雑感『別れを告げない』
No harm, No foul.
英語にはこんな言い回しがある。「harm」は「害」、「foul」はファウルつまり「反則」の意であり、「害はなかったので見逃します」というニュアンスになる。主にスポーツの審判が用いるようだが、日常会話において「気にしないで」くらいの意でも使われるという。
ルールには反するが、害はないから許容するーー。原理原則にがんじがらめになっている現代社会において、この考え方は他者の過ちへの寛容さにつながるかもしれない。
しかし例えば、ビートルズの「Oh! Darling」という曲には以下のような歌詞が出てくる。
I'll never do you no harm
この曲は恋人にフラれそうな男が「僕を捨てないでくれ(Don’t ever leave me alone)」と歌い上げているが、この歌詞の部分は「君を害することなど決してしないから」と訴えているわけだ。つまり「害さえなければ、そばにいていいだろ?」という泣き落としともとれるわけだが、そんな関係が長続きするとも思えない。
また「No~, No~」の構文に注目すると、有名なものに「No Music, No Life(音楽のない人生なんて)」がある。
ほかにも、
No pain, No gain
苦しみなくして成果なし
ということわざもある。「No harm, No foul」が寛容さにつながるのに対し、「No pain~」のほうはずいぶん厳しい人生観のように感じる。
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前置きが長くなったが、『別れを告げない』においては、一貫して痛みと真実の受容がセットになっている。
No pain, No truth
痛みなくして真なし
本作における「痛み」のもっともわかりやすい例は、キョンハ(私)の「胃痙攣を伴う偏頭痛」と、インソンの手指の喪失と再生だろう。
インソンによって病室に呼び出されたキョンハは、「今日。日が暮れる前に」済州島の家に行ってほしいという頼みを、むちゃぶりとは思いつつも引き受ける。だが、金浦(キムポ)空港のコンビニでガムを買ったのは、偏頭痛の予兆を早くも感じたからだ。
「お粥」は本作の冒頭、死が「私を避(よ)けて通過した」とき、キョンハがかろうじて口にできたものだった(「いちばん柔らかそうな松の実のお粥」)。そのお粥すら受け付けなくする頭痛と胃痙攣の予感が、済州島行きにはべっとりとつきまとっている。
一方のインソンには看病人が24時間付き添い、3分に一度、指の縫合跡に針を突き刺すという過酷な再生治療を受けている。そうしないと、「手術したとこより上の部分」は腐ってしまうのだという。
このように、痛みを感じ続けることは、腐敗や壊死を避ける行為でもある。そのために、キョンハとインソンは、あえて苦痛を感じやすくしているふしもある。
キョンハにも、この悪循環を断ち切る方法はわかっている。すなわち「食べる」「動く」、そして「眠る」だ。しかし、彼女は猛暑の到来を理由に、「まともに取り組む」努力を放棄する。悪循環のなかに居続けることを選ぶ。
インソンもまた、過酷な治療をやめたいと思いながら、苦痛が続くことを選ぶ。
一生続く痛みと、それを防ぐための期間限定の痛み。その重要さが、病室の窓外に降る雪を見ているときに明らかになる。
苦痛が導くのは孤立。痛みは自らを「健康な人たちの世界」から切り離す。
一方でキョンハは、「自らの生という地獄をいっとき抜け出して友達を見舞っているこの時間が、妙に身に覚えのない鮮明な一瞬として感じられる(p41)」とも述べている。自らの抱える苦痛と地獄を寸時でも離れることは、孤立から脱することへつながるのだろうか。
