墓終い【風の時代の歩き方】
個人的には、もはやお墓に一生懸命こだわる時代ではないと思っている。
もちろん、祭祀を承継してご先祖様お守りすることは、自分が存在するルーツへの感謝でありとても大切なこと。
問題なく行うことができればいい。
けれど、時代の移り変わりとともに家族の住まう形も変わり、そうではなくなってきたのが現状である。
以前番組の特集で見たけれど、10体近くご先祖様が眠る遠方のお墓の管理に頭を抱えている方がおられた。
お寺に引き取っていただこうにも、一人につき200万近くだったか、とにかく供養にお金がかかってしまう。
それも工面できず、本当にお困りだった。
大切にする形を「お墓」というものにこだわる根拠は別にない。
言ってしまうと、ただの価値観、文化である。
と、そんなことを書こうと思っていた矢先に出会った記事。
細かい部分に違いはあれど、だいたい似たようなことをお考えの学者さんがいらして、大変に心強い。
“墓じまいブーム”の先に見える“墓なき時代” 宗教学者・島田裕巳氏「日本人は墓に囚われすぎている。本来、墓程度のことに悩む必要はない」
お墓の文化は明治時代から。
つまり、ざっくり200年前、形あるものに重きを置く土の時代が始まってから。
お墓というものにこだわらないスタイルは、形あるものからの離脱である。
まさに、今の風の時代らしい在り方。
何でも占星術に結びつけるつもりはないけど、星や宇宙の巡り合わせが作りあげる概念に見合った状況が生まれている。
だから、占星術は興味深いと思う。
*
父には家を買おうとする気概がなかった。
いただける僅かなお給料と、雨露が十二分に防げて子供のわたしが成長するのにまったく問題のない借家暮らし。
それに満足していた。
母の方は、家を持てないことに大きな不満を抱えていた。
若い頃、自分に家を建ててくれるという男性からプロポーズされたという話を何度もしながら、家が持てないなら墓くらい欲しいと常々言っていた。
それに、どちらも実家から離れて暮らしていたので、いわゆる先祖代々のお墓には入れない。
何にせよ、お墓を買うしかなかったのである。
気に入った場所で、自分たちのお墓くらい持てばいい。
わたしも大人になってからはそう思っていた。
13年前、父が亡くなった時にそれは実現した。
土の時代真っ只中の頃は、親の墓守がわたしの死ぬまでの義務だと思っていたし、両親もそれを当然のように考えていた。
けれど、昨年頃から考えが変わった。
今では、10年から15年後に父母の眠るお墓を終おうと決めている。
そこに自分は入るつもりはないし、父母のお墓を残したところで誰かの負担になり困らせるだけだから。
むしろ、わたしの手でどうにかしておくのが義務だと思うようになった。
上記の記事では、やがて無縁になるのだからむしろ墓終いにこだわらずとも、と読めるくだりがある。
そこに同調できれば楽かもしれないけど、できないのがわたしの責任感が強い所以。
うろ覚えだが、父母のお墓のある霊園に、個別のお墓をやめて共同の場所で供養をしていただけるようなシステムがあるのを聞いた気がする。
お墓の撤去には費用がかかってしまうのだろうけど。
いずれ確認しようと思っている。
お墓を大切にしないとご先祖様に呪われる、お墓を放置しているとご先祖様が夢枕に立つ、みたいな話がよくある。
今でも、スピ系の副業系の方々が、お墓参りをしてご先祖様を大切にしたら運がよくなります、と発信している。
それは嘘じゃないかもしれないし、ご先祖様への感謝は大切だけど、お墓参りがどうしてもできない人は、できないのだ。
同じようなスピ系の副業系でも、お墓参りできなくても空に向かって手をあわせて毎日感謝しましょう、という方の言葉をわたしは採用している。
これからは、自分に合わせてカスタマイズすればいい。
開放された自分の幸せのためにも。
~風の時代の性質のおさらい~
キーワードがあちこちに溢れかえているので、それを拾ってみました。
『形のないもの』
→情報、言葉、スピリチュアル
『価値観の多様化』
→働き方、恋愛・結婚・性・家族のスタイルの変化
『身軽さ、軽やか』
→移動、スピード、固定されない生き方、旅、所有からの解放
『変化』
→革新、柔軟性
『意識が世界を作る』
→言葉、内面重視、思考よりも感覚重視、スピリチュアル、波長
『人とのつながりや属性』
→コミュニケーション、自分の居場所作り
『個』の時代
→自分とは何か、オリジナリティ、女性の解放(特にアラフィフ以降の世代)
『二極化、差別化、格差』
→貧富の差、意識の差、リーダーとフォロワー
ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!