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あたりまえの、その先へ
「当たり前」という言葉の意味を調べると、わかりきった、言うまでもないこと、と書かれている。
現代社会は、常に価値観のアップデートを迫られるかのようで「当たり前」を見失う。
自分の中での当たり前を再定義し、軸を持って生きなければ、資本主義の奴隷だ。
当たり前は、輝きを増すか、消え行く。
「あたりのキッチン」というドラマを観た。
主人公は清美という女子大生。両親を早くに亡くし、コミュニケーションに苦手意識がある。
だが、清美は料理を通して社会とコミュニケーションを取るのだ。食事の目的は栄養を摂るため、当たり前の話だ。ただ、現代人が精神を崩す原因が「孤独感」からきているというのだから、今こそ観るべきドラマだった。
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ドラマにこんな話があった。
仕事で忙しい母親が、仕事の手を止め、子供と食事をするシーンだった。
「忙しいのにいいの?」と子供に聞かれた母親が
「自分の愛する子供に美味しい食事を、おな腹いっぱい食べさせるのだって、親の大切な仕事だから」
と言う。
私はこの台詞から、当たり前の再定義が起きた。
何の為に働いているのだっけ?
何の為に生きているのだっけ?
メジャーリーグで歴史を塗り替え続ける大谷翔平。とある番組でご両親がインタビューを受けていたのを思い出した。
「どのような教育法だったか?」と聞かれると
「とにかく毎晩家族揃ってご飯を食べていました。それくらいなんです」と…
わかりきった、言うまでもない
「当たり前」が大谷翔平を作った。
きっと愛情や人間関係にも「貯蓄」や「投資」のような資本主義的な側面がある。忙しいからと、おろそかにした家族との時間は、取り戻せない。愛情貯蓄の残高は0円。
一方で人格の土台が作られる子供時代に、夕食を家族と共にするという投資は、子供の心の成長を加速させる。子供の自己肯定感や感情の安定につながり、のちに何倍ものリターンを周りの人達に与えるだろう。
一人焼肉にファストフード、サクッと食欲さえ満たせれば良いじゃないか、と新しい価値観が街には吹いている。便利だと飛びつく前に、
今が当たり前になる、その先を見よう。
「今日、何があった」とか
「どんな気持ちになった」とか
身体と心の栄養を補給し、大切な人と食卓を囲む。
かつての「当たり前」は輝きを増しているように思えてならない。