光と影で描くもの~朝井まかてさん『眩』と「吉原格子先之図」~
こんにちは。桜小路いをりです。
私は、絵を見ることがとても好きです。
まだまだ知識は浅いので、これから美術史なども、もっと勉強してみたいなと思っています。
私が美術に興味をもつようになったきっかけ。
それは、この作品でした。
葛飾北斎の娘・葛飾応為の作品である「吉原格子先之図」。
こちらは、版画ではなく肉筆画で、光と陰を使って巧みに吉原の見世先を描いています。西洋画のような陰影を際立たせた表現が、私はとても好きです。
先日、この作品が原宿の太田記念美術館で久しぶりに公開されると聞き、見に行ってきました。
吸い込まれそうな陰影の美しさ。神秘的とすら感じるほどの、どこか寂しげで切なげな空気を纏う、そのたたずまい。
時間が許す限りいつまでも眺めていたいと思うほど、素敵な作品でした。
改めて、女性が肉筆画によって描き出したからこその吉原の華やかさ、悲しみ、温もりを、ひしひしと感じます。
この作品が現在まで残っていることが、本当に尊いことだなと思わされました。
私がこの絵を知ったきっかけは、朝井まかてさんの『眩』という小説でした。(「眩」という一文字で「くらら」と読みます。)
確か、3年くらい前に読んだ気がします。
絵師である父・北斎の姿を見て育ち、自身も女絵師として生きた、応為ことお栄。(ここからは、作中での呼び名に合わせて「お栄」と書いていきます。)
彼女は、あの北斎に「美人画では敵わない」とさえ言われた絵師でした。
しかし、彼女のものとして残っている作品はわずか十数点。
この「吉原格子先之図」も、紆余曲折を経て、絵の中の提灯に描き込まれた隠し落款から「葛飾応為の筆によるもの」と認定されました。
実際には、北斎の美人画などを代作したとも言われており、彼女の筆の入った作品は、もっと多いとも言われています。
『眩』では、お栄の人生を、彼女が絵に懸ける想いと、女絵師として生きることの葛藤、その強くしなやかな生き方が、鮮やかに切り取られています。
『眩』がきっかけで、私は時代小説の面白さと美しさをより深く知ることができたし、「吉原格子先之図」の西洋画の表現に影響を受けた日本画というところから、国内外の美術作品にも興味をもつようになりました。
何より、この小説に描かれたお栄の真っ直ぐな生き方が、本当に素敵で。
ままならないことばかりの日々を、絵師の仕事と共に生きるその姿に、すっかり夢中になりました。
女絵師として生きるお栄の人生には、「もし男性だったらこんなふうにはならなかったのだろうな」と思うようなことがいくつも起こります。それは、時代背景上、歯がゆくも致し方のなかったことです。
でも、お栄が女性だったからこそ、描き出せたものが確かにあって。
そのうちのひとつが、「吉原格子先之図」だと強く感じます。
吉原という華やかな場所で、眩い灯りに照らされる遊女たち。
暗い夜道を、提灯片手に歩く客たち。
そのふたつの世界を明確に切り分ける格子。
ただ悲しいだけではなく、ただ寂しいだけではなく、ただ切ないだけではない。
自分の力だけではどうにもならないその瞬間を、誇りをもって凛然と生きる女性たちの姿。それを、愛おしみと共感をもって描いたような。
私は、「吉原格子先之図」をそんな作品だと感じています。
先日「吉原格子先之図」を見てから久しぶりに『眩』をまた読み返して、この小説に出会えてよかった、と改めて実感できて嬉しかったです。
この小説を、そこに描かれているお栄のしなやかな生き方を心に携えていられることは、私にとって、とても幸運なことだなと思っています。
太田記念美術館での展覧会は、今月の26日までやっているそうなので、お近くの方はぜひ。
『吉原格子先之図』以外にも、たくさんの肉筆画を見ることができます。(他の作品についても、機会があれば別の記事で書けたらいいなと思っています)
併せて『眩』も読むと、絵という芸術の奥深さ、それを描いた人の想いの強さ、美しさに、きっと夢中になってしまうはず。
芸術の秋、読書の秋のおともにしていただけたら、とても嬉しいです。
最後になりましたが、この記事は、メディアパルさんの企画に参加させていただいています。「好き」を存分に語れる素敵な企画、ありがとうございます。
ご興味の湧いた方は、こちらもぜひ。