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自分を自分で見捨てないために~これからの自分へ~



自分のことを好きになれないのも 自分のことを守ってあげられないのも

ずっと・・・どこか別のところに問題があると思っていた。

容姿や性格を直しても直してもダメなのは、これらに問題があったわけじゃない。今まで、どんな人や環境に属してきたかを真剣に振り返らなくてはならなかった。

煌びやかさ、地位や名誉、外見、金銭の多さ・かけかたなど・・・

そうしたものを重視しかできない人の中にいては、自分自身を卑下するしかなくなってしまう。

その人たちは危うさを見栄えで隠して、よく見せて
本当の弱さを放置しているような人たちである。


そして、僕は「かれら/かのじょらの弱さを満たすこと」はできないのである。


自分自身は、どれだけ他者の視点を気にして、どれだけ自分の心を追い詰めてきたのだろうか。

確かにこれまでも向き合う機会はあったはずなのに放置してきた。

何事も他者比較する自分は、“自分の価値を外部”に見出していた。特にそれは、毎月のイベントや自分の誕生日がどうであるかに価値を感じていた。

そしてSNSは、“自分の価値がどこにあるかを計る手っ取り早い手段”だと勘違いがあった。

人も煌びやかさも冷静にみれば、単調で変わり映えのしない無理さが見えてくる。絶えず誰かとくっついていて、絶えずスケジュールを生めるようにして「自分の心を常に何かで満たす」ことで、孤独という問題から目を逸らし
短期的な安心感を獲得して、日々の恐怖を麻痺させている。

そして、煌びやかではない人を排除することも多い。

そんな人々に囚われては、自分を大切することができない。

もう少し深く考えれば、何かに追いつこうとすればするほど離れていく。
夢も人も幸せも。結局、自分のできる範囲で自分のスピードで走らなければ何も手に入らない。

とにかく自分にないものを埋めたくて埋めたくて仕方がなかった。
自分の気持ちや自分の適性を無視して無理ばかりしてきた。

だから大事な軸がなくなってしまい、ブレブレになって、無駄な道や荷を背負うことになる。ようやく人生の方向性を見出しても、苦手な仕事を選んでしまうことも増えた。

とにかく自分を自分で傷つけてきたからこそ、こうめちゃくちゃになってしまったのかもしれない。原因は自分自身ではなかったとしても、自分を大事にしていたら変わったかもしれない。

もちろん、そう簡単に変えられるわけじゃない。
気が付いたところで20年以上の蓄積を容易く修正できるわけではない。

ただ、30歳を目前にして
いい加減自分を大切にしないといけないことに目を向けなくてはならない。

もう自分を低く見積もる人や自分をたぶらかそうとする人と一緒にいなくていい。自分のペースに合わない人を大事にしなくていい。

世界を冷静に見てみれば、皆同じような繰り返しの中で生きている。
煌びやかにしたところでバリエーションは多くない。

自分の思う“本当の人々”の真似事をしている人しかいない。

自分は自分のできる範囲で突き進めばいい。自分の人生なのだから。
もう自分にできないことや無理なことをしなくていい。

目標を決めたのならば苦しいことを選ばずに、健やかな方を選べばいい。

10代・20代が苦しかった分、これからは楽しいことや無理しない方向に行こう。誰がどう思うと自分は自分らしくいこう。

大丈夫。自分で決めたことならば。
大丈夫。自分が思うほど、自分は何もできていないわけじゃないから。

不安な気持ちも怖い気持ちもあるけれど。

しばらくは「不快なもの」から遠ざかろう。

これからは「自分の人生」を生きよう。


この経験が必ず役に立つから。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。