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06 古代人の見ていた世界 叡智のリレー

私たちが今つかっている言葉には原始の先人たちの記憶がひそんでいるものがある。
異なる時間の異なる空間にいる誰かへ伝えたくて編み出された古代からの言葉は、それにふさわしい時や空間を得ない限り言葉として知っていても使いこなせない。

この列島のネイティブは時間の言葉を光の遷移からつくりだしてきたのだろう。時をしめす言葉と、その空間の状態をあらわす言葉は織り合わされるように太古から私たちのアーカイブに存在してきた。

花子と「ここ」に移り住み、夜明け前に水平線へ出てこの列島のネイティブが見てきた空のはじまりを体験してみるようになると、それら色や空間の言葉の来し方が身体でわかってくる。

冬至前後6時前にスタートなら暁ショーが見られる

太陽が昇る前こそ空が最も紅く染まることをここに来て知った。暁のそのとき、町はまだほとんど動きを見せず空気は新雪のように真新しく磨かれぴんとして澄んでいる。

だからそんな、夜と朝のあわいのような幽かに動きはじめた光の隙間を縫って海へ。夜明け前のそこはトワイライトゾーン。不思議な色あいに移ろってワンダーランドの光彩をたたえている。
砂浜は闇に閉じていた時間のぶん険しく凍てついて氷と感じさせる冷たさ。ビーチで裸足になると、足裏は切られるように痛い。走るしか もう“もたない”刺激に押される。
おのずと身体のエンジンがかかり、視界には動的な瞬間だけが自動的に展開していく。平塚のほうへ波打ち際を走っていると三浦半島の背後から太陽が顔を出す。その寸前、曙は跳ぶ前にかがみ込むエネルギーのように最も強く光をたくわえてファンファーレの支度を整える。

おじさんは目の前に見えているフレームから宇宙のスケールを実感している

花子が地元のおじさんと朝の雑談を交わす「昇り始めると早い」太陽は、それまでのゆっくりとした複雑で絶妙な色彩の天空ショーをさっと隠すように日常の空へホームポジションに移し替えて日を開始する。

和歌や古典芸能に描かれてきたうつくしい世界は、言葉として工夫して生み出されたときの痕跡を残し、未来人である私たちがやがて轍を踏んでくることを待ち受けているかのようだ。

近所の人たちと朝の挨拶を交わしながら、身体は上古の人びとの見た叙景を感じ取っている。
先人たちが見ていた豊穣な世界の、現代でもかろうじてまだ体感できる尖端を、毎朝、足で追体験していると思うと、痛いほど冷たい足裏に先人のありがたいアーカイブが浸透していっている気がしてくる。

▼「太陽0(ゼロ)is (まる)」からの学び

かわたれ‐どき【彼者誰時】〔かはたれ―〕
《あれはだれだとはっきり見分けられない頃》
はっきりものの見分けのつかない、薄暗い時刻。夕方を「たそがれどき」というのに対して、多くは明け方をいう。

あけ‐ぐれ【明暗】
〘名〙 夜が明けきる前の、まだ薄暗い時分。

あり‐あ・く【有明】
〘自カ下二〙 (「ありあけ(有明)」の動詞化) 月がまだ空にありながら夜が明ける

あか‐つき【暁】
〘名〙 (「あかとき」の変化した語)
夜半過ぎから夜明け近くのまだ暗いころまで。未明。また、夜明けに近い時分。現在では、明け方のやや明るくなった時分をいう

しののめ【東雲】
〘名〙
東の空に明るさが、わずかに動くころ。転じて、あけがた。夜明け。

あけ‐ぼの【曙】
一〘名〙
夜がほのぼのと明けはじめる頃。暁の終わり頃で、朝ぼらけに先立つ時間をさすという。

あさ‐ぼらけ【朝━】
〘名〙 朝、空がほのかに明るくなった時。夜明け方。

「あけぼの」が、『枕草子』以降春との結びつきが多いのに対し、「あさぼらけ」は主に和歌に用いられ、『古今-』のように秋冬と結びつくことが多い。「あさぼらけ」の方が「あけぼの」よりやや明るいと見る説もあるが判然としない。なお、夜明けの暗さを表わす語に「あけぐれ」がある。

▲語釈と註は[精選版 日国]を参照し編集した〈伍浪〉

私たちは空気や水を媒質にしてこの星の色と知恵を受け取ってきた

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