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苦痛は苦痛を通して孤立を感じている者同士でしか共有できない。
本書の前半部は、そのことを書くために費やされている言っても過言ではない。
「K(光州市)」についての小説(≒『少年が来る』)の出版は、執筆中に悩まされてきた悪夢との訣別をキョンハに期待させる。しかし結果として悪夢は、シームレスに「何千本もの黒い木」の夢へと変形してしまう。
一方のインソンは「いつも貧乏して」、「ちょっと食べてちょっと使い、たくさん働い」て2年に1本映画をつくった。しかし最初に好評を得た「ベトナムの密林の中で村から村へと移動しながら、韓国軍による性暴力事件のサバイバーたちにインタビューした記録」の次々作にあたるドキュメンタリーは、「あまり好評を得られなかった」。
キョンハもインソンも、読者や鑑賞者による作品受容に対して、期待と不満が相半ばしている。
読者(鑑賞者)に苦痛を感じさせたい。そうすれば、すんなりとわかるはず、わかってもらえるはずなのにーー。
そんなもどかしさが、二人の作品には通底しているように思える。
では、創作は苦痛を共有させるに足る器なのか。
例えば、キョンハが4年前、K市についての小説に盛り込むことができなかった苦痛が、本作で表出する。
たしかに「白いペンキをかけられて救急室に運ばれてきた人々」について、『少年が来る』には書かれていない。訳者の斎藤はこれら「書くそばから、撮るそばからこぼれ落ちてしまう事実」があることを認め、キョンハやインソンの「それでも書かなくてはならない」姿勢を肯定的にとらえている。
しかし上記引用では、インソンが「映画にする」ことで「血みどろの服と肉が一緒に腐っていく匂いや、何十年もかかって朽ち果てた骨たちの燐光が消えてしまう」としている。同様に「悪夢」も「暴力」も映画をすり抜け、除去されてしまう。翻って、ハン・ガン≒キョンハが『少年が来る』でそれらの場面を書かなかったのは、主体的な選択だったのではないか。つまり、映画や小説という器では、書いてしまっては失われるもの、取りこぼしてしまうものがある。その諦観を、著者は所与のものとしてとらえているのではないか。
インソンもまた最後の映画について、制作中に「計画とは違ってきているな(p195)」と感じていた。本来の計画は、「戦争勃発直後に済州島で予備検束されて銃殺された、千人あまりのうちの一人」とインソンの母の「二人のその後を映画にしたらいいと思っ(p193)」て立てられた。そして、遺族へのインタビューに先立って母の簡単な話を収録するため、インソンは機材を持って済州島に帰省する。だが、母へのインタビューは行われず、インソン自身が「倉庫の白壁の前に椅子を置いて」、「カメラとマイクを設置して、テストとしてそこに座って話しはじめ」る。そこで語られるのは、父に連れられてしばしば洞窟にこもっていたという、少女時代の記憶だ。しかし、その話にしても、かつて19歳の父が「一人で洞窟に隠れて暮ら」していたときに村が襲われ、家々には火がつけられ、「自分の小さいきょうだい」2人が連れ去られ、父親(自分の代わりに射殺(代殺)された)の遺体を葬ったという、壮絶な体験は含まれていない。
インソンの映画が本来の計画とはずれ、さらに制作当時は知りえかった情報は「入れなかった」。このことからも、インソンもまた作品の不完全性とその受容の不完全さ(「何に関する映画なんでしょうか?」)を意識している。
とすると、作品で描かれない苦痛を、受け手は受容できるのか。そもそも、作り手の苦痛はいつまで続くのか?
