志練正和

志練正和は人生の下り坂をかなり下って来たオヤジで、人生を振り返る年頃です。 十数年前、…

志練正和

志練正和は人生の下り坂をかなり下って来たオヤジで、人生を振り返る年頃です。 十数年前、携帯でブログを書いていましたが、再度挑戦をします。 私にとっては認知症予防にもなるかもしれません。たぶん駄文の羅列になりますが、よろしくお願いします。

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初めに・目次 山岡鉄次物語

初めまして、こちらでは主に自身と家族の物語を書いていきます。 自己満足になるとは思いますが、小説の真似事ですね。 ツイッターでは主に政治ネタを呟いていますが、こちらでは自己を振り返る為に、物語を書いています。 10年程前に、既に閉鎖されたブログに書いていたものが、中途半端になっていました。 母の死をきっかけに書き始めて、父の介護が始まりペンが止まっていたものを、父母編として何とか纏める事が出来ました。 これからも鉄次の物語は続いていきます。 山岡鉄次物語の青春編・会社編

    • 山岡鉄次物語 父母編9-6

      《 成長6》父母編のおわり☆この見出し画像は私が撮ったもの。母を雲の彼方に送った5月の翌月、平成20年6月の富士山だ。この頃の私は放心状態で空の雲を眺めて過ごした。時おり富士山にも会いに出掛けていた。私にとっては母の雲と父の富士山と云える。 ☆戦禍を乗り越えて結ばれ、子育ての為に夢中で働いていた頃の頼正と珠恵の物語は、本編においては最後の話となる。 運送部門の責任者となった頼正は、家族の為に朝早くから夜遅くまで仕事に精を出していた。 頼正は時々、珠恵を伴って運送仕事に出

      • 山岡鉄次物語 父母編9-5

        《 成長5》睦美 ☆山岡家の長女睦美は旅立って行く。 昭和38年中学校を卒業した睦美は、東京に行く事になる。 頼正の勤務する栄和木材工業の社長には、東京で有名女優と結婚している作曲家の弟がいた。 有名女優とは大阪で生まれ、昭和25年、第1回ミス日本に選ばれて天下の美女と謳われた女優だ。ミス日本に選ばれてから3年後、大映の女優になり、映画「夜の河」「彼岸花」などに出演し看板女優となった。 社長の弟は、作曲家古賀政男に師事し作曲家となっていた。日活映画の音楽を多数担当し、歌

        • 山岡鉄次物語 父母編9-4

          《 成長4》幸恵☆山岡家の次女幸恵が社会人となる頃には、その明朗さから自由な娘時代を送るようになるのだが、幸恵が思春期を迎えたばかりの中学生だった頃の話だ。 わんぱくだった3兄弟は歳の近い姉幸恵には弱かった。 鉄次は幸恵によく叩かれていた。 原因はもちろん鉄次たちにあるのだが、幸恵は手が早かった。 弟たちが何か問題を起こした時には、姉として注意するよりも先に手が動いていたのだ。 理由は定かでは無いが、ある日、鉄次はいつものように姉の鉄拳を受けた。 叩かれてばかりの鉄次は

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        初めに・目次 山岡鉄次物語

          山岡鉄次物語 父母編9-3

          《 成長3》ゴジラ・伸郎・親吾☆長男鉄次と次男伸郎が小学生の頃のある出来事だ。 鉄次は伸郎に対して忘れられない思い出がある。兄としての汚点が心の奥に古い傷となって、今でも残っている。 現在は無くなってしまったが、この当時蒼生市には何軒かの映画館があった。 市内の映画館でかかっていたのはゴジラの4作目の「モスラ対ゴジラ」だった。 東宝映画のゴジラシリーズは当時の子供に大人気だった。 ある日、鉄次と伸郎は母親から貰った百円硬貨5枚を握りしめて、映画館までやって来た。 ところ

