ぽん太の東海道五十三次歩き旅(28)藤川宿→池鯉鮒宿
こんにちは。ぽん太です。今日は徳川家康の生誕の地岡崎を経て知立(池鯉鮒)まで赴きます。本日の行程には松並木が多く残されており、楽しむことができました。
旅日記
2023年9月17日。今日は距離を稼ごうと、藤川駅を8時過ぎにスタート。
藤川にも立派な松並木(藤川の松並木)があり、その後知立に至るまで、何か所か松並木を拝見することになる。こう毎日暑いと、松並木の日影効果のありがたさを実感する。9時過ぎ、西大平藩陣屋跡に到着。西大平藩は江戸の町奉行で有名な大岡越前守忠相が藩祖のようだ。少し行ったところには、大平一里塚。立派な一里塚が残されている。
岡崎インターチェンジ近くで旧道が複雑で少し道を間違えながらも、10時過ぎ、岡崎城二十七曲がりの碑に到着。そういえば、掛川城にも七曲りがあったし、沼津や豊橋にも曲がりの道があったなあ。
岡崎は徳川家康の生誕の地であるが、家康の江戸入りの後に岡崎城城主となった田中吉政は、東海道を城下町に引き入れて、くねくねとした屈折の多い道筋「二十七曲り」を作った。これは城下防衛とともに、街道筋に店舗を並べて旅人たちにとどまらせる経済効果を狙ったとも言われている。
ちなみに、岡崎城二十七曲がりについては、ネコチャーンさんの記事に詳しい。
11時に岡崎城に到着。ここにも静岡市・浜松市同様、「どうする家康」の大河ドラマ館があり、三連休のせいか、この暑さにもかかわらず観光客でにぎわっている。これで静岡・浜松・岡崎と3つの大河ドラマ館を自分の足で訪れることになる(中には入ってないけど・・・)。
天守閣は行列がすごかったので諦め、少し散策し、その後岡崎公園前の定食屋浜石でランチ休憩(11:30-12:10)。
食後は有名な八丁味噌蔵を少し散策する。八丁味噌は、岡崎城から西へ八丁(870m)離れた八丁村で作られたことから命名されたようだ。細い路地が郷愁を誘う。
広重の絵にも出てくる矢作橋は、江戸時代は東海道で最長の橋であったようだ。当時矢作川の舟運は三河の主要産業の一つであった模様。
さて、1号線から旧道に入ると、歩きやすくなる。そういえば、天竜川を渡った中野町に似た雰囲気だ。
その後尾崎の松並木を過ぎ、14:30永安寺に到着。だんだん暑くなってきたので、少し休憩する。ここには雲竜の松という不思議な松がある。本当に竜のように横に枝を張っている松だ。
当初今日の到着地は新安城駅と予定していたが、昨日のように足がつることはないので、頑張って本日の宿のルートイン知立まで歩くことに。
休み休み歩きながら15:50来迎寺一里塚に到着。久しぶりに道の両端に残されている一里塚を見た。
その後知立松並木を抜け、16:30本日のお宿のホテルルートイン知立に到着。今日も暑さでクタクタ。今日の宿は温泉があるので、のんびりくつろぐとしよう。
ちなみに、知立はかつて「池鯉鮒」とも書いたが、鯉や鮒が多いところかと思ったが、有名だったのは実は馬で、馬市が開かれていたことが、広重の絵からも伺える。
記録
総歩数:41,369歩
実際に歩いた距離:22.1km
訪れた宿場:岡崎宿・池鯉鮒宿
宿泊:ルートイン知立