痛みをもっての真実の受容について、本作では訳者の斎藤によって沖縄語に置き換えられた済州島の言葉(済州語)での証言が、その好例として物語内に入れ子状に組み込まれている。ある証言者の言葉に注目しよう。
四・三事件の大虐殺の目撃者である老婆(当時は30代後半)のもとを訪れた「その人」とは、インソンの父である。老婆に尋ねたのは、彼のきょうだいの最期についてなのだろう。
さて、インソンによると、父の手が震えていたのは「そのときの感情のせい」ではなく、持病の狭心症によるものであり、逮捕後の拷問による後遺症なのだという。
「訳者あとがき」によれば、1948年に始まる「四・三事件は「大韓民国の建国を妨害しようとした共産暴動」とされ、多数の無実の民間人が国家公権力によって虐殺された事実はその後ずっと隠蔽されたままだった」という。
老婆の発言から、インソンの父が訪ねてきたのは、四・三事件の15年ばかりあとということなので、1960年代前半のことだろう。これに先立つ1960年、四・一九革命により「一時的に吹いた民主化の風の中で、済州島でも真相究明の動きが見られた」。しかし、「翌六一年に朴正熙(パク・チョンヒ)による軍事クーデターが起こると全国の遺族会の幹部らが拘束され」、「死刑宣告を受けた人もあった(後に減刑)」という。
インソンの母・姜正心(カン・ジョンシム)も60年時点で、済州島から遠く離れた慶尚北道(キョンサンプット)の遺族会の活動に参加している。兄(インソンのおじ)が慶山(キョンサン)のコバルト鉱山で殺害された見込みが強いからだ。正心は1年をかけて兄の遺体を探し、関連する記事や資料を集める。それは翌61年に遺族会会長が死刑宣告を受けるまで続く。
斎藤によると、インソンの母は遺族会の活動が中断されたのちも兄の行方を追ううちに、インソンの父に出会うとし、これを1965年と推定している。このことから、上記引用でインソンの父が老婆を訪れたのは、軍事クーデター後、遺族会も活動を中止していた期間であることがわかる。このような厳しい時局に老婆が心を開いたのは、やはり彼が苦痛を抱えていたからであったことは明らかだ。いわば苦痛の等価交換である。目撃者である老婆は「私に何(むし)ん罪もないのに」、胸も目鼻も「鉄の火のしを乗っけたごと、息がでけんようになっ」た。火のしとは、昔のアイロンのことだ。虐殺に対し、黙視と沈黙を科せられてきた老婆のトラウマと苦痛が、彼女の重い口を開かせたのだ。
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ここまで、苦痛が真実へ通じる「No pain, No truth」という信念が、本作に貫かれているさまを見てきた。そして、苦痛の共有を通しての真実の伝達は、キョンハやインソンが試みていた創作では成就せず、苦痛の等価交換で得られた「証言」にその実現の萌芽が見られた(本作はその芽を内包するという二重構造をとる)。そして、99本の黒い木のプロジェクトは「苦痛の等価交換」の延長線上にあり、言ってみれば自らの苦痛と他者の苦痛を重ね合わせることで結実する。少なくとも、そう期待されている。
では、苦痛はいつまで続くのか。このもう一つの問いに答えはあるのだろうか。
「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」が考えるように、死は苦痛からの解放だと我々は期待している。魂のみの存在となったとき、現世のかりそめの肉体が感じる苦痛はなくなるはず、と。
しかし、先の「幻肢痛」の考え方は、死後の救済をあっさり否定する。失った肉体の痛みを、魂が永遠に感じ続ける事態を否定できない。『世界の終り〜』においても、「私」のほかにシャフリング・システムの処置を受けた者の末路がそれを示唆する。
「表面下の意識」に「安らかな世界」を作り上げていた「私」は、その世界へ移行する資格を持つ。ということは、「矛盾したわけのわからんカオスの世界」は安らかではなく、運が悪ければそこでは苦痛も永続するのかもしれない。「私」のように、新たな世界への移行を「死」としてとらえるなら、前者を「天国」、後者を「地獄」ととってもいいかもしれない。
