AWGs 13のゴール ~ありのままの姿を愛そう~
AWGs 13のゴールでは、「もうやめよう、審美目的の断尾・断耳」を目的の一つとしている。しかし、私はサスケの老年期を題材に~ありのままの姿を愛そう~を考えていきたい。
・はじめに
動物も人も、最後まで「元気で・活発で・明るい(とても気弱な頑固だったけど)」な姿を想像する。そして、眠るようにしてスッと亡くなることを思い描いているかもしれない。
私自身もそうだった。いつまでも変わらない姿でいることを想像していたと思う。でも、命あるものに人形や陶器のような永遠の美しさは存在しない。
いつまでも変わらない笑顔ではいてくれない。
少しずつ変わっていく容姿、反応が薄れ、自分自身が想像しないような行動をしだす。それさえも受け入れて、「ありのままの姿」を愛し続けないとならない。
それが、命を迎えるということである。そして、動物は愛玩のためだけじゃないのである。私はサスケを最後まで愛せていたのだろうか。
変わりゆく姿を含めて、動物は迎え入れなければならない。
私はいま、強く感じている。
・変わりゆく姿と行動~白内障と認知症から~
12才を過ぎたあたりから白内障の症状が出てきた。
白内障の手術は、人間と違って多額の治療費用が掛かってしまう。うちには、そこまでのお金を支払うこともできず、動物病院でも「年齢的に仕方ないし、鼻も利くから、注意してみていればいい」ということであったので、そのままに受け入れることにした。
もちろん、症状を遅らせる対処療法もあるが、点眼の嫌いなサスケには難しいものであった。徐々に見えなくなる視野、真っ白な目になっていく姿は悲しいものだった。
そうしているうちに、13才の最後の方になると認知症を発症する。
最初は、目が見えないことの恐怖なのだろうか。
寝るときだけゲージにいれていたのだが、急に叫び始めてしまった。
2~3週間の間は、叫び、外に出すと落ち着き、また入れると叫ぶことが続いた。精神的に参ってしまったところで、病院に連れていくと「脳に委縮」があるという。つまり、認知症が始まっているということだった。
致し方無いことかもしれないが、これからはもっと酷くなる覚悟をした方がいいという。
長く酷くなることを考えると・・・。正直、少し嫌になってしまった。
その不安と恐怖は、まだ甘いものであった。
4年弱をかけて、認知症は深刻なものになっていく。
例えば、昼夜逆転したり、夜なるとずっと叫び続ける、グルグルと回り続ける、身体も曲がり毛も抜けていく、歯肉炎や歯がボロボロだったり・・・。年老いて、認知症になり、白内障で目も見えないという状況になるとこうした現象に向き合う必要が出てくる。
毎日眠れない、毎日家族で喧嘩して、薬を強くしてもらったり、寝床をいいものにしたり、手を変え品を変えて試しても、状況は悪化していく。
サスケは17才目前で老衰によって亡くなるが、その半年前には家族みんなで限界が来ていた。
だから「安楽死」を考えた。
もう限界だったから。
それは、ありのままの姿を愛そうということが貫き通せなかったから考えだったと考える。
でも、それだけはできなくて、あとどれくらいなのだろうか考えながら過ごすあくる日
食べ物も飲み物も受け付けず、虚ろに歩き回るだけになった夜
突然の痙攣がサスケに訪れる。そして、死戦期呼吸のような呼吸に変わった。
呼吸が落ち着くたび、感情のなかった顔に微笑みが戻る。
それを幾度か繰り返し、サスケはこの世での生活を終えることになる。
本当に幸せだったのか、本当にこの家に来てよかったのか、ありのままを愛せていたのだろうか。
僕は、ありのままの姿を愛せていなかったかもしれない。
・さいごに
いつまでも思い描いている姿で過ごしてくれるわけではない。
4年間は、本当に辛かった。お互いに薬を服用しなければ平穏もなかったときもあった。
自分自身、仕事や勉強も手につかず、将来の夢を1つ諦めたものある。それは、自分自身の弱さかもしれない。家を出ればよかっただけかもしれないが、ともに過ごすこと選び受け入れ、受け入れることができなかった部分であるけれど。
最後まで向き合っても、ありのままの姿を愛せた自信はない。
サスケはきっと恨んでいるかもしれないと思うこともある。
犬を飼うということを甘く見ていたと感じた瞬間でもあった。もちろん猫も含めて。脅しているわけではないが、ともに過ごすというのは大変なことである。
今、命に向き合おうとしている人たちに伝えたい。
いつまでも変わらない姿はない、みんなと同じように変わっていく。最後まで、その命の役目を終えるまで、一緒に暮らしてほしい。
今、命に向き合っている人たちに伝えたい。
自分自身の思い描くままではあり得ない、あなたが思う通りにはならない。
最後まで、その命を受け入れていく、話し合いや将来設計をしてほしい。
どのような姿であっても、ありのままの姿を愛し続けてほしい。
そう私は考え、できていたのかと後悔している点である。
(上記URLより引用)
たとえば、日本で人気の犬種トイプードル、その多くがかわいい見た目のために生後すぐに尻尾を切られていることを知っていますか?凛とした佇まいのドーベルマンが、ピンとした耳が精悍に見えるという理由から耳を切り取られていることを知っていますか?断尾や断耳はもともとヨーロッパで猟犬として人間と共生していた際に、怪我を減らすために施されていた施術であり、今はその目的が形骸化して見た目のため(審美目的)に行われています。考えてみてください、尻尾があるからかわいくない、耳が垂れているからかわいくないということはありませんよね。AWGsでは、人間に寄り添って元気をくれる犬の存在自体が貴重なものであり、ありのままの姿がいいと考えます。現在では多くの国で禁止されている審美目的の断尾や断耳を、日本でも法規制の対象としたいです。この考えに共感してもらえたら、ぜひ署名をお願いします。