2023年に出会った、忘れられない10冊
今年は、大人になってから、最も多く本を読んだ年だった。眠りにつく前も、ごはんを食べている間も、たった一駅の移動中でも。時間さえあれば、貪るようにページをめくった。
思い返すと、中学時代、通学路を歩きながらいつも本を読んでいた。歩きKindleがやめられない近頃は、あの頃にタイムスリップしたかのようで笑ってしまう。(危ないから来年はやめるように)
元々、読む本においては雑食だが、これまで以上に手に取るジャンルが広がった気がする。アートが主題の本や、批評、文学作品、哲学書などが大好物になった。
本屋めぐりという趣味も増えた。都内ではもちろんのこと、旅先でもつい書店を探してしまう。セレクトが素敵な新刊書店や古書店に、今年はたくさん出会った。出版社やZINEの制作者が出展する数々のブックイベントにも行った。創り手さんたちのエネルギーに触発され、夫と一緒にZINEを作った。
本は、34年間いつだって傍らにあったけれど、2023年はこれまでと違う関わり方を模索し始めた年だった。来年は、恐らくもっと、私にとって本が重要になる。そんな予感と期待がある。
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今年は、109冊の本に出会った。その中で、特に印象に残っている本を10冊挙げてみようと思う。
1.『コモンズとしての日本近代文学』 ドミニク・チェン
本書には、青空文庫で読める日本の文学作品が掲載されており、ドミニク・チェンさんが、それぞれの作品に解説をつけている。面白いのは、解説の全文がweb上にクリエイティブ・コモンズ(CC)ライセンスで公開されていること。つまり、本書の全文をwebにて無料で読むことも可能なのだ。書籍という体裁をとることの価値について、考えさせられる。
日本近代文学は、教科書に載るような有名なものしか読んでこなかったが、その日本語の美しさにたちまち魅せられた。同じ言語を操っているということが信じられないぐらいだ。日本語の持つポテンシャルを、自分がまったく引き出せていないと気づいて、歯痒い。
破綻のない幻想的な世界観の構築や、擬態語を駆使した繊細な感情表現は、文字だからこそなし得るものだと思う。描写が特に心に残ったのは、宮沢賢治の『インドラの網』と林芙美子の『清貧の書』。他の作品も読んでみたくて、林芙美子の『浮雲』を買った。(が、まだ読んでいない)
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2.『夏の朝の成層圏』 池澤夏樹
加藤周一さんの『文学とは何か』の巻末に、池澤夏樹さんの解説が収録されていた。その解説があまりにも明快で、文章としての佇まいも美しくて、感動してしまったのだった。その勢いで、彼の初めての長編小説を買った。
主人公が海に落ち、漂流するところから物語は始まる。「池澤さんは、一度漂流したことがあるのだろうか?」と疑ってしまうほど、その描写は真に迫っている。
自然の中で生きることのスリル、絶望、そして喜び。そして、そのすべてを圧倒的な力で押し流してしまう文明。物語は想像もしていなかった方向に転がっていく。心が本の中に吸い込まれるような、強烈な読書体験だった。
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3.『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー
説明不要の、名作中の名作。Kindle Unlimitedで、光文社古典新訳文庫の1巻が無料で読めたので、なんとなく開いてみたのだった。小難しい話かと思いきや、狂気と謎に満ちたストーリーで、一気にのめり込んだ。亀山郁夫さんの新訳と解説が、本当に素晴らしい。
その上、登場するアリョーシャという青年がたまらなく愛おしいキャラクターで、久しぶりにキャラ萌え読みをしてしまった。(頭の中では、ニルアドの翡翠をイメージしている)
神の存在について、一度でも思いを巡らせたことがあれば、「大審問官」のくだりは非常に面白く読める。法廷での最終弁論も圧巻。
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4.『空気の研究』 山本七平
「日本人らしさとはなんだろう」ということを考える機会が多かった年で、以前買ったまま積読していた『空気の研究』をようやく読んだ。
山本さんは論理展開の鬼で、概念の言語化と例示の上手さに舌を巻く。論は「空気の研究」と「水の研究」にわかれているが、どちらも日本人の価値観をずばり言い当てている。
発表されたのは1983年だが、国民性というのは、いい意味でも悪い意味でも変わらないのだなと思う。戦時下の価値観は特殊だったかのように感じられるが、SNSが様々なトラブルを引き起こしている様を思うと、現在も大して変わっていない気がする。
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5.『ディスタント』 ミヤギフトシ
