが息を吹き返すまで固唾を飲んでおり、リオが無事に意識を回復した時には拍手が巻き起こった。とある界隈ではこのシーンは声を出したいシーンであろうに声を出して興奮するといった無粋な真似はせず、素直に救命救急行為が成功したことに拍手を送るのは観客のマナーが良いなと思ったものである。
また、応”炎”上映ならではの現象も発生しているようであった。私は直接体験したわけではないが、どこかの劇場の上映において、エンドロールの映像が途中で止まるといったアクシデントが発生してしまったようなのだ。それに対してその場にいたお客さんが取った行動というのは、本来のエンドロールの色が段々変わっていくのに合わせて手持ちのペンライトの色を黄色からピンクに適切なタイミングで変えていくという行動を取ったというのだ。劇場に通い詰めた人がなし得る神業である。このエピソードは後述する『プロメア』初回限定生産版DVD/BDのオーディオコメンタリーで触れられているので、よろしければそちらを確認していただきたい。
作品によって「応援上映」の細かい文化は異なるものの、基本的には他人を害さない限り各々の自由な形で「応援」するのが応援上映のしきたりである。強いて言えば、声出しありの上映形態が多いので、初見でじっくり話に集中したいという人は応援上映会は割けた方が良いと思われる。逆に、既に何度も同じ作品を鑑賞している人にとっては、名前も顔も知らない人たちと自分の好きな作品で一つになれるという貴重な体験になる上映会とも言える。そして、『プロメア』の「応”炎”上映」は、観客も一体となって劇中のバーニッシュのように完全燃焼できる貴重な機会なのであった。もし『プロメア』のリバイバル上映が敢行されるなら、是非もう一度応援上映も実施して欲しいと願うばかりである。
(3)『プロメア』初回限定生産版DVD/BD
『プロメア』の劇場公開もついに終了してしまい、一時期プロメアロスに陥っていたたわけだが、『プロメア』のDVD/BD販売が決定して、これは絶対買うべきだと心で決めた時には、既にアニメイトで予約の内金1000円を入金していた。
そんなこんなで月日は経ち、初回限定生産版『プロメア』DVD/BDを手に入れることが出来た。早速本編ディスクを再生する。劇場で6,7回は観たはずだが、良い映画は何度観たって良い。たとえ映画のスクリーンと比べれば小さなテレビで観ることになったとしても良いものは良いのだ。何なら自宅ではいつでもセルフ応援(炎)上映もやろうと思えばいつでも出来る。なんと自由なことか!そうこうしている内に、あっという間に本編ディスクの再生が終了してしまった。そうなれば、次にすることはオーディオコメンタリーを再生することである。本編の台詞や話の流れは既に頭に入っているから、オーディオコメンタリーは全く問題にならない。
①キャストオーディオコメンタリー
最初のオーディオコメンタリーは、バーニングレスキューメンバーのキャスト陣と中島かずき氏によるオーディオコメンタリーから視聴した。主役級の三人の役者さん(松山ケンイチさん、早乙女太一さん、堺雅人さん)のアフレコとその脇を固める声優本業キャスト陣とのアフレコは別々に行われたようなのだが、中島かずきさんの後者に対する信頼が「いつもの感じでお願いしまーす」という言葉に表れているのが印象的だった。『グレンラガン』や『キルラキル』に出演したことのあるキャストなら皮膚感覚で中島かずきさんの言わんとしていることが理解るのだろうが、『プロメア』で中島かずきさん初めて仕事をすることになったアイナ役の佐倉綾音さんは「いや私は初めてなんですけど!?」と思わず叫んだそうである。その佐倉さんの突っ込みで同じく中島かずきさんと初めて仕事をすることになった小山力也さんや楠大典さんは内心助かったような様子を見せていたという。そんなアフレコの裏話もありながら、割と緩い雰囲気でオーディオコメンタリーは進んでいった。
バリス役の稲田徹さんは密かに「応”炎”上映」に参加していたのだが、声を出すとすぐにバレるというので声を出すのは控えていたというエピソードの披露があり、中島かずきさんからは「稲田さんは声に特徴があるからガヤ役からは外されるよね」的な話もうかがえた。そして、稲田さんは「堺雅人さんの演技が凄いという声が同業者から聞こえてきて、最初は嬉しいと思ったが、段々声優が本業の自分としては嫉妬しなきゃまずいんじゃないか」的な話が聞こえてきた時は声優というのは職人業なのだなと改めて思い知らされた。稲田さんも相当なベテラン声優であるし、役によっては『プロメア』の堺雅人さん並みに声を張り上げる演技もするだろうに(それこそ『キルラキル』の蟇郡苛(がまごおり・いら)など)、それでも本業が声優でない人に演技で負けるわけにはいかんとプライドを持っていると知れるので、稲田さんファンや声優業界が好きな人は是非一度はチェックして欲しいと思う。
