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12月25日 松山町駅(宮城県)~クリスマスにみちのく歴史ロマンを感じる~

12月24日土曜の夜、彼女と横浜の夜景を見た後、私は東京駅のバス乗り場へとやって来た。

2022年のクリスマスはカレンダーが土日に当たり、穏やかな天気の関東は人出も多かった。ディズニーランドの道路渋滞を受けたバスは30分遅れで発車したが、北への道は順調で、翌朝は15分も早い4時45分に仙台駅へと到着した。

今日は東北本線の松山町駅の開業記念日を訪れようと思う。意外なことに、クリスマスの開業記念日の駅は全国に多く、ここ数年のクリスマスの私は駅と誕生日を祝うようなことばかりしている。

松山町駅へは仙台駅から東北本線の列車に1本乗れば着くのだが、駅員さんが動き出すのは朝8時からである。
あまりに早くに着きすぎるので、私は仙台から海沿いルートの仙石線に乗り、港町 石巻から内陸に戻り松山町へ向かう「遠回り」をした。とは言え、連日の仕事疲れでほとんど電車では寝てばかりいて、オレンジ色に照らされた朝日のまぶしさに目を覚ました。駅名標が「松山町」であり、朝7時すぎである。

旧松山町地域は、江戸時代、伊達家重臣の茂庭氏による千石城(松山城)で栄えた城下町である。茂庭氏は城下町の整備ともに、新田開発にも力を注ぎ、鳴瀬川流域に広がる湿地を利用し、水田農業地帯として発展させてきたという。駅は中心部からやや離れた、やはり見渡す限り広大な水田地帯の中にぽつんとある。一見すると川沿いの低地は平凡に見えるが、東北の太平洋側特有の冷たく湿った季節風による冷害や、渇水、洪水などの水の問題が古くから人々を悩ませていたそうだ。

厳しい自然環境下を克服するために、江戸時代からたくさんの取水堰や水路がつくられ、冷害に負けない苗の植え方から水の調整方法までもを巧みに編み出しながら、今日のブランド米「ササニシキ」や「ひとめぼれ」の歴史を紡いできた。それだけ歴史の詰まった水田であるから、多少の寒さを感じても、ホームから眺めていたい景色である。

仙台への通勤圏内でもあるので、この小さな駅にも列車の時間になると人が集まり、吸い込まれていく。私は何度かその列車を見送り、お酒づくりも有名なのかと看板を眺めているうちに、窓口のカーテンが開き「お待たせしました。」と声が聞こえた。時計を見ると7時58分であった。

年配の駅員さんは、ファンの気持ちをよく理解しているようで「入場券に入鋏印は押しますか」と声が掛かる。入鋏印とは、自動改札機がない駅や車内などで、きっぷの確認をしたという意味で押すスタンパーである。その昔は、鉄の鋏できっぷを切っていたから「入鋏」である。
私は入場券は未使用で残しているのでスタンプはしなかったが、程よく会話を交わして気持ちの良い出会いであった。

駅員さんは列車が到着するたびに、ホームへ出て、きっぷ回収をしながら行き交う列車の運転士さんや車掌さんに敬礼をして見送っていた。どこにでもありそうな姿ではあるが、機械の進歩と合理化のいま、こうした光景もずいぶんと見られなくなってきたなと思う。私も見送られながら、小さな駅を後にした。

【松山町駅(まつやままち)-明治41年12月25日開業 開業114年】

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