しかし、その「天国」である「世界の終り」で、「僕」は世界の完全さが自らが作り出したものであることに気づく。その世界は安らかではあるが、「弱い無力なもの」である「獣」に、人々の自我を背負わせることで成り立っている。「僕」は世界の創造主としての責務を果たすため、世界の終りにとどまることを選ぶ。
「僕」の感じる「責任」は、自ら(「私」)が想定していた魂の救済を最終的に否定する。
安易な救済を拒否する責任、責務。そこには苦痛が居座り続ける。死すらも、それを消し去ることはない。
『別れを〜』に戻ると、やはりキョンハ、インソン、正心らは苦痛を抱き続け、死後まで持っていきかねない印象がある。ただ、作中、キョンハの抱える痛みが消える瞬間がある。
キョンハが痛みの限界を迎えることを恐れる場面から見ていこう。豪雪の中、居合わせた老人とバスを待っているときの描写だ。キョンハは病室のインソンに携帯メールを送るか、電話をかけるか迷っている。
実際、キョンハはこのあと、インソンの携帯を鳴らすのだが、電話に出た女性から緊迫した声で「後でかけ直してください、後で。」と告げられ、通話を切られる。
その直後、「噓のように交差点を曲がって」きた路線バスに乗り込んだキョンハは、老人が途中で下車するのを見届けた後、インソンの作業場にもっとも近いと思われるバス停で降車。徒歩で雪中を行くうちに、涸(か)れ川に「うっかり入り込み、滑り落ち」て気を失ってしまう。
目を閉じているときと変わらない暗闇のなか、意識を取り戻したキョンハは、「腰と肩が痛む」ものの、あの頭痛が消えていることに気づく。
このあと、キョンハは奇跡的にインソンの作業場にたどりつくわけだが、そこではインソンとの再会が待っている。「切断も縫合もされていない」指を持つインソンは、かつて亡母・正心が驚異的な執念をもって兄の行方を探っていたことを、その痕跡とともに示していく。
生と死、現在と過去の激しい交錯は、キョンハが抱えていた痛みから解放されることにより可能になる。では、キョンハは滑落時に死んでしまったのか? キョンハが携帯を鳴らしたとき、インソンの容体は急変していたのではなかったか。ならば、インソンは亡くなって、幽霊として作業場に現れたのだろうか。そもそも、キョンハが意識を取り戻す直前の描写は、バスから降りずに「運転手と一緒にPまで戻る」ことを考えている場面だ。キョンハはもしかしたら本当にバスを降りなかったのかもしれない。では、この家にいる、苦痛を失ったキョンハとは何者か?
もちろん、答えは明確に書かれてはいない。ただ、生や死、現在と過去など対立する概念が、このとき渾然一体となっており、キョンハとインソンという彼我の区別もあいまいになっていることは確かだ。
上記場面で、キョンハとインソンは熱い笹の葉の茶を飲んでいる。かつて、母のもとに現れたインソンの生き霊(?)は、熱いお粥を食べられなかった。霊魂はものを口にすることができない。とするならば、インソンが生きていてキョンハが死んでいる世界と、インソンが亡くなっていてキョンハが生きている世界が、このとき重なっているのかもしれない。
粒子と波の両方の性質を持つ光は、量子レベルのミクロの世界では、「二か所に同時に存在」するように振る舞う。観測者がその存在を「見きわめよう」とした瞬間、どちらか一か所に光の所在が確定する。
つまり、観測をしなければ、光は同時に二か所に存在できる。ソウルの病室と済州島の家、生の世界と死の世界、過去と現在。弱さと強さ。語りと沈黙。抵抗と服従。亜熱帯の木々と吹雪。痛みを喪失しているキョンハには、そのあわいにいることが許される。
生の希望もそこには残されているのだろう。なぜなら、未分化な生死のなかから生を、曖昧な彼我から「あなた」を見きわめようとすればよいからだ。たとえ、そこに再び苦痛が待っているとわかっていても。
痛みは孤立を招くと先に述べた。上記引用の「血と電流」のうち、「血」は先述の指の腐敗を防ぐための流血だろう。そして「電流」とは、インソンの父、そしておじが酒精工場で受けたであろう拷問を指すのだろう。
痛みは「自分自身の体が刻一刻と作り出す拷問の瞬間」に閉じ込める。それが孤立だ。苦痛の中断は他者の苦痛を一時的に受け取ることを可能にし、その後、また個別の苦痛に満ちた孤立した生へと戻っていく。たしかに小説は不完全な器かもしれないが、その道筋をたどることは可能だ。