②スペシャルオーディオコメンタリー
続いて、松山ケンイチさんと中島かずき氏と今石洋之監督のスペシャルオーディオコメンタリーを視聴する。いきなり『プロメア』とは無関係な話からスタートする。曰く、純粋に作品のことだけ話そうとするとじっくりそのシーンを観てしまい結局何も喋れなくなるから、あえてその作品に関係の無い話をするのだという。そんなわけでこれまた緩い雰囲気でオーディオコメンタリーが始まる。他の声優さんがいるオーディオコメンタリーではボケに回りがちな中島かずき氏も、今回の松山ケンイチさんを交えたオーディオコメンタリーでは基本的に司会進行に努めていたような印象を受けた。松山さんはマイペースにオーディオコメンタリーを続けていく。『プロメア』以上に、松山さんが出演した他の映画の役作りや劇団☆新感線の裏話が色々聞けてむしろお得感があるかもしれない。
色々な舞台や映画に出演経験のある松山さんも『プロメア』のアフレコでは疲労困憊したというエピソードが披露された。松山さんは普段の舞台稽古からボイトレもしており舞台でも潰れたことはなかったが、「それだけだと今石監督の求めるものには到達できないのでは?」と、限界以上の力を出したという。それほど『プロメア』の収録はエネルギーを使う現場だということが窺い知れるエピソードである。そのおかげで我々視聴者は大いに『プロメア』という作品を楽しませてもらっているわけだが。
また、堺雅人さんの演技をブースの中で中島かずき氏は爆笑しながら見ていたらしい。何それ超絶見たいんですけど。羨ましいんですけど。まぁ、制作者の特権ということか。しかし、何かしらの方法で堺雅人さんのアフレコ映像が公表されないかしらと思ったものである。
そして、私がこのオーディオコメンタリーで印象に残ったのは、松山ケンイチさんが『蒼の乱』に出演した際に『グレンラガン』が心の支えになっていたが、『髑髏城の七人』に出演する際には『グレンラガン』という心の支えがなくても大丈夫なようになっていたというエピソードである。中島かずきさんは自分が手がけた『グレンラガン』という作品が「心の支えになっていた」という話を他の役者さんからも聞いたことがあったようで、それがどういうことか松山さんに質問していたのが興味深かった。松山さんは『グレンラガン』を自分の中に火を着けてくれた、心の栄養になる作品と捉えていた。我々に色んな形でエンタメを届けてくれる役者さん・キャストさんも我々視聴者・観客と同じことを考えるのだなぁと身近に思った瞬間である。
③スタッフオーディオコメンタリー
そして、今石監督を中心としたスタッフオーディオコメンタリーも視聴した。こちらは、完全に裏方のスタッフさんの裏話がメインとなる話なので、将来アニメーターを目指す人にはもしかしたら一聴の価値はあるかもしれないが、基本的には「ためにならない」・「コアユーザー向け」のオーディオコメンタリーである。具体的には、冒頭アバンを記録映像風にモノクロにしようか、色をつけようか相談がなされたり、火災現場のシーンではあっても他の映像作品との差別化を図って一色にはしないように拘ったりしているなど、裏方ならではの詳細な設定や裏話、拘りがたっぷり視聴できる。また、映画版の『プロメア』が上映されてからパッケージが発売されるまでにさらに細かい(細かすぎて初見で覧ただけではまったく分からない)修正が加えられており、DVD/BDの販売を経て制作陣はやっと枕を高くして寝ることが出来たそうである。お疲れ様です。
また、観客・視聴者からすると「このシーンについて制作陣は○○という意図を込めてこういうシーンの作り込みをしているのではないか」という感想や考察をネットなどで見かけることがあるそうなのだが、いざ制作陣に話を聞いてみると「単純にキャラが可愛く見えるか否かで決めている」等といった予想以上にシンプルな真実が眠っていたりすることを知ることが出来た。『プロメア』本編で言えばガロとアイナが氷の湖の上で会話をしているシーンにおいて「アイナは白い息が出ているのに対してガロは吐息が出ていない」という描写には何か意味があるに違いないという考察があるらしいのだが、スタッフに言わせれば凄い雑にまとめると「女の子のキャラが吐息を吐くシーンは可愛いから吐息が見えるように演出するが、男の吐息なんて誰も見たくねーだろ」という根も葉もないぶっちゃけた回答が出てきたりする。そういうぶっちゃけた制作陣の裏側まで、骨の髄まで『プロメア』という作品をしゃぶりつくしたくてたまらないと言う方はスタッフオーディオコメンタリーをオンにして『プロメア』のDVD/BDを何度でも再生してみてほしいものである。
