山岡鉄次物語 父母編7-5
《 家族5》陰り
☆珠恵は頼正とともに築いて来た家族の平穏な暮らしを守って行きたいと思っていた。
頼正は長男を無事出産した珠恵をゆっくり休ませた。
この頃の女性は出産後10日程で寝床を片付けて、立ち働き始めていた。
珠恵もいままで10日程で寝床を上げていたが、男子を無事出産した褒美に20日程休ませてもらったのだ。
ゆっくり休むと言っても現在に比べたら短い期間であった。
人間に男女の軽重は無い。現在に比べまだまだ封建的な時代、長男の誕生は特に喜ばしい事だったのだ。
ある日の事、パンの配達に出掛ける為に頼正と職人たちはオート三輪にパンを積んでいた。
そこに頼正を見送る為、鉄次を背負った珠恵が家の中から現れた。
職人の一人が鉄次を抱っこしたいと言うので、珠恵はおんぶ紐をはずして、抱かせてやることにした。どこにでもある光景だ。
職人は鉄次をあやしながら、おそるおそる抱いていたが、間違って鉄次を地面に落としてしまったのだ。
鉄次は一瞬鳴き声を出して静かになった。気絶していたのだ。
頼正と珠恵は急いで鉄次を医者に診てもらうと、大事には至らないとの事で、安堵した。
鉄次は厚めの産着だった事と、落ちた所が柔らかい土の上だった事も幸いし、ほとんど無傷だった。
抱いていた職人は困りきり、身体を縮めて頭を下げていた。
珠恵は謝罪に来た職人に笑いながら話した。
『大丈夫だよ。鉄次、気絶してセツナグソを漏らしていたぐらいだから。』
私、山岡鉄次は母の思い出話で、この話を聞いた時に思った。「セツナグソの話は要らない。」
無事で済んだ事は良かったが、落とされて頭を少し打ったのか?
落とされなければ、もう少し頭が良かったかもしれないと・・。
しばらく時が過ぎ、塩川から頼正の妹みね子が来ていた事があった。珠恵が鉄次の下の子を妊娠して、店の仕事と育児で忙しくなっていた。
頼正が遊びを兼ねて、鉄次の子守りを頼んだのだ。
この時のみね子には塩川の実家近くの永瀬家から縁談話があった。みね子は頼正に相談に乗って欲しいと思い、蒼生市にやって来たのだ。
相手の永瀬幸二は頼正も周知の男だ。永瀬は地元の石材店に勤める真面目な男なので、反対する理由がない。頼正はみね子に悪い話ではないことを伝えた。
乳飲み子の頃、頼正に背負われて小学校に行っていたみね子は、この時20歳になっていた。
若いみね子は鉄次を背負い、鉄次のオムツを替え、店の手伝いまで協力してくれた。
店が休みの日には蒼生市の周辺にある湖へ、頼正と珠恵、子供たち睦美と幸恵の家族みんなで遊びに出かけた。もちろんみね子は鉄次を背負ってだ。
この後塩川に帰ったみね子は、永瀬のところに嫁いで行った。
時が少し流れ昭和30年には、頼正と珠恵に次男の信郎が誕生する。信郎は姉弟の中で一番元気に育ってゆく。
この年、ナイロン等の化学繊維の台頭で好景気に浮かれていた蒼生市の織物業に陰りが出始めていた。頼正と珠恵の製パン業にも影響が出て売上が減少して来ていた。
頼正はパンの卸先を新しく開拓したり、特定の取引業者を決めていない卸先には、同業者と競争でいち早く製品を売込む為に走り回った。
家族みんなの平穏な暮らしを守る為に、珠恵も一緒になって頑張っていた。
ある日、頼正の直ぐ下の妹が尋ねて来た。
家庭の平和を守りたい珠恵は、頼正の妹の出現に不安を感じずにはいられなかった。
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