外見至上主義(ルッキズム)と「性」に対する優劣―中高生の妊娠相談の増加からー
はじめに
以前、外見至上主義と見た目問題を交えたものを書いています。
世界は、依然として「外見」による優劣をつける傾向はなくならない。
人間の奥底にまで浸透している“公然と許された差別”であるといえる。
外見至上主義(ルッキズム)を語るとき、多くの問題に向き合わなければならない。そして、外見至上主義(ルッキズム)を語れる人は、あまりいないのではないかと感じざるを得ない。
例えば、ジェンダー的な解釈をする時、恵まれた「女性」がいくら外見至上主義について語っても、セックスシンボルになれて注目され富と名誉が与えられた時点で「いい思いをしているくせに」と「搾取や暴力性」などを見えなくされてしまう。同様に、容姿が整っているとされる人がこの問題視すればバッシング受けたりすることが必然的である。
そんな私自身も、あんまりいい気分はしない。その問題がいくら的を射ていても「容姿によるインセンティブ」を受け取っているというフィルターが正常な思考を阻害してしまう反省はある。
一方、容姿が整ってない人が語る場合、「自分の問題を取り上げ、負け惜しみだろう」とか「それだけつらい思いしてきたんだ・・・」と哀れみや奇異の目で見ることで、正常な思考は難しくなってしまう。
それだけ「容姿」という体で一番可視化されており、最も「人間」を理解させることができる容易さを持っているが危険なものであると改めて感じてしまう。
容姿に関する研究は多く、容姿によって“経済格差”や“幸福度”、“人生の過ごしやさ”に至るまで、様々な恩恵な恩恵があることが数字で表れる。もちろん、容姿がいいことで「性的被害や人間関係のいざこざ」などに巻き込まれてしまいやすいという問題もあるという事実は理解するべきだろう。
容姿の大切さ?
しかし、容姿がいいことでメリットがあまりに多く、容姿が少しでも悪ければ「機会の喪失」にも繋がりかねない。
容姿の悪さにも、いくつかあると私は前々から感じている。
① 人を不快にさせてしまう因子を多く持つ者
② 人を不快にさせないものの空気のようになってしまう者
③ 容姿にそこまで問題はないが、性的魅力に欠ける者
④ 容姿に問題がないにもかかわらず、人間としての清潔に欠ける者
などがあるのではないかと思う。
私自身、自分自身の容姿は「この世で一番醜い」と思っているが、他者はそこまで問題にしてこない(もちろん、容姿が悪いと言われることもあるが)。ただ、性的魅力(男性性)が極端に低いため、無生成物ものような印象になり性の対象にはならない。
それは悪いことなのかと言われれば、問題なのかと思うこともある。しかし、性的魅力がない、培えないということは「努力をしても一人ぼっち」ということである。誰かを紹介してもらえばいいなんて言われても、「あなたに合う人がいないなー」と典型的な断り文句を言われることも多くある。
この世界は、容姿がよれば中身の部分はいくらでも変化することもでき、あるいはあらゆる悪を隠すことが可能であるというのは周知の事実であろう。
容姿によって「性」の優劣がつけられることで、より生きずらい社会で生きなければならなる。また、機会の損失に合わせて自己肯定感などのも影響を及ぼす。
中高生の妊娠相談増加の羨望
その一つの例が、最近話題になった「中高生の妊娠相談が増えたことへの大人よる羨望眼差し問題」にも結びついてくるように思う。
性体験や妊娠というのは、人に愛されるor魅力があるなどに結び付き、できないということは容姿の優劣や努力しても越えられない老いなどの壁を浮き彫りにしてしまう。
また、容姿だけなく、大人になることで容姿+αが重要になってくることで「自分たちには容易なことではない」ということがあるのかもしれない。もちろん、性風俗や“その場限りの友人など”を使うことでアクセスは容易であるはずであるが金銭が絡むため、金銭をなしに行えることも羨ましさなのだろうか。
きっとそれだけではないだろう。大人が羨望を抱く背景は、「コロナなのに・・・」にいうこともよりも、簡単に愛し愛されるが可能であったり、妊娠というものを容易にできることの問題、自らの努力と裏腹にすぐに行えて、若いが故の「外見よりもセックスの体験数」ということを言えるからかもしれない。
私は、若いからこそ外見だと思うし、年齢が上がれば上がる容姿+社会的地位も付随してくることの重要性もわかる、割り切って関係にも容姿の優劣があるし、性の魅力がなければすることもできない。
結局、容姿や性の魅力が最低ラインにあるため、簡単にはできない人が多いことの結果であるし、それだけ人間界は「外見至上主義」が広まり、外見至上主義を知らず知らずのうちに肯定してしまっていることわかる。
まあ・・・。あまり知識がなく、文化階層が低く、性に対してハードルが極端に低くなどの人々のなかには容姿も関係なく「性行為」というものだけに依存していれば容姿は関係ないといえることもあるだろう。しかしそうはいっては、ここにも様々な問題があるので、しっかりと考察していき改善を促さなければならない。
外見至上主義(ルッキズム)を語るとき、多くの問題に向き合わなければならない。問題だけではなく、自らの恵まれにも目を逸らしてない。
しかし、至極簡単な問題ともいえる。
この外見至上主義(ルッキズム)から解放されるためには
自らが満たされ、隣に愛する人がいて、いざこざに巻き込まれることのない環境で
天寿を全うすれば気にしなくても済む・・・?
―参考文献・記事―
小林盾、谷本奈穂 2016 「容姿と社会的不平等 ─キャリア形成、家族形成、心理にどう影響するのかー」『成蹊大学文学部紀要 第 51 号』 pp.99-113
大坊 郁夫 2000 「顔の魅力と認知 社会心理学的展望」『日本化粧品技術者会誌』 日本化粧品技術者会34(3), 241-248,
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