          山岡鉄次物語 父母編9-3

          山岡鉄次物語 父母編9-2

          《 成長2》苛め・包丁☆珠恵は男の職場で頑張っていた。 頼正の勤める栄和木材工業は製材から始まる木材の加工で、家具や建具を製作していた。 主に関東近県の集合住宅の造り付け家具の製作を請け負い、オリジナルベッドを製作し、栄和ベッドとして販売していた。 社宅で生活している妻達も、男性社員に混じって木材加工の仕事をしていた。 珠恵は華奢な体でも日本手ぬぐいを頭に被り、製材された荒木を丸鋸盤で切断する危険な仕事をしていた。 もちろん珠恵は子供たち家族の為に仕事をしているのだが、

          山岡鉄次物語 父母編9-2

          山岡鉄次物語 父母編9-1

          《 成長1》家出とテレビ・訃報☆5人の姉弟は社宅で生活する他の子供たちと共に成長してゆく。 社宅内には子供がたくさんいた。 頼正の長女睦美を年長に生まれたての赤子までいた。 危険な箇所もあったが、会社の敷地内全域と隣接して流れる自然溢れる川で、子供たちにとっては元気に遊ぶには十分な環境であった。 この頃の社宅の子供たちの勢力図は、睦美が威力を表した訳ではないが、年長者の睦美の存在が大きかった。 睦美を始め幸恵や他家の年長の女の子が子供の世界の中心だった。元気な男の子供

          山岡鉄次物語 父母編9-1

          山岡鉄次物語 父母編8-6

          《守って6》安堵☆頼正が安定した職業に就いて家族は新しい生活を始める。 頼正家族の住んでいる家は古い造りで、夜間には暗いL字の縁側を通って行った先に便所がある。 寒くて暗い縁側で倒れていた珠恵は、鉄次の泣き声で意識を取り戻した。 頼正は翌日、念のために珠恵を本町通り沿いにある医院に連れて行った。 珠恵は栄養不足による貧血を起こして気を失っていたのだ。 珠恵は家庭を守る為に、母親として陰ながら苦労を重ねていたのだ。 鉄次たち姉弟は頼正から「お母ちゃんは大丈夫だ。」と聞いて胸

          山岡鉄次物語 父母編8-6

          山岡鉄次物語 父母編8-5

          《守って5》母☆山岡家に末っ子が誕生する。 昭和32年の大晦日、貧しくても平穏な生活を送っている家族に5人目の子供が産まれようとしていた。 家にはお産婆が来ていて、頼正はお産婆の指示でバタバタ忙しくしていた。睦美はお湯を沸かす手伝いをしていた。 鉄次は母珠恵から、大きくなったお腹の中に赤ちゃんがいることを聞いていたので、産まれてくるのが楽しみだった。母は凄いと思ったが、苦しそうな母の声が聞こえていて少し心配でもあった。 お湯が沸くと、睦美たち幼い姉弟はお産をする部屋から

          山岡鉄次物語 父母編8-5

          山岡鉄次物語 父母編8-4

          《守って4》健気な☆睦美と幸恵は貧しくも健気に両親を気遣うのだった。 時は昭和32年、睦美は10歳、幸恵は7歳になっていた。 街を走る私鉄の線路沿いには電気工事で捨てられた銅線が落ちていることがある。 銅線は「アカ」といって鉄くず商のところに持っていけば買い取ってもらえた。 鉄くずは古物の代表とされ戦前の古物商取締法でも厳格な取締りの下にあった。しかし戦後の昭和24年制定の古物営業法は、鉄くずなど金属原材料、はだかの古銅線類は、廃品であって古物ではないとして、取締りの対

          山岡鉄次物語 父母編8-4

          山岡鉄次物語 父母編8-3

          《守って3》貧しくも☆廃業後の頼正と珠恵と子供たちの生活は貧しく厳しいものになる。 頼正たちが移り住んだ家は、未完成のまま放置されていた一部床や壁の無いあばら屋だった。 家の場所は、蒼生市の中心を南北に走る本町通りを南に向かい、河間民夫の住まいの一町手前辺りを西に少し入った一画にあった。家の前に小川の流れる古い家屋だ。 その家は、昔の武家屋敷の回り廊下のような縁側がL字に続いている。縁側の突き当りには便所があった。普段は雨戸を開け放してあるので、外廊下があるようだ。 畳の

