「蟻」は夏の季語 ~聖書にも〝夏の蟻〟が出てきます
今日は夏らしい暑い日でした。ふと、聖書に「夏」という言葉はどのくらい出てくるのかな? と調べていて、気になったのがこちらの聖句です。
怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが 夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食料を集める。
(箴言6:6-8 聖書新共同訳)
もうひとつ、似た感じのものが同じ箴言のなかに出てきます。
蟻の一族は力はないが 夏の間にパンを備える。
(箴言30:25 同)
なんだかイソップ寓話の「アリとキリギリス」を思わせる内容です。
ここで再び、ふと気になりました。
蟻って季語になっているのかな?
季語だとしたら、季節はいつ?
さっそく愛読の『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)で調べてみました。
ちなみにこの歳時記、全5巻が1999年~2000年にかけて順に刊行されました。私は実物を見る前からこのシリーズがとてもほしくて、初版を予約して揃え、以来、家宝のように大切にしています。
のちに愛蔵版が出たようです。
調べると、「蟻」は、三夏の季語でした。
三夏の季語とは、初夏・仲夏・晩夏のどこでも使ってよい、夏全体にわたる季語ということです。
蟻って夏なんだ~、と、一瞬ちょっと不思議に感じましたが、そう言われれば「アリとキリギリス」でも、冬に巣ごもりするためにアリたちは夏の間、働いているのでした。
蟻は変温動物で、冬の間は体が冷えて活動できなくなるため、ほとんどが巣の奥でじっとしているそうです。
暖房のきいた室内では、冬でもたまに姿を見かけるような気がしていましたが、それは人間の文明のおかげであり、自然の季節感ではないのですね。
ちなみに身近な虫だけに、蟻にまつわることわざは多々。
少し拾ってみると、
蟻の穴から提も崩れる:ごくわずかな手抜かりから大事に至るたとえ
蟻の思いも天に届く:力の弱い者も一心不乱に願えば望みが達せられること
蟻の這い出る隙も無い:少しの隙間もないほど警戒が厳重なことのたとえ
などです。
蟻を詠んだ俳句もたくさんあります。敬愛する俳人、中村草田男さんも詠んでおられました。
夜の蟻迷へるものは弧を描く 中村草田男
沁みる句だなあ、と思います。
今日は聖書で「夏」という言葉を探したのをスタートに、「蟻」を経由して、俳句までたどりついてしまいました。
思わぬ文学散歩で、楽しいひとときとなりました。
中村草田男さんは、クリスチャンです。ご受洗は亡くなる前日だったそうですが、その何十年も前に、こちらの句を詠まれています。
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
私の大好きな句です。この句を拝読するたびに、クリスチャンとして励まされる気持ちになります。
文学散歩ついでに、「地の塩」つながりで最後にもうひとつ聖句を引用しましょう。
あなたがたは地の塩である。
(マタイによる福音書5:13 聖書新共同訳)
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。
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