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現代アートの基本姿勢

快晴の夏、瀬戸内海中部、日差しと潮風に満ちた離島に、かわいい学芸員がいた。
 
港に降りた私はサングラスを掛けていた。20分フェリーに揺られた髪の毛は既にパサパサで、肌はべとつき、首元は赤く焼けていた。ナイーヴになりつつ心地よくもあった。
 
旅の目的地は廃校した中学校、その校舎を活用したアートセンターだ。そこで出迎えてくれたのが、かわいい学芸員だった。ボーダーのシャツを着たおかっぱの女性で、素朴でありつつもコケティッシュな、サブカル青少年が好みそうな風貌をしていた。
 
彼女の案内でアートセンターを周った。所謂現代アートを扱った展示物の数々を丁寧に、気さくに説明してくれた。しかし現代アートに疎い私は「凄くお金がかかってる」位のことしか理解できなかった。情けない上に申し訳ない。一通り周った後、屋外のパラソルが並ぶテラスで、彼女はミントとレモンの入った冷水を振舞ってくれた。
 
「何か気に入った作品はありました?」
「はい、どれも素敵でした。なんだかこう、現代のアートを感じました」
 
まるで中身が無い返答をしてしまった。流石にこの心無さは失礼だと思ったので、直ぐ訂正した。
 
「あの、本当言うと、あんまり理解出来ず。すみません」
「いえいえ、正直私もよく分かってないので」
「多分、現代アートに向いてないんです。デュシャンの泉を観ても、便器だとしか思わないような人間なんで」
「その見方は、多分間違ってないと思いますよ。現代アートの基本姿勢は『芸術とは何か』という問いかけです。大事なのは観た人が『これは芸術か否か』を判断すること。そしてその先に『芸術とは何か』を内省させることにあります」
 
穏やかに、諭すわけでもなく、世間話のような語り口だった。
 
「後はそこに作家による創造的個性とメッセージをどう加えていくか、ですね。でも踏み込んでいった先にあるのは必ず『鑑賞者の内省』です。往々にして現代アートは作家の自己発露と思われがちですが、主役は一貫して鑑賞者なんです。鑑賞者を内省させるためにデュシャン以降の現代アーチストは手練手管を用い芸術作品を作り続けています。もし当館の作品に触れて内省が起こらなかったなら、それ等はあなたにとって芸術ではなかった、ということを証明したことになります。では、あなたを内省させるものは何でしょう。内省という言葉がぴんと来なかったら、『考える』とか『心を動かす』という言葉でもいいと思います。何があなたの心を動かすのか。そしてそれは何故あなたの心を動かすのか。そういった事を考える『きっかけ』が現代アートだと思います。かなり私見がはいっちゃいましたけど」
 
彼女はかわいく笑った。私は口を開く。
 
「今の話を聞いて思ったんですけど、多分私は作品に『お金の臭い』を嗅ぐと、それを芸術と思えないんだと思います。その臭いがどんなものか、詳しく説明することは出来ないんですけど…」
「それは良い発見ですね」
「あと、作品を観ながら、お金は大事って凄く考えてました」
「素敵な内省だと思います」
 
アートセンターを後にし、少し遠回りをして港に戻ることにした。舗装されてない道、錆付いたカーブミラー、蜘蛛の巣の張った映画館跡地、距離感も無く話しかけてくる島民。
子どもの頃、嫌で仕方がなかった故郷の風景に似ている。その景色がなんだか、とても愛おしく見えた。何故だろう。アートセンターで現代アートとやらに触れたからだろうか、彼女の言葉の影響だろうか。
 
港に着くと厳ついバイクに乗って煙草をふかす女性がいた。学芸員の彼女だった。これから本島に買い物にいくらしい。
「そういえば、言い忘れてたんですけど、サングラスお似合いですよね」
「日焼け止めに最適なんです」
「私も掛けようかなぁ」
彼女は海の向こうを見やり、思い耽った。つまるところ、このサングラスは彼女にとって現代アートということだろうか。何でもかんでもアートという風潮は好きではないが、今日一日はそういうものの考え方も悪くないかもしれない。そんな事を思って、サングラスを取ってみた。
海がとても綺麗に見えた。

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