余談だが、『プロメア』のDVD/BDには日本語字幕を追加する機能が存在する。この機能をオンにすれば登場人物の台詞だけでなく、挿入歌の歌詞も表示されるようになるのだ。冒頭での"Inferno"の歌詞が表示されるのは自宅で応”炎”上映をする際に役に立つと思われる。既に暗記している視聴者であれば無用の長物かもしれないが、久しぶりに本編を観るときやうろ覚えのシーンがあるとき等は重宝する機能だと思うので、一度は字幕表示してみることをお勧めする。
5 『プロメア』的な作品を求めるなら
既に『プロメア』を知っているならば『グレンラガン』や『キルラキル』あるいは劇団☆新感線の作品を既に知っているという人もいるかもしれないが、『プロメア』が最初のTRIGGER的熱血作品の入り口になったのであれば改めてこれらの作品に入ることを勧める。『プロメア』が2時間程度で摂取できるのに対して、これらの作品は自重し終えるのに時間がかかることがネックになるのだが、『プロメア』が面白いと思えるのならばこれから紹介する作品の面白さも一級品であるので是非視聴してみて欲しい。
(1)『天元突破グレンラガン』
アニメ製作会社自体は「ガイナックス」というアニメ製作会社であるが、そのスタッフは事実上現在の「TRIGGER」と言っても差し支えないメンバーである。テレビシリーズは全27話(私は主人公のシモンが少年である第1部・青年になってからの第2部という2部構成の作品だと思っていたのだが、ウィキペディアを見ると全4部構成と捉える説もあるようである。4部構成とする根拠はアバンのナレーションの口上の変化によるもの、あるいは次回予告の担当キャラクターの変化に伴うものと思われる)、そしてテレビシリーズを再編集した劇場版も公開されるほどの人気作品である。
それでは、以下『グレンラガン』のあらすじを簡単に紹介する。
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人類は獣人に迫害され地下に居住を迫られているという世界観で繰り広げられる冒険譚である。人類の地下集落の一つにジーハ村と呼ばれる集落があり、そこでいつか地上に出ることを夢見る兄貴分の青年カミナと、カミナを「アニキ」と呼び慕っている弟分の主人公シモンが暮らしていた。ある日、ジーハ村の地下で「ガンメン」と呼ばれる謎のロボットを発見し、地上から現れたヨーコという美少女とカミナ達は出会う。この出会いをきっかけにカミナとシモンはヨーコと共に地上を冒険し、仲間達を集めて獣人を倒していき、地上の奪還を目指す。シモンの少年編の前半(『天元突破グレンラガン』を4部構成と捉えた場合の第1部の最後)においてアニキ分であり主人公勢である「グレン団」の精神的支柱であったカミナが死亡するというショッキングな「事件」もあり(カミナが死亡した回のサブタイトルは「あばよ、ダチ公」である)、この回を初めて観た私はショックで『グレンラガン』の視聴を続けようか本気で迷ったほどだ。『プロメア』で例えると、ガロがクレイに裏切られた際に「アンタはずっと、俺の英雄、だったのに…」と言った時のガロと似たような心境であった。どうにか心が折れそうなのを耐えて(正直に言えば我慢して)視聴を続けたが、その判断は正解であった!なぜなら、『グレンラガン』という作品の真の主人公はシモンであり、シモンが覚醒してからが『グレンラガン』の本番だからである。
「穴を掘るなら天を突く。墓穴掘っても掘り抜けて、突き抜けたなら、俺の勝ち!オレを誰だと思ってやがる。カミナのアニキじゃない。オレはオレだ!穴掘りシモンだ!」
このシモンの口上を初めて聞いたとき、シモンの中で確実にカミナは生き続けている、カミナの肉体は死んでしまったけれど、その魂は間違いなくシモンの中で生き続けていると確信してやっと安心できた。そこから『グレンラガン』という作品も勢いを取り戻し、ついには獣人の王であるロージェノムまでも倒し、シモンの少年編は終わる。
