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午前2時のすあま

言霊だろうか。
あちこちで『魂です』、と名乗るようになったら、本当に魂のようにふわふわして、足が地に着かず何にもつかまることができない感じになってしまった、かもしれない。

そして、今は大きな喪失感にとらわれ虚無と化している。

特に、ここ数日。

最近何があったかといえば、
わたしにとっては大きな出来事が二つ。

一つは、今までのSNS上のお友達とお別れした。

わたしの方からみんなとお別れすると決めたので、どんな感情が生まれても自分で受け止めるしかない。

何人か、淋しいとのとメッセージをわたしに送ってくれた。
それがお世辞だとしても、
『 あなたがいなくなるのは淋しい 』
とはっきりとした言葉で言われると、
ありがたいなと思うし申し訳ないなと思う。

でも、お別れしなければ前に進めない。
わたしはそう固く決めて覚悟してお別れすることにしたので、もう戻ることはない。

戻る処のない不退転にしてまで、
わたしにはやりたいことがあるのだから仕方がないのだ。

でも、みんなと話して楽しかったことを思うと、淋しい気持ちは否めない。



もう一つのこと。

まあまあ楽しく見ていたドラマが終わってしまった。

でも、ドラマロスで虚無的になっているのではない。

最終回が、はっきりいって期待外れだった。

この脚本家は、こうなることが多い。
同じ書き手でも、最後まで泣きながら見たドラマもある。
でも、最終回直前まですごく盛り上がったのに、いざ最終回を迎えたら失速して期待外れとなったのは今回が初めてではない。

人間関係、人の感情を描くのは抜群かもしれないけれど、ミステリーや過去の謎解きを描くのはいまいちの方だと感じる。
隠された過去を設定しても結局それは生かされきれず、
震撼させてくれるような結末とならないのだ。

そうなると、勝手に裏切られた気持ちになる。

予想外の展開を楽しみにしていたのに。
日常生活では得られないような驚愕で心を動かして欲しかったのに。
こうなるのか!という衝撃を受けたかったのに。

……それなのに、みんながうまくいってハッピーな謎の大円団で終わってしまった。


そんな、変に現実的な組織の仕組みにとらわれたストーリーは要らない。
そんな、ありきたりな台詞は飽き飽きする。
結局これどうなったの??と疑問がもやもや残る結末なんて、消化不良なだけなのよ。

ドラマの冒頭からスポットライトを浴びていた『過去の秘密』。
それはある程度暴かれたけれど、それでも「………で?それから?」という疑念はぬぐえず、それを丸め込むような強引な恋愛&順風満帆ワークのパリピハッピーエンドで幕を下ろした。

たしかに、物語は暗然たる重苦しい気分が残るよりもハッピーエンドが好まれる。

でも、わたしは逆だ。
人生そんなにうまく行くはずないのに、作り物のあり得ないハッピーエンドの山は見ていて虚しくなる。
気持ちが入れ込むどころか、所詮ドラマよね…と冷めてしまう。

ドラマだから何でもあり、とするならば、
誤魔化されて終わったその謎解きを突き詰めて見せてほしかった。
ドラマだからこそ、フィクションだからこそ、スッキリする痛快なストーリーを見たかったの。
そこはおそらく、どうなるのかの想像力が書き手になかった、あるいは展開を思い付いても批判を恐れて書けなかったのか。


期待していた分、「あーあ、結局何だかなあ…」という気分で最終回を終えてしまった、そんなドラマだった。
「結局やっぱりこうなったか」という予測が残念にも当たってしまったという、微妙な想いもある。




こんなことを書きながら、
わたしは午前2時にすあまを食べる。

『 すあま 』がわからなければググってほしい。

お給金をいただいて、ささやかな自分のご褒美としてコンビニで買ったもの。

わたしはすあまが大好物なので、高いスウィーツなどではなくてもこれで満足できる。

そう、何もこだわりぬいた高級高尚なものでないといけないわけじゃなくて、納得できるものがほしかった。


自分が納得して満足できるもの。

そういうものに触れる機会が多い方がよいに決まっている。


お友達とのお別れは、淋しけれどいたし方ない。
ドラマは納得いかず、昇天できず虚しい。
お給金にはそれなりに満足している、でもそのためのお仕事というか働き方は不満しかない。
そして、すあまなら何でもいい。

ばらばらの分野に魂をふらつかせながら、
満たされて得られる『たのしい』『生きてる』という実感を求めてさまよっている。


ささやかながら叶えてれているのは、
午前2時に食べるすあまだけ。






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紫葉梢《Shiba-Kozue》
より良い日々の路銀にさせていただきます。いつかあなたにお還しします😌