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【散文】我慢と許容の狭間で

『これでも、いいところがある』
『楽しもう』
『これでいいのだ』

長いこと、
こんなメンタルで生きてきた。


だからこそ、
やれてこれたこと、
得たものは
たくさんある。

『自分はこういう
運命さだめだから』

時には、
そんな言葉も信じたりした。


ただ、魂は悲鳴をあげ、
適応障害になった。


『これでも、いいところがある』
『楽しもう』
『これでいいのだ』


悪くない言葉だ。

使うことで、
生まれる幸せがある。

しかし、
使いどころや使う程度を誤ると、
蓋をされすぎ、
壊れたり見失うものが
出てきてしまう。


難しいもの。
人による、
性格・感覚による、
時代にもよる、
生まれた環境にもよる、
きっと、
運にもよる。



適応障害を経て、
何が合わないのか、
本当は何が嫌かと
自分に尋ねてみたら、

『これでも、いいところがある』
『楽しもう』
『これでいいのだ』

そうして理由をつけてきたこと、
そのほとんどが、
自分にしっくりこないからだった。


本当の自分の欲しているものは、
もっと幼い頃に感じていたのに、
いつのまにか、
それとは真逆の渦に巻き込まれた。

本当の自分が悦ぶものは、
切ないくらいに感じているのに、
いつのまにか、
それとは程遠い場所で生きている。


『これでも、いいところがある』
『楽しもう』
『これでいいのだ』

と思ってきて良かったといえるのは、
今日、突然死ぬことになっても、
振り返ってみて
「この人生でまぁよかったかな」
と素直に言える人じゃないだろうか。


今、死んだら、
「自分が生きてきたのは、
いったい何だったんだろう」
としか思えない。

だから、今のわたしは、
今の境遇に
安易に妥協してはいけないのだ。









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貴重なお時間ありがとうございました!



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紫葉梢《Shiba-Kozue》
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