それから7年の時が過ぎる。少年だったシモンはカミナにそっくりな青年となり、人類を地上に解放した英雄として慕われていた。人類は獣人に迫害されていたことなど忘れ自由と平和と繁栄を謳歌していたが、地球人類の総人口が100万人に到達したときに事態は一変する。宇宙から「アンチ=スパイラル」と名乗る存在から危険因子と判断され、人類は再び危機に陥ろうとしていた。かつて人類を地下に押しとどめていた獣人=螺旋族の一つは、かつてアンチ=スパイラルに戦いを挑み敗れた過去があったのだ。アンチ=スパイラルに目をつけられないように獣人はあえて人類を迫害し地下に追い詰めていたのである。地球人類は「アンチ=スパイラルと闘う派」と、「アンチ=スパイラルと闘うのを避け地球を脱出する派」に分裂してしまう。地球滅亡の危機にさらされ混乱する中、半ば強引に限られた人類だけを選び地球脱出を試みるもアンチ=スパイラルはさらにその先を見据えた攻撃を仕掛けてくる。そんな中、一度は政治的混乱を治めるために収監されていた元・英雄のシモンは再び戦場に赴く。はたして人類の運命は…。
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私が何故『プロメア』の記事で『グレンラガン』を熱く語るのかといえば、うっかり私の筆がノってしまうという悪い癖が発動したというのもあるが、『グレンラガン』という作品が『プロメア』でガロを演じきった松山ケンイチさんの心の支えとなっていた大切な作品でもあるからなのである。この辺りの詳しいエピソードを知りたい方は、是非初回限定版の『プロメア』DVD/BDを購入して、松山ケンイチさんのオーディオコメンタリーを聴いてみて欲しい(と言いつつ上述しているのでよければそちらを参照されたい)。また、『プロメア』の終盤は巨大ロボットプロレスが繰り広げられたりドリルが登場するなど、『グレンラガン』ファンはニヤリとせざるを得ないシーンが満載なので、機会があれば『プロメア』の前に『グレンラガン』を履修することを勧める。
(2)『キルラキル』
『キルラキル』はTRIGGER作品の第1弾としてテレビ放映された記念すべき作品である。『グレンラガン』が「漢の義務教育」的な作品で男性キャラクターが中心に前に出て活躍する作品であるのに対して、この『キルラキル』は女性が前に出て活躍する作品である。しかし、作品としての熱量は『グレンラガン』に劣るところはない。むしろ、良い意味で「暴走」さえしているといえる。作品のあらすじは以下の通りである。
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作品の舞台は本能寺学園。そこは生徒達の実力(物理)によって統治される特殊な学園である。何より特徴なのは、一定の実力のある学生には「極制服」(ごくせいふく)と呼ばれる特殊な制服が与えられ、よりその支配力を強めているのである。そんな本能寺学園に主人公である纏流子(まとい・りゅうこ)が転校してくる。彼女は父親を何者かに殺されており、犯人の手がかりとなる「片太刀バサミ」を持ち本能寺学園生徒会長である鬼龍院皐月(きりゅういん・さつき)に問い詰める。しかし、流子は皐月が差し向けた部下に敗北してしまう。
一度自宅に戻り体勢を立て直そうとする流子。すると、自宅に秘密の地下室を発見し、流子はそこで喋る制服である「鮮血」(せんけつ)と出会う。鮮血を纏い再び本能寺学園の皐月の部下に挑み勝利する流子。流子は皐月から「父の死の真相を知りたければ、ここまで来い」と挑発を受ける。こうして、流子は皐月が支配する本能寺学園の生徒である一つ星~二つ星極制服を着用した生徒達や、三つ星極制服を操る本能寺学園四天王との戦いに挑む。しかし、この流子と皐月の戦いは人類と「服」との戦いの前哨戦にすぎなかった…。
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『キルラキル』の語るべき特徴は色々ある。まずは圧倒的テンポの速さだ。そのテンポの速さを端的の物語っているのがいわゆる「総集編」と呼ばれる話である。他のテレビアニメではたまにこれまでの話を1話にまとめた総集編が途中で挟まれ、後編の製作の時間稼ぎがなされることが時々ある。しかし、『キルラキル』の総集編はそんなヤワなことはしない。何と『キルラキル』の総集編はテレビアニメのAパート前に放送される、いわゆる「アバン」と呼ばれる部分で全てを終わらせてしまうのである。映像や話自体のカロリーは高いのにテンポが速いからスルスル視聴できてしまう。それが『キルラキル』という作品の魅力の一つであり、このテンポの良さのノウハウが『プロメア』に活かされているのは間違いない。
