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食前の祈り

 洗礼を受けてから、食事の前に祈るようになった。
 クリスチャンが、みんなそうしているとはかぎらない。ふだんの生活で、いちいち食前には祈らないという人もいるだろうし、祈っているという人でも、祈り方はさまざまだと思う。

 不思議なことに、クリスチャン同士で、「家では、ごはんの前に祈ってる?」というような会話をすることは少ないから、他の人がどうしているか、本当のところはわからない。洗礼を受けた直後の頃だったか、たまたまそういう話をする機会が何度かあって、「人によって、それぞれなんだなあ」という印象を持っている。

 私の場合、受洗後にまだ独り身だったころは、家では食事の前に声に出して祈り、出先では短い時間、目を閉じて、声に出さずに祈っていた。
今は夫とふたり暮らし。夫もクリスチャンだから、家では食事の前に、ひとりずつ、声に出して短いお祈りをする。先に夫が祈り、続けて私が。

 私たちはプロテスタントなので、文言が定められているお祈りは、主の祈りと呼ばれるものくらい。それ以外は、みんな自分の言葉でお祈りをする。

 ちなみに、私が朝食前にいつもしているお祈りは、こんな感じ。
「恵み深い父なる神様、今日も新しい日を与えられましたことを感謝します。どうか御心にかなう働きができますようにお導きください。恵みに感謝して、この食事をいただきます。この祈り、主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン」
 最後のアーメンは、夫が声を合わせてくれる。夫の祈りの最後にあるアーメンも、ふたりで声を合わせる。祈りの間は目をつぶり、両手を組み合わせている。

「恵みに感謝して~」より前の内容は、その日によって異なっている。
 仕事で出かける日は、「留守番の夫と猫たちをお守りください」と言うこともあるし、夫が用事で出かける日は、「今日は夫が出かけます。どうか無事に帰って来られますようお守りください」と言うこともある。
 夫婦喧嘩をした翌日には、「きのうは夫に、つい言い過ぎてしまいました。どうか仲直りできますように導いてください」といったようなことも。神様に向けての言葉だけれど、声に出して祈っているから、当然、夫にも聞こえている。夫が先に同様のことを祈る場合もあり、そのおかげで赦し合えることもある。

 小説『橋で祈る ~夜の底を流れるもの~』にも少し書いたけれど、短い言葉でも、声に出して祈ってみると、自分の気持ちが整理できる。意外と嘘は言えないものだ。
 目を閉じて、神様に何かを言おうとすると、必然的に、自分の心を素直に見つめることになるのかもしれない。

 どんなに忙しい時も、毎日必ず食事はするから、そのタイミングでいったん心を落ち着かせ、自分自身を確認することができる。食前の祈りの習慣を持てたことは、私にとって、クリスチャンになって良かったことのひとつだと思う。

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『橋で祈る ~夜の底を流れるもの~』のあとがきにかえて
蝉時雨の絶えぬ日に  真帆沁

(写真はある日のわが家の朝食です)


↓私がnoteで発信していること&スタンスについては、こちらの記事をどうぞご覧ください。



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真帆しおん*MAHO Shion
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