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能『羽衣』に関する覚え書

<白梅の芝居よもやまばなし> 

 流儀横断講座『羽衣』

 7/24、国立能楽堂にて「流儀横断講座『羽衣』」が開催されました。シテ方全五流儀の若手・中堅能楽師が集まって催されており今回で10回目になるのだそうです。
 私は今回で3回目ですが、能楽素人にとって、また能楽を概観したい者にとっては大変勉強になる講座です。よくわからない言葉や話の内容があるので、アーカイブ配信で調べながら何度も聞き直すことが出来るのが大変ありがたい企画です。
 五流の方々の謡比べも聴き応えがありまあす。その上様々な型や衣裳、扇等流儀の中でもいろいろあることを伺い、『羽衣』を解読していく上で、今回も大変勉強になり様々な示唆を与えて頂きました。  

 能『羽衣』の特異性

 本講座での話ではありませんが、能楽の専門家によると、大和猿楽の系譜を引く現在の能楽において、本曲は大変有名な人気曲であるにも関わらず、能楽の作品の中では特異な位置にあるようです。
 1500年代初頭に成立している『能本作者註文』や『自家伝抄』では世阿弥作となっているようですが、現在では疑義が呈されています。まだその議論に関して調べられていないので、ここでは立ち入ることはできませんが‥。

 ただ、雅楽における「東遊」、駿河における「羽衣伝説」や「聖徳太子の富士登山伝説」、富士山信仰と結び付いた「かぐや姫伝説」などを念頭におきつつも、伝説や伝承を越えた歴史認識の上にこの作品が書かれていることは確かであろうと、私は考えます。
 それだからこそ、中世・近世を通じて古典として残すだけの伝承価値が演者にも享受者にも見いだされてきたのだと思います。

 地方に残る断片的な伝説が室町期の混乱を通して、歴史に学ぶ意識の中で捉え直されていったのではないでしょうか。
  例えば「桃太郎伝説」が成立したのは室町末期から江戸初期の間と考えられていますが、この伝説は日本の上古史に非常に造形の深い人物によって作られたものであろうと私は考えます。

 応仁の乱以後、世の中が混乱する中で中央の文化が地方に流出していきました。文化の担い手達が地方の有力者を頼って中央を離れ庇護を求めたからです。中央の文化人たちは中央の文化を地方にもたらすだけではなく、地方に残っている伝承によって日本の歴史を別の角度から捉え直す機会を得、刺激も受けたでしょう。
 一方、混乱し続けている世の中で、地方においても、伝統文化の担い手達の古典に対する造詣の深さを学ぶ事によって、この日の本という「国家」を捉え直し、どういった世の中を目指していくべきなのかを考える必要性が、当然出始めていたであろうと思われます。

 古典や歴史に通じ、大和猿楽に内包されている歴史伝承を読み解くことが出来るだけの深い造詣を有していた作者が、駿河に伝わっている伝承に触発されて、駿河の伝説を取り入れつつ日の本の平和と繁栄の願いをこめて生み出されたのが、この謡曲の『羽衣』ではなかったか、と私には思われます。
 

 詞章考察のための覚え書

◇東遊
 安閑天皇の御代、駿河国の有産浜に天人が下り舞い遊んだという故事から起こった東国の風俗舞。春日若宮おん祭りでは、青摺の袍に太刀を佩き巻纓の冠を頂いた舞人四人(童児)が凜々しく「駿河舞」と「求子舞」を舞う。子供が舞うのは他に例がないとのこと。「求子」とは子宝が授かるよう祈ること。
 雅楽では成人男性が舞ますが、謡曲でも「少女(オトメ)の姿」とあるので、この春日神社に奉納されるものが念頭にあるでしょう。 
 
◇天女舞
 「舞」とは本来旋回する身体表現であるはずですが、日本における「舞楽」に所謂「舞=旋回」の身体表現は見当たりません。私は「舞楽」と言うのは本来「武楽」であったのだと考えます。日本にある「言霊」の思想が「武楽」ではなく「舞楽」と表記させたのだと思います。
 東遊の駿河舞も本来は「武楽」の系統だと思うのですが、『羽衣』では近江猿楽の「天女舞」をイメージして描いているように思われます。

◇羽衣伝説
 世界各地に存在する伝説の一つとのことで、天女はしばしば白鳥と同一視さているとのことで、「白鳥処女説話」系の類型とみなされるとのことです。日本ではヤマトタケルが白鳥に変じて飛び立ちますが、天女と白鳥を同一視する見方は、日本史が世界史につながることが証明される大変重要な要素を内包していると考えます。
 この白鳥のイメージから『羽衣』でも白い衣を使うことがあるのだと思います。

◇月宮殿
 中国の伝説に結び付けるより、仏教と結び付けて考えるべきだと思われます。日宮殿(太陽)の対として須弥山を中心とした世界観の中で出てきます。詞章にもある「蘇命路」は須弥山のことです。月天子の本地を大勢至菩薩としています。
 「月宮殿」は能の『鶴亀』にも出てきてます。日本史の中では、アマテラスに比べ「月読」は影が薄いですが、歴史を考える場合には、大変重要な要素であることがうかがえるかと思います。

◇白衣黒衣の官人
 恵心僧都の『三界義』には「月宮殿内に三十の天子あり。十五人は青衣の天子、十五人は白衣の天子なり‥」とあるようですが‥
 『羽衣』では、〽白衣黒衣の天人の数は三五に分かって一月夜々の天少女奉仕を定め役をなす」とあります。
 なぜ「青衣白衣」ではないのでしょうか。
 私はこの白衣と黒衣は、西の白虎と北の玄武(黒)を表しているのではないかと考えます。そして『羽衣』における天女こそが白虎と玄武を従えた存在であることが暗示されているように私には考えられます。

◇『羽衣』の衣裳や冠の暗示するもの
 『羽衣』でどんな衣裳を身につけるかによって、暗示されることに幅が生まれます。天女で白い衣をまとうときは、羽衣伝説で記したよう白鳥を暗示するところから取り入れられているかと思われます。
 初めて舞う『羽衣』では、深紫の長絹を付けることが多いようですが、これは日本の宮中において最も高い立場の高官が身に付ける色です。この紫は藤の花を暗示しているのだろうと私は考えます。
 紅色の衣は舞楽における左方の「唐楽」の舞人が身に付ける装束です。そこから冠に「牡丹」をあしらう型も生まれるのでしょう。この紅は朱雀を表す色でもあり、鳳凰にもつながります。
 緑もしくは青は舞楽における右方の「高麗楽」の舞人が身に付ける装束であるかと思います。
 天女が黄色の腰巻きを付けるのは五行説に照らして中央に位置する「黄龍」を暗示させているように思われます。

 まとまりきらないので、覚書き程度に今回は留めたしだいです。
                   2024.9.1

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