また、『キルラキル』は『グレンラガン』と打って変わって女性キャラがよく前に出てくる作品である。主人公である纏流子・鬼龍院皐月と二人の母親(実は流子と皐月は姉妹であることが終盤明かされる)でありラスボスの鬼龍院羅暁(きりゅういんらぎょう)とメインで登場するのは全員女性である。そして、この構図を見て私は「この作品は人類を巻き込んだ壮大な母娘(おやこ)喧嘩を描いている」と思ったのである。「自分の思い通りの理想の娘になって欲しい」という母親の願望が母性的暴力へと変容し(その象徴として理想の「服」=人類を支配しようとする生命繊維入りの極制服を着させようとする)、それに対して娘達が「母親の都合の良いようになってたまるか」とあがく様が描かれていると思ったのである。そして、そんな母と娘のいざこざに入ってくるのが、娘である纏流子の友達ポジションである満艦飾マコという『キルラキル』という作品を体現している「わけがわからない」存在なのである。だが、この「わけがわからない」物の存在が何より大切で強いのだと描かれており、「世界の命運と同じくらい明日の(女友達同士の)デートが大切」という感覚も良い意味で女子らしい作風である。「父と息子のわだかまり」という物語の構図は古今東西の創作でありがちだが、「母と娘のわだかまり」、とりわけ「母性の孕む暴力性」を描いた作品がどれだけあっただろうか。まして、デレビアニメでそれが描かれることがどれ程あっただろうか。そういう意味でも、『キルラキル』は一見の価値のある作品だと思っている。
その勢いとノリの良さに魅了され、時には笑い、気付けば最終回で泣いているはずである。この『キルラキル』というテレビアニメ製作で培った経験が『プロメア』に活かされている事は想像に難くない。
そして、『プロメア』のバーニングレスキューのメンバーの大半とクレイの側近ポジションにいるキャラクターは『キルラキル』にも出演したキャストで固められているので、声優つながりで『プロメア』を鑑賞するのもまた一興である。
(3)劇団☆新感線作品
劇団☆新感線作品は数多くあるので、全てを観ろとは言わない(私自身も劇団☆新感線作品を全て網羅しているわけではない。「ゲキ×シネ」上映されている作品をたまに観る程度である)。ただ、その中でも2000年代後半以降の中島かずき脚本・いのうえひでのり演出作品は比較的TRIGGER作品のノリに近い作品ではないかと思っている。そういうわけで劇団☆新感線作品で一番に勧めたいのは『五右衛門ロック』シリーズである。シリーズものではあるが、基本的にどのシリーズから観ても楽しめると思う。天下の大泥棒こと石川五右衛門が「人間のさもしい欲望を頂戴する」という名目で日本や、時には海外に出向いて大立ち回りを演じるというものである。主演の古田新太さんだけでなく、個人的には第2作『薔薇とサムライ』の天海祐希さんや神田沙也加さん、第3作『五右衛門ロック3』の三浦春馬さんや蒼井優さんが印象的である。
『プロメア』に出演したキャストを劇団☆新感線で観たいというのであれば、『蒼の乱』をお勧めする。松山ケンイチさんと早乙女太一さんが二人とも出演している作品であり、松山ケンイチさんが初めて劇団☆新感線の舞台に立った記念すべき作品でもある。とはいえ、私の記憶が正しければ『蒼の乱』は『プロメア』のようなハッピーエンドではなかったような気がするのでその点は注意が必要と思われる。ちなみに、松山ケンイチさんは『蒼の乱』の楽屋で『天元突破グレンラガン』を観てエネルギーをもらっていたという逸話がある。また、松山ケンイチさんと早乙女太一さんが揃って出演しているわけではないが、別公演で出演していた作品として『髑髏城の七人』というシリーズがある。基本的なストーリーは同じであるが、出演者が異なるので、登場人物のニュアンスの違いを楽しめる作品である。
なお、厳密に言えば劇団☆新感線の作品ではないが、中島かずきが脚本を務め、松山ケンイチ・早乙女太一ダブル主演という実質劇団☆新感線作品とも言えるWOWOWドラマ作品である『ふたがしら』シリーズが実写でありながら一番ガロとリオのコンビを想起させる作品なので、こちらの視聴もオススメする。
6 新しい『プロメア』の楽しみ方~「同時上映会」のすすめ~
ここ最近の映画で公開された作品は、地上波放送やWOWOW等の衛星放送によるテレビ放映だけでなく、アマゾンプライムなどのサブスクを利用してパソコンやタブレット、スマホで視聴することも当たり前となっている(なお、私はこうしたサービスを利用したことはない)。