一方、彼我の区別がつかない状態ーー結末近くのキョンハとインソン、過酷な介護を通してのインソンと正心ーーが持続することも一つの苦痛である。
この後おとずれた正心の死は、愛という苦痛の強制的なシャットダウンとなる。インソンは個別の痛みに満ちた自らの生に帰っていくことができなくなる。
あくる日から、インソンは細川里(セチョンニ。インソンの父の村。架空か)の資料を探し始め、さらに「母さんのたんすの引き出しからおじさんに関する資料を発見」する。「母さんが集めた資料の空白に、私が新しく見つけたものを縫い込みながら、一日一日を過ごした」。そして、母と未分化の状態を引きずったまま、ついに「あの人たち」がやってくる。
母と合一したまま、愛という苦痛から抜け出せずにいたインソンは、1948〜49年に島で殺された3万人、さらに50年6月の朝鮮戦争開始に伴う「予備検束」により防共の名のもと本土(「陸地(ユクチ)」)で殺害された20万人を迎え入れる。
いや、それだけではない。「インソンはずっと、私のことを考えていたのだ(p52)」。
インソンにとってのプロジェクトの始まりは、「あれみたいなことが起きた全部の場所にいた人たち」の到来により、「何千本もの透明な針」を通して「輸血のように生命が流れ込んでくるのを感じた(p293)」ときであった。キョンハが当初、直感的にとらえていた「虐殺された人々とその後の時間にまつわる夢」を再現し、弔う。合一と決別の終わらない儀式の始まりを。
キョンハもまた、2014年に見始めた「夢の意味を疑ったことはな」かった。「あの都市だけの夢ではないはずだと」。しかし4年後の「昨年の夏」、20日近くも続く熱帯夜の夜、夢の真意に気づく。
上記と同じときのことだろうか。8月の夜明けに「夢と現実の間で、黒い木々が並ぶ野原をまたも見た」キョンハは、インソンに電話をかけ、「黒い木を植えるプロジェクトはやめた方がよさそうだ」と告げる。「最初から私が夢の意味を取り違えていた」と。
結局、インソンはひとりでプロジェクトの作業を続けるなかで、指を電ノコで切断してしまう。いや、もしかしたらわざと指を切り落としたのかもしれない。
夢の意味の取り違えに気づいたキョンハは、4年の間にいくつかの「個人的な別れ」を経験していた。そして、最後の別れの準備を、つまり遺書をしたためている。
それでも、夢はキョンハを生かそうとしている。
このように、キョンハは本書冒頭から「何も待たず、誰の助けも信じ」ない道を選んでいる。なぜなら、生を持続させたいと望むから。
では、指を切り落としたインソンの呼び出しに応じ、彼女が単独で進めていたプロジェクト、そして彼女のもとにある亡母、死んだ鳥(アミとアマ)、「あのひとたち」の記憶といったんは合一を志向したのはなぜか。
いまいちど、二か所に存在しうる光に立ち返ろう。斎藤によると、「別れを告げない」の直訳は「『作別しない』となる。「作別」という熟語には「別れる」と「別れを告げる」の両方の意味があ」るそうだ。言い換えれば、「別れを実行する」ことと「別れの挨拶をする」ことが未分化である。つまり「別れを告げない」とは、「別れを実行しない」ことと「別れの挨拶をしない」ことが重なった状態のことだ。
インソンの母は、慶山遺族会の事務局長が生存者の存在を示唆したとき、兄がそうであってもおかしくないという希望に取り憑かれる。しかし同時に、もし兄が生き残っていたら、妹である自分のもとに現れないのはなぜかという自問自答も始まってしまう。
インソンのおじは、インソンの父と同様に、酒精工場で拷問を受けていたと思われる。正心と姉が工場に兄を訪ねたとき、おそらく拷問により兄は放心状態にあり、常時であれば身だしなみを気にする彼の髪は乱れていた。それをからかうように指摘したことを、正心はずっと後悔している。
兄が帰ってこないのは、私が心ない言葉をかけてしまったかもしれないーー。
死と生が重なり合った状態を認めること。それをインソンは「分裂」と呼ぶ。シンプルに狂気と言っていいかもしれない。そして、インソンもまた自身が「だんだん狂いはじめていると感じ」る。
しかし、キョンハは生と死の重なりを肯んじない。
キョンハの答えはあらかじめ出ている。未分化な生死のなかから、生を見きわめようとすることだ。つまり、「別れを実行する」ことだ。そのためにここに来た。だから、別れの挨拶はしないのだ。