          山岡鉄次物語 父母編8-3

          山岡鉄次物語 父母編8-2

          《 守って2》廃業☆珠恵は貧しくても、親子揃った平和な家庭を守って行こうとする。 昭和31年、この頃の珠恵は4人の子供を抱え、大変だった。 次男の信郎はまだ1歳、鉄次は3歳、幸恵は6歳、長女睦美は8歳、上の娘たちは手はかからないが、鉄次と信郎の世話は目が離せず、手もかかる。 特に信郎はヨチヨチ歩きを始めていたので、注意が必要だった。この後信郎はしっかり歩けるようになると、直ぐに元気に飛び回るようになった。 頼正の家は国道に面していたので、信郎は何回か道路に飛び出し、危ない

          山岡鉄次物語 父母編8-2

          山岡鉄次物語 父母編8-1

          《 守って1》家庭☆頼正の妹八須子は民夫の連れ子と共に出て行く事になった。 蒼生市の織物景気が悪くなった影響で頼正の製パン事業も苦戦している時の事だった。 頼正と珠恵は八須子たちの所帯が、しばらくの間やって行けるぐらいの資金を、苦しくなっていた家計から何とか工面して、八須子たちを送りだすのだ。 八須子は遠慮無しだった。珠恵の普段使っている台所用品などを、「兄さん、これ欲しい。姉さん、これもらっていくね。」とやりたい放題だった。 それでも、珠恵は不安の種の八須子が出て行く

          山岡鉄次物語 父母編8-1

          山岡鉄次物語 父母編7-6

          《 家族6》毒婦☆頼正は珠恵の不安を知りながらも、妹の面倒を見ることにするのだ。 八須子の登場は、珠恵にとっては厄介ごとの始まり以外にない。 頼正と珠恵がまだ新婚の頃、塩川の実家では家族と同居していた。 珠恵は大家族との同居は覚悟があったので、それほど悩まされなかったが、八須子だけは困った娘で手に負えなかった。 珠恵は八須子に何回となく嫌な思いをさせられた。思い出すだけで気分が悪くなる。 はたして、成人した八須子は少しは大人になったのだろうか、人に気を使う事が出来るように

          山岡鉄次物語 父母編7-6

          山岡鉄次物語 父母編7-5

          《 家族5》陰り ☆珠恵は頼正とともに築いて来た家族の平穏な暮らしを守って行きたいと思っていた。 頼正は長男を無事出産した珠恵をゆっくり休ませた。 この頃の女性は出産後10日程で寝床を片付けて、立ち働き始めていた。 珠恵もいままで10日程で寝床を上げていたが、男子を無事出産した褒美に20日程休ませてもらったのだ。 ゆっくり休むと言っても現在に比べたら短い期間であった。 人間に男女の軽重は無い。現在に比べまだまだ封建的な時代、長男の誕生は特に喜ばしい事だったのだ。 ある

          山岡鉄次物語 父母編7-5

          山岡鉄次物語 父母編7-4

          《 家族4》死産を乗り越え☆製パン業が順調になり安定した生活を送っていた頼正と珠恵に長男が誕生する。 頼正は子供が無事に生まれてくれる事を祈りながら、以前の住居で胎児の時に死産した子の事を思い出していた。1年以上前の事だった。 当時妊娠中の珠恵は助産婦の所に通っていたが、ある日珠恵が家に居る時、腹部に耐えられない激しい痛みが起こった。 まだ産み月では無い、流産かもしれないと頼正が見てみれば、胎児の足が出ていたのだ。 助産婦は間に合わず、放っておけば母体が危なくなる。

          山岡鉄次物語 父母編7-4