そして、こうしたネットサービスの充実によってまた新たな形での映画の視聴方法が生み出された。それは、「配信者による映画の同時視聴」というコンテンツである。Youtubeなどのプラットフォームを用いて配信者のリアクションや解説を加えながら映画を視聴するという、いわば「非公式オーディオコメンタリー」である。例えば、Youtubeで「プロメア 同時視聴」と検索すれば、Vtuberによる『プロメア』の同時試聴会のアーカイブがいくつか見られる。その中で、オススメの同時試聴会のアーカイブをいくつか紹介したい。
①【#生スバル】プロメア同時視聴:PROMARE watching party【ホロライブ/大空スバル】 (youtube.com)
まず紹介するのは、大手VTuber事務所である「ホロライブ」所属の2期生の一人である「大空スバル」さんの「プロメア同時視聴」配信である。何故彼女の配信を取り上げたかといえば、大空スバルさんの初見特有の反応が見ていて楽しいからである(これは他の作品の同時視聴でも同じことが言える)。『プロメア』を見たことがない人はこの大空スバルさんの配信を流しながら何らかの方法で『プロメア』を見て一緒に盛り上がるというのもいいし、既に『プロメア』自体は何度も観てしまっている人でも初見の人間の感想をダイレクトに味わえるという新たなスパイスを得ることができる。大空スバルさん以外にも企業勢・個人勢問わずVTuberによる「プロメア同時視聴」配信がいくつかあるので、新鮮な『プロメア』の感想を漁るためにVTuberの開拓をしてもいいかもしれない。こうすることで、自分の新しい「推し」を発見することになるかもしれないので一度Youtubeで検索してみることをオススメする。
②【🎬同時視聴】限界オタクと観るプロメア【星見まどか】 (youtube.com)
もう一つ紹介するのは、天体・天文学に詳しい学術系Vtuberである「星見まどか」さんの「プロメア同時視聴」配信である。こちらは大空スバルさんなどの配信と異なり、初見配信ではなく既に何度も『プロメア』を摂取している側の人類の配信である。こちらの配信では、星見まどかさんが天体・天文学に明るいこともあってか、『プロメア』の登場人物や固有名詞にギリシャ神話の登場人物等がモチーフとして用いられていることを解説として教えてくれるのでためになる配信である。そうでなくとも私がこのnoteで実践しているような『プロメア』という作品の細かいチェックポイントなども教えてくれる(劇中の「△◇○」の意味や序盤のバーニングレスキューの各隊員のロッカーの中身についてなど)。また、個人的には彼女の同時視聴によって新たな知見を得ることが出来た。それは、リオがバーニッシュの少女であるシーマを助けられなかったのに対してガロがリオの救命行為を成功することが出来たのは、ガロがリオの気道を確保していたこと、すなわち救命行為の知識の有無が二人のバーニッシュの生死を分けたという点である。映像として視聴者に与えられたものが作品の全てであり、「もし・たら・れば」は無粋かもしれないが、あえて言えばリオがガロの言うことを信頼してガロにシーマの救命活動を手伝ってもらっていれば、もしかしたらシーマは助かったのではないかという可能性が示唆されたわけである。それはある意味で残酷な事実であるかもしれないが、そうした可能性を発見できたのは真摯に『プロメア』という作品を鑑賞してきたからこそ出てくるのだろう。悔しいが私は自力でその可能性に到達することは出来なかった。
星見まどかさんの配信は『プロメア』を抜きにしても他の学術系Vtuberとのコラボ配信やTRPG配信も魅力的である。Youtubeのチャンネル概要リンクを以下に貼っておくので(↓)、そちらもチェックしてみて欲しい。
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星見まどか*Hoshimi Madoka - YouTube
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7 余談~俺の考察もとい妄想に付き合ってクレイ~
ここまでで随分長い文章になってしまったが、ここまで来たならもう少しだけ私の駄文にお付き合いいただきたい。『プロメア』について「個人的にこう思っているのだが」という事について語る場がこれまでなかったので、この機会に個人的な『プロメア』の考察もとい妄想に付き合って欲しいなぁと思う次第である。もしこの考察もどきの妄想を読んで今後『プロメア』を視聴する際に読者の皆様に新たな視点を与えるきっかけになったのならば幸いである。
