見出し画像

第5回 心理学の闇🤷  【診断のギモン】  ー精神科医ってヤバくね?

😡 😡 先日「精神科医って、ガンバらなくていいといったり、〇〇したほうがいいといったり、矛盾したことばかり言ってるよね。CBTノートだって鬱からしたらノルマだよ?ほんと何なんだろ?」と聞かれた。🙄

このように「矛盾したこと」を言いまくるし、「たくさん本をだしているような有名なセンセなんだけど。口説かれたんだけど。。。どうしたらいいかな。」などと相談されたこともある。😱

精神科医の役割って何なんだろう。よくわからない。と。まあ、一般的には、「診断して、投薬などで治療すること」ではなかろうか。📕 

まあ、最近でも、いろいろと精神科のヤバくて犯罪的なニュースも飛び交う中 😱、今回は、その「診断」について考察しよう。


_________________________________________________________________________________

「診断」とは、その問題を「指し示すこと」である。つまり、簡単にいうと、問題は「それ」と断言することである。

そうすると、この問題は、直ちに前掲記事の「人間(の心)は規定できるのか?!」と近接問題であることは容易に理解できよう。🧐


_________________________________________________________________________________

1.「診断」の基礎となっている有名なものに、DSMやICDがある。😦

DSMやICDは、一般書としても書店で流布されているほどである。たとえば、「〇〇パーソナリティ障害」などの用語を聞いたことはないだろうか?

 

(1) DSMやICDとは、原因ではなく、その症状によってその問題を「診断」するものである。

ここで、皆さん、お気づきだろうか?!いま、<問題の症状によってその問題を診断する>と言ったが、<問題の症状によってその問題を診断する>ということは、問題を「症状」から「診断 (病名)」 に言い換えているだけなのである。

❌ このような言葉の言い換えは、さも問題を解読して説明したかのように錯覚させるだけで (これを読心術という。)、何も解決させていない。これが第一義的な闇である。


(2) しかも人間の心は複雑で、常に変化し、ひとつの症状を指し示す訳ではない。つまり、心は、複数のカテゴリーをまたいで変動してしまう。

❌ にもかかわらず、「診断」では、「あなたは⚪⚪です。」と言い切ってしまう。人間にはさまざまな側面があることが無視され、病名のラベルを貼り付けられる。これが第二の闇である。

このことは、前掲記事の「人間(の心)は規定できるのか?!」という問題と同義である。


(3) そもそも精神科医は「神」ではないので、その人の人生を担保できない、という問題がある。つまり、本来であれば「何も言えない」のである。

❌ところが、このようなガイドライン (基準) があることで、医療行為としての「投薬」の免罪符とすることができる。具体的には、民法 (644条) の善管注意義務による責任ラインを超えることができる。このことを逆に言えば、ガイドラインに沿っていれさえすれば、問題を治癒させずとも、何も責められることはないのである。これが第三の闇である。


_________________________________________________________________________________

2.伝統的な基本分類には「器質/機能」とがある。😦

伝統的に、障害を2分する基本コードに、器質/機能というものがある。つまり、基本的に、病状は「器質か?機能か?」で分けられる。

学者や医師によって定義が若干バラバラであるが (てか、すでにこれ自体問題なのであるが)、 ここでいう「器質」とは「物質的に問題がある場合」を意味する。一方の「機能」とは、「物質的には問題がないが、その機能に問題がある場合」を意味する。しかしながら、この伝統的な分類は適切ではない。

(1) まず、そもそも、あることを2分するには、相反する意味を持つコード (バイナリーコードという。) で示す必要がある。つまり、真っ二つに分けるということは、ひとつの基準で全く相反するものを指し示すこと、なのである。

❌ところが、この伝統理論では、そうはなっていない。つまり、伝統理論は「器質の反対が機能である」と主張する。ほとんど無茶苦茶である。二つに分けられてないどころか、何を言っているのか意味不明である。怖すぎて、狂気さえ感じる。🥶 ここに診断を不適切にせしめる問題がある。


(2) 伝統理論が使う「機能」という用語法も曖昧である。「機能」はその働きについての役立ちであるから、あらゆる対象に観察可能である。

❌ところが、伝統理論に従えば、「器質にも機能がある機能にも機能がある。」ということになる。これも、ほとんど何を言っているのか分からない。やはり狂気を感じる。🥶 この点からも、診断を不適切にせしめる問題が見て取れる。


(3) 百歩ゆずって、仮に問題を「器質と機能」に分けることができるとしよう。しかし、器質と機能には相互作用があるので、「ニワトリが先か、卵が先か」という問題がつきまとう。

つまり、「心に問題があるから体が動かないのか、体が動かないから心に問題があるのか」ということについて、説明できる人がほとんどいない。

現時点で、なお、この「再帰性」のダイナミズムを理解しているセンセがほとんどいない。


このように、器質/機能という基本的な基準からすでに失当しているのである。なかには、器質/非器質と分類している学者・医師もおり、これは適切である。


_________________________________________________________________________________


以上より、「診断」、とくに精神の「診断」って占いみたいな側面があります。いやはや、「こんなことオオマジメに言っている(いた)学会、怖すぎる集まりだね。」の巻でした。🥶


*1) 📘 拙著「神経マニピュレーション -クソ社会を生きるための技法-」2022年。https://www.amazon.co.jp/dp/B09YH77XB2/

以上。

Copyright © Kakeru Shimazaki, 2022. 無断転載の禁止。Unauthorized copy prohibited.






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?