文章は、もっともっと「個人的」でいい。
こんにちは。桜小路いをりです。
最近、記事のダッシュボードを見ていて、疑惑が確信に変わったことがありました。
やっぱり、日記系の記事のほうが、読み手さんからの反応が高い、と。
だからと言ってnoteで書くことの幅を狭める予定はないのですが、「もっと個人的なことをたくさん発信してもいいのかな」と思うようになりました。なんと、note歴3年目にして。
つい客観的なことにばかり目が向いてしまって、「客観性」を重視してばかりになるけれど。
そして、「客観性」がもてはやされる世の中ではあるけれど。
でも、だからこそ、「主観的」で「個人的」で、もっと言うならことごとく内側のことを書いてもいいんじゃないかな、と思うようになりました。
忘れたことさえ忘れてしまいそうな、ささやかなこと。
今日見たかわいいお花とか。
すれ違った人から香ってきた素敵な香水とか。
読みたいと思った本とか。
電車から見えた川がキラキラしていたとか。
どうしてもラーメンが食べたくて、ラーメン屋さんに行くときに信号が点滅している交差点を走って渡っちゃうくらいだった、とか。
「こんなこと、知っても面白くないよね」じゃなくて、「こんな些細なこと、普通はなかなか見聞きしないよね」くらいの気持ちで書いてもいいんじゃないかな、と。
書く側は、「こんなどうでもいいこと」と思ってしまうかもしれません。
でも、もしかしたらそんな「どうでもいいこと」に、読み手さんが何か意味を見出してくれるかもしれないのが、インターネットなんじゃないかなと思います。
例えば、もし、今日見たかわいい花の写真にひと言添えて投稿したら。
それを読んだ誰かが、翌日、自然と足元の花に目を向けて道を歩くかもしれません。
もし同じ花を見つけたら、ちょっと嬉しい気持ちになってくれるかもしれません。
もし、電車から見た川がキラキラしていたことを書いて投稿したら。
それを読んだ誰かが、翌日、いつもはスマホをいじりながら電車に乗っているのに、窓の外に目を向けてみるかもしれません。
もし「本当だ、綺麗……」と思ってくれたら、その日1日を少し明るい気持ちで過ごしてくれるかもしれません。
もし、ラーメンが食べたくて仕方なくて、信号が点滅している交差点を走って渡っちゃうくらいだったと投稿したら。
それを見て、「明日のお昼はラーメンにしよう」と思う方がいるかもしれません。
その日1日楽しいことがなかった誰かが、くすっと笑ってくれるかもしれません。
きっと、どんなに個人的なことでも、それに価値を見出してくれる人がいる。
もし、誰かの心にほんのわずかでも「変化」をもたらすことができたら。
もし、誰かの心の水面を、ほんのわずかでも揺らすことができたら。
その文章は「どうでもいいもの」ではなくなる。
むしろ、ごくささやかな行動、ごくささやかな感情の動きに言葉を与えてネットに公開したということだけでも、十分に「尊いこと」だと思います。
それは、留めていようとしなければたちまち消えてしまうその行動や感情に、「輪郭をつけた」ということだから。
それだけでも、もう十分に、その文章には意味があるし、価値があるのではないでしょうか。
だから、私はこれから、もっともっと「個人的」な文章をたくさん書いていきたい。
そして、同じくらい……いや、それ以上に、色んなnoterさんのもっともっと「個人的」な文章をたくさん読みたいです。
あなたの「すごく個人的な文章」が、実はものすごく尊いもので、とってもとっても素敵なものなんです! と、このnoteでお伝えできていたらいいな。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。