(1)ガロの前任者について
『プロメア』の本編ではほぼ触れられていないそこまで重要な要素でもないのだが、『プロメア』のパンフレットによるとバーニングレスキューのメンバーには隊員番号が振り分けられており、主役のガロは7番手(BURNING RESCUE Ⅶ)とされており、バーニングレスキューの新人として扱われている。他のバーニングレスキューメンバーを見てみると、リーダーのイグニスはⅠ、ルチアがⅡ、レミーがⅢ、バリスがⅣ、アイナがⅤとなっている。ここで、勘の良い読者はこう疑問に思ったはずだ。「バーニングレスキューの6番目のメンバーって誰?」ということである。『プロメア』の前日譚である『プロメア SIDE ガロ』によるとバーニングレスキューメンバーに欠員が出たのでその補充としてガロが任命されたという描写があるわけだが、ガロを「Ⅵ」と繰り上げにせず「Ⅶ」と任命し、「Ⅵ」を欠番扱いしていることには何か意味があるのではないか、と深掘りしたくなるものである。なお、念のためパンフレットを見て確認したのだが、バーニングレスキューのマスコット的存在であるネズミのビニーが「Ⅵ」という可能性はないかとも思ったのだが、そのような事実は確認されなかった。
そして、私が当初から『プロメア』を鑑賞していてずっと気になっていた点が一つある。それは、バーニングレスキューメンバーであるアイナが一般的な・善良なバーニッシュに対して一定の理解を示しているというところである。特に印象的だったのはピザ屋で働いていたバーニッシュがフリーズフォースに逮捕されそうになっていたのを庇うシーンである。ガロはこの時点においては「バーニッシュはともかくオヤジさんは無関係」とバーニッシュであれば善悪問わず許さんという態度であったのに対して、アイナは「バーニッシュを逮捕できる法律はテロリストに対して有効なのであって、一般市民であるバーニッシュは無関係」と一般人として暮らしているバーニッシュを一貫して守ろうとしていたのである。何故同じバーニングレスキューメンバーであっても、(当初の)ガロとアイナでここまでバーニッシュに対する態度の差が出てくるのだろうと疑問に思っていたのである。
こうして何度か『プロメア』を鑑賞している内に、私はある仮説を思いついたのである。私は当初ガロの前任者であるバーニングレスキューの6番目のメンバーは単純に殉職したものと考えていたのだが、実は「6番目のメンバーはバーニッシュになってしまったのではないか」と思ったのである。勿論、公にバーニングレスキューのメンバーがバーニッシュになったということは発表されないだろうが、仲間内や上層部だけはこの事実を知っているという仮説である。きっとバーニングレスキューの6番目のメンバーもきっとガロに負けず劣らず良い仕事をしてくれるメンバーだったのだろう。何ならガロよりもよっぽど落ち着いた仕事をしてくれることは想像に難くない。そんな「良い人間」でも無作為にある日突然バーニッシュになってしまうことを目の当たりにしたバーニングレスキューメンバーは何を思っただろうか。たしかに所構わず放火しまくるマッドバーニッシュには腸煮えくり返ることはあるだろうが、全てのバーニッシュが悪者ではないと思うのが心情ではないだろうか。そして、アイナは過去にその6番目のメンバーに助けられたりした過去があったりしたのではないだろうか。だからこそ、今度は自分が助けを求めているバーニッシュがいたら何か力になろうと、せめて可能な限りバーニッシュの味方でいようと思ったのではないだろうか。その態度の表れがピザ屋のバーニッシュと店長を庇う行動に繋がったのである。
言うまでも無いが、この説は完全に私の個人的妄想である。ただ、私はあまり『プロメア』の感想や考察をネットで読み漁ったりしないのだけれど、ほとんどガロの前任のバーニングレスキューの6番目のメンバーに関する情報が何も入ってこないので、試しにこうして私見を述べてみたのである。他の『プロメア』視聴者はこの点どう思いますか?そう尋ねてみたいものである。
(2)バーニッシュの最期と既存の宗教観との兼ね合い
『プロメア』劇中ではバーニッシュは世界中に発生しており、バーニッシュに対する差別ないし対立も世界的に生じているものと推察されるが、その差別や対立の過激さはその国々の有する宗教観によってもだいぶ温度差があるのではないかとここ最近思うようになったので記述しておくことにする。