森美術館の展覧会で観たミヤギフトシさんの映像作品が、とても、とてもよくて、彼のことを調べていたら見つけた本。小説まで書けてしまうなんて多才すぎる。
改行が驚くほど少ない、癖のある文章の綴り方だが、読者を「今ここ」から攫っていくような不思議な引力がある。舞台となっている沖縄やニューヨークの空気、光、匂いに、全身で触れているような気分になるのだ。
全編を通して、苦しく、切なく、美しいストーリー。ミヤギフトシさんの映像作品とリンクするような部分もあり、その感性に嫉妬する。
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6.『書くことについて』 スティーヴン・キング
ホラー小説の大家、スティーヴン・キングの創作技法が惜しげもなく詰めこまれており、小説家を志望する人にとっては、贅沢なことこの上ない本だと思う。前半部分の、彼が作家として大成するまでの半生を綴ったエッセイも、ユーモアたっぷりで面白い。
アニーの想像を絶する狂気にハラハラしながら『ミザリー』を読んだ、子どもの頃を思い出す。あの小説は、なんとアルコールとドラッグ漬けになりながら書いたものだという。だからこその狂気なのか、となんとなく腑に落ちる。
作家を志す人に向けたメッセージが力強く、少し泣いた。
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7.『鵼の碑』 京極夏彦
ようやく、ようやくですよ。どれほど待ったことか。新刊発売のニュースを目にした時の、あの興奮。発売日に書店に行ったら、もちろん一番目立つところに平積みになっていた。久しぶりに「レンガ本」を手にして、胸がいっぱいになった。榎さんが大好きで、百鬼夜行シリーズの二次創作まで書いていた私にとっては、待望の、待望すぎる続刊。
ミステリー小説なので内容にはあまり触れないでおくが、タイトル通り、まさに鵼、のストーリー。主要なキャラクターが全員大集合し、もちろん榎さん節も健在で、蘊蓄に満ちた1ページ1ページが愛おしくてたまらなかった。
ぎょっとするほど分厚いものの、改行が多いので、読み終わるまではあっという間。次回作が今から楽しみでたまらない。
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8.『断片的なものの社会学』 岸政彦
大学時代は社会学専攻だったので、タイトルを見て、なんとなく気になって購入した。世界に転がる「無意味」なものの集積だという本書は、エッセイと論考のあわいをふわふわと漂う。
断片を渡り歩く中で、思いがけず、大阪の喧噪や沖縄の風に打たれる体験が心地よい。ないがしろにされているものへの、優しい視線がある。本を閉じたら、泣きそうになった。
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9.『利休にたずねよ』 山本兼一
千利休を中心に据えた歴史小説で、第140回直木賞を受賞している。ミステリー小説の部類に入るのかもしれない。まず、構成が面白い。秀吉に命じられて利休が切腹するところから物語がはじまり、少しずつ時を遡っていくのである。利休と秀吉の関係性が(逆再生で)変化していく、その人間ドラマがいい。
戦国時代が舞台であっても、戦ではなく文化に焦点が当たるのが本書の魅力だ。とはいえ、その美しさや儚さは、戦乱の世ならではだと言える。
わずか2畳の茶室「待庵」をつくり、侘茶を大成した利休。自然と調和した茶の湯の描写が心に残る。フィクションであるとはいえ、その思想の一端に触れられたような気がして、読後に深い満足感がある。
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10.『アートの力』 マルクス・ガブリエル
アート愛好家であれば必ず、「アートとは何か」という問いにぶつかったことがあるはず。哲学者のマルクス・ガブリエルは、この問いに「すべてのアート作品がそれだ。アートを定義するのはアートである」と答える。これは決してトートロジーではなく、「アート作品はラディカルに自律した個体である」という着想から導かれた結論だ。
アートは物品(オブジェ)そのものではなく、鑑賞者の解釈までをも含んだ構成(コンポジション)である。「解釈」とは「理論的な分析」のことではない。それは楽譜を演奏したり、映画を上映することに似ていて、私たちはアートを解釈することで、アートに取り込まれている。制作者も鑑賞者もアートの構成の一部であり、アートそれ自体は何からも支配されない絶対者である。
本書の論旨をまとめると、このようになるはずだ(理解が不十分なところもあるかもしれないが)。アートをカテゴライズせざるを得ない市場経済の中で、この考え方が遍く受け入れられることはないだろう。それでも、一人のアート愛好家として、アートが「ラディカルに自律したもの」という論には心が躍る。「無道徳的で、無法的で、無政治的である」アートは、私を、私たちを、これからどこへ誘ってくれるのだろうか。
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2024年も、素晴らしい本にたくさん出会えますように。