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書評:ジェーン・オースティン『高慢と偏見』

イギリス文学上の高慢な女性が携えた魅力とは?

今回ご紹介するのは、イギリス文学よりジェーン・オースティン『高慢と偏見』。

イギリスの女流作家ジェーン・オースティンの代表作であり、5人姉妹を取り巻く愛憎劇をプロットとした、非常に読み応えのある作品だ。

実は大きな事件などはほとんど起こらないにも関わらず、心情の起伏と登場人物の相関関係と会話によってのみ、読者をぐいぐいとその世界に引き込んでいく、不思議な魅力がこの作品にはある。

また、長編ながら非常に読みやすいのも特徴である。

まずは概要から。

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主人公エリザベスは、自らの才知を誇る女性。彼女のもとに、ある日高慢な貴士ビングリーが現れる。

エリザベスの才知は、ビングリーの高慢さを受けれることを良しとせず、彼からのプロポーズも無下に断ることとした。

しかしビングリーは、外見こそ高慢ながら、実は誠実で清廉な男であったことが後からわかってくる。

エリザベスは、才知を自認する自身が実は最も高慢であったことを知ることになり、猛省と心変わり、そしてビングリーからの変わらぬ愛のもと、2人は遂に結ばれることとなる。
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本作で最も一考を要する点の1つは、ビングリーがエリザベスに当初から認めた魅力とは何だったのか、という点ではないかと思った。

ビングリーが惹かれた当初のエリザベスは、才女ながらも偏見と皮肉に満ちた女性であった。そんなエリザベスは果たして、本当に才女と言えるのだろうか。もしそうでなければ、ビングリーから見た彼女の魅力とは、いったい何だったのだろうか。

それは、やがて明らかになるところの、彼女の聡明さにあったのではないかと思われた。

彼女は、自らの才知に自惚れながらも、その虜となって自らの愚明さを引きずるような女性ではなかったのだ。

新しく明らかになった真実を前にして、自らの偏見、自らの高慢を猛省し、新たな勇気と英断を身に着けることができる、つまり、成長できる女性だったのである。

彼女の本当の聡明さはここにあるのではないかと思った。

思えば他の文学で、こうしたタイプの性質を備えた人物がいた。ユゴー『レ・ミゼラブル』の登場人物「ユリウス」だ。彼もまた知覚の範囲でしか物事を認識・判断できない狭隘さがあるも、新たな事実が明らかになれば、それまで頑迷にこだわっていた自身の判断を潔く更新することができる人物であった。

普く人間は、高慢と偏見から逃れることはできない。しかし、自身の高慢と偏見を認知し、そしてそんな自分を認容することで、それらの虜となることなく、そして聡明さをも同じく身に着けることができるではないだろうか。

そんなメッセージがこの作品には込められているように思えた。

読了難易度:★★★☆☆(←やや中編)
エリザベスの魅力最初から見抜けない度:★★★★☆
ビングリーの炯眼真似できない度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★☆☆

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