バーニッシュはその命を終えるとき全身が灰になり骨も残らず消えてしまうという設定であるが、このバーニッシュの最期を自然と受け入れられる宗教観の国と、絶対に受け入れられない宗教観の国があるのではないかと推測したのである。具体的には、日本のような葬式に火葬を実施することが多数派の国であれば、バーニッシュの最期も違和感なく受け取ることが出来ると思われる。しかし、キリスト教(特にカトリック教徒のような古典的なキリスト教)等の教えを遵守し、来世復活のために土葬することが当たり前の国では、バーニッシュの最期は果たして受け入れられる運命なのだろうかと疑問に思ったのである。NHKでアニメ化もされている漫画『チ。ー地球の運動についてー』ではC教という宗教の教えが強く息づいており(舞台は15世紀のヨーロッパのP王国である)、C教の教えに反する者は「異端者」として火刑に処せられるというのだ。当時の価値観で言えば、火刑に処され肉体が灰になることは「最後の審判で復活する身体がなくなる」ことを意味し、拷問による肉体的苦痛など比べるまでもない精神的苦痛というのである。現代でこうした価値観が世界中でどれだけ残っているのか私には不明であるが、現代でも土葬に拘る人には少なからず「死後復活」に望みをかけている人もいるはずであり、『プロメア』劇中に生きている人たちもそれは同じであるはずである。もし死後復活を信仰し自分の死後は土葬してもらおうと思っていた人がある日突然バーニッシュとして覚醒してしまい、バーニッシュがたどる最期の運命を知ってしまった人はどれだけの絶望に襲われることになるのだろうかと思うと、想像さえ出来ない。そうした絶望に苛まれたバーニッシュが「無敵の人」状態になってマッドバーニッシュ化してしまった事象もあるのではないかと思ったわけである。こうしたバーニッシュの最期に特に違和感を感じないのは視聴者も脚本の中島かずき氏も日本人だなぁと思い起こされるわけである。逆に、海外の視聴者の反応も知りたいものである。
こうしたバーニッシュの細かい宗教観といった背景は決して『プロメア』本編では描かれないし、描かれたとしても大して面白くもないだろうが、『プロメア』の世界観を分析する上でバーニッシュの存在と宗教観は切っても切れない要素なのではないかと思ったのである。
8 おわりに~『プロメア』という火を絶やさないために~
2024年は『プロメア』上映5周年という丁度良い節目の年なので、もう少し早くこの記事を投稿できれば良かったのだが、色々あって(主に私の怠惰な生活習慣が原因で)執筆が滞り年末までかかってしまった。
2024年といえば『楽園追放』の上映10周年記念でもあり、上映10周年を記念してリバイバル上映もなされている(更に言えば続編である『楽園追放 心のレゾナンス』の2026年上映がリバイバル上映で発表されている)。『楽園追放』はこの10周年を迎える前にも数年前に何度かYoutubeで期間限定配信を行っていたりしてその作品熱を絶やさないようにしている。『プロメア』も5周年と言わず10周年を祝えるポテンシャルを十分に秘めている作品だと思うので、あと数年後にはYoutubeで期間限定配信をしてもらえないだろうかとも思っている。そうすることで『プロメア』を同時視聴しようというVTuberをはじめとした配信者も増え、新たな『プロメア』ファン獲得にも繋がるはずである。そして、5年後となる10周年には映画館でリバイバル上映がなされるようにならないかと思ったりするのである。
どんな名作でも語られることがなければその作品が持っている熱量もどんどん少なくなっていき、下手をすれば誰からも忘れ去られてしまうことになっても珍しくない。『プロメア』がそのようなことになるとは私は信じがたいとは思ってはいるが、それでも語る人や鑑賞する人が少なくなるのは寂しいものである。繰り返しになるかもしれないが、私のこの投稿を読んで久しぶりに、あるいは初めて『プロメア』を視聴・鑑賞してみようというきっかけになってもらえれば幸いである。
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※私の『楽園追放』10周年に関する過去のnote投稿記事リンク(↓)である。もし避ければこちらも読んでいただけると嬉しい。
10年越しの『楽園追放』劇場鑑賞感想会~日本SFアニメ映画リバイバル上映による未知の衝撃を味わえ~|4浪U太郎
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