見出し画像

あこがれ/愛

休日なのに早く目が覚めて、中途半端な体をしばらく放心に預けていた。ふと気を取り戻して鈍い白光を放つカーテンを開けると、そこにも定まり切らない鬱々とした空が顔を見せる。休日なのになぁ。そんなこんなで朝からまた魅了されてしまったアイナさんという歌手の曲を無限ループで流してはうとうと過ごしていた。ほんと、いい声なんだよねぇ。

歌声に感情が満たされていくと、今度は自らの手で自らを満たしたくなる。いわゆる羨望という奴だ、大人になっても今だふらつくアイデンティティを抱えた鹿田は、自身の心を奪ったものに憧れを超えたものを欲してしまう。実際、昨日はどうしたらハスキーボイスになれるのかと一日中考えていたからね。そうして飲酒に至ったその経緯はふざけ半分昨日の記事の括りにしたが、その半分、あれは本気なのだ。

鹿田です、よろしくね。

朝からnoteを書きだした経緯もせめて自分の自信を持てることをいますぐ行為したい、そういった単純なる埋め合わせなのだ。はじめに誤解なきよう説明すると普段は僕は文章を自信をもって書いている。自惚れては素敵な文章だと自画自賛しながら。それを文章的利己(文章エゴイズム)と自ら称しているが、しかしどう考えても叶わない才能を見せつけられたとき、僕のそれは跡形もなく粉砕されてしまうのだ。では抗う術はないのか、と己に問うた結論がこれで、文章を書く。書いて書いて磨くしかない。

僕の空に見える星は、今のところそれしかないのだから、1等星、否、太陽の如く光を放つまで磨き上げるしか方法はない。

と、嫉妬をモチベーションへと昇華させたところで本題は始まる。あ、本題は今から考えるのだけれどね。ただただだらだら永遠と文章を書きたいいつもの状態まで持ち上げただけだから、あとは自らのドーパミンが枯れ果てるまで楽しませてもらおうではないか。

ちょっとコーヒー作ってこよう。

僕は本音を言えば、純文学のような言葉一つ一つに徹底した、文章自体が芸術になるようなものを書きたいのだ。だがしかし悲しいかな、己の正体を暴くと典型的な能天気野郎であるので、そこに行きつく前に戯言が先だってしまう。脳の中の思考回路の中枢が陽気でできているから、深く考えることに致命的なデメリットを与える。例えば物語の主軸を考えるとして、どれだけ濃いテーマを生んだとしても、その派生部分は陽気成分でできているので、それが逆に語りたいテーマを食いつくしてしまう。ふざけた文章になってしまうのだ。実際今だって寝起きという状態で自己観察しながら書いてるからシリアスをなんとか保つことができているけれど、脳の活性した昼頃noteを書いたとしたら、鹿田節炸裂するに違いないからね、初夏だし。

となると僕のアイデンティティの中心は、やはり”陽気”と”夏”と”浅さ”でできている気がしてならないのだ。鹿田だけに。ほら、少し崩れてきたよ、本性が僕の喉の奥で藻掻いで、一番細くて器用な右手の小指でぼくののどちんこを引っ張っている。おえぇっ。

せめてシリアスで締めたいから、人から本末転倒と突っ込まれようとこれで唐突に終わる。

まだシリアスだろ?ね? ね?




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?