
聖書協会共同訳の聖書を、読んでみたくなりました。
前にこちらの記事で、聖書協会共同訳の聖書について触れました。
このときは『ここが変わった!「聖書協会共同訳」新約編』を読んだだけでしたが、
最近、同シリーズの旧約編を読みました。
旧約聖書の翻訳も、新共同訳から随分変わっているのだなあと驚きました。 特に、コヘレトの言葉。
新共同訳のコヘレトは、人生を空しい、空しいと嘆いているニヒルなイメージでしたが、聖書協会共同訳はかなり印象が変わったようです。
『ここが変わった~』では部分的に紹介されているだけなので、ちゃんと聖書協会共同訳の聖書を読んでみたくなりました。コヘレトは好きだけど、新共同訳ではニヒル過ぎてう~んと思うところもありましたから、それが改善されているならうれしいです。
『ここが変わった~』では取り上げていない箇所も知りたくなって、いくつか気になる聖句を調べてみました。
すると、イザヤ書の私の好きな42章3節も訳が変わっているのです。
イザヤ書42:3
(聖書協会共同訳)
傷ついた葦を折らず くすぶる灯心の火を消さず 忠実に公正をもたらす。
(新共同訳)
傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。
※ちなみに、新共同訳よりも昔の訳では……。
(口語訳)
また傷ついた葦を折ることなく、 ほのぐらい灯心を消すことなく、 真実をもって道をしめす。
比較すると、いちばん古い口語訳がわかりやすくて素敵かも、と思ってしまいました。
聖書協会共同訳もいいですね。あくまでも印象ですが、原語の意味を正確に反映しようとしているのかなと感じられる無骨さがあって、好感が持てます。
いずれにしても、新共同訳の「裁きを導き出して~」はちょっと解釈が難しかった。そういう箇所は、他の翻訳と読み比べると視野が広がっていいのかもしれないと思いました。
最後に、有名なコヘレトの言葉3章11節の前半部分をピックアップしておきます。
コヘレトの言葉/伝道の書3:11a
(聖書協会共同訳)
神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。
(新共同訳)
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
(口語訳)
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
どの訳も味わい深いです。
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
鍬形(kuwagatg_bass)さんの作品を使わせていただきました。
ありがとうございます。
いいなと思ったら応援しよう!
