画像再生能力もちは、得なのか? 損なのか?|経験や知識がなくても信じよう。どの人にも素直に謝ろう。
「よっぽど自分に自信があるんだね?」
一瞬、わが耳を疑った。新しい職場の10歳年下の先輩にそう言われたからだ。
(自信もなにも、何回巻き戻して再生してみても、やっぱり、7000円は7000円なのだ)
わずか数分前に起きた出来事の《画像》を、繰り返し繰り返し見ては、再確認していた。
(そうか、そうなのか)
そこで、わが半生を思い返していた。
初めて、他の人との違いを認識したのは、小学校低学年のときだった。小学校が終わると、毎日、学童保育所に行っていたのだが、そこで、トランプの《神経衰弱》という遊びをしていたときである。
(なんで、みんな違うトランプをめくるのだろう?)
と、不思議に思っていた。神経衰弱とは、トランプのカードをすべて裏側にして並べて、2枚ずつめくっていく。同じ数字や英字が出れば、そのカードは自分の物になり、また新たなカードを2枚めくれる。2枚が違えば、裏側にして元に戻す。それを繰り返して、いちばん多くのカードを持っていた人が勝ちだ。
そのトランプ遊びで、負けたことがなかった。一度表にしたカードをすべて覚えているのはもちろんのこと、誰が何と何のカードをいつめくっただとか、そのゲームを最初から最後まで、完全に再現することさえできたからだ。
(どうやら、他の人は覚えられないらしい)
その能力は、テストのときにいちばん役立った。教科書やノートをほとんど画像で覚えているので、テスト中にその画像を頭から引っ張り出してきて読み返してみることさえあった。ある意味、合法的なカンニングである。
一方で
「気持ち悪い子」
と言われることもあった。何年何月何日に、どこで、だれが、何をしていたのか、鮮明に覚えていることを言うと、(特に大人に)薄気味悪がれたりしたので、あまりそういうことは言わない方がいいのかもしれないと思うようになった。
右脳ゲームが流行り始めると、全国大会にエントリーした。そのゲームは、縦横各々3列ずつの升目に1~9までの数字が描かれ、それがランダムに点滅するのを何桁まで覚えられるかというものだった。かなりの桁数まで覚えられて時間が掛かりすぎるので、途中でわざと失敗して、途中で意図的に離脱した。それでも、数百人から数千人中、5位以内に入った。
レジ業務を頼まれたときは、100人前後の金銭授受を巻き戻して、どの人がいくら出して、こちらがいくら返金したのか、画像ですべて確認することができた。そのため、最後に会計が合わないときは、再生画像を見て、あの人に100円玉でなく50円玉を返してしまったとか、1000円札を1枚多く渡してしまったとか、確認することができた。
そのため、自分がよくやりがちな金銭授受ミスの傾向がわかったし、最後に画像を巻き戻すのではなく、金銭授受後、即座に画像を巻き戻して確認したので、ミスを完全になくすことに成功した。
「自分に自信があるならいいけど」
10歳年下の先輩が再度言ってきた。
頭をフル回転させる。この人に、画像再生能力のことを言っても、信じてくれるだろうか。今まで、他の職場では、言っても言わなくても割りと理解してくれた。
「ああ、テレビでそういう人、 見たことある」
それは、今まで身近な人にそういう人がいたり、知識としてあったから、目の前の人(シイラ)もそういう能力があるんじゃないのかと思われて、すんなり受け入れてくれたからだ。
でも、10歳年下の先輩は、引き継ぎ中、なにかにつけてわたしを小バカにしたような言動が目立つ。果たして、彼女に画像再生能力の件を言っても信じてもらえるだろうか。
それに、加齢による衰えは絶対くる。画像再生能力があると大見得を切っておきながら、それが100%ではなくなったとき、自分で自分の首を絞めることにならないだろうか。
「合計金額が合わなかったのは、やはり、7000円ではなく、6000円だったのかもしれません」
「ほら! わたし、何回も言ったよね! それなのに、シイラさんは自分に自信があるみたいで、なかなか認めないから! ……でも、念のため、レジロールも確認してみるけどね」
結局、間違えていたのは、7000円の人ではなく、まったく別の人だった。
どうやら、わたしの画像再生能力は、まだ現役らしい。
ところで、10歳年下の先輩は「信じなくて悪かった」とか「強く言い過ぎた」とか、わたしに謝ることはついぞなかった。
✔人は、自分が知らないことや経験していないことは、なかなか受け入れられないし、理解しづらい。
✔人は、自分より能力や立場が《下》だと認識した人に、自分の間違いを認めて謝りづらい。
他人の言動を見て、わが身に生かしていこう。
✅自分が経験した範囲を超えて、理解しがたい現象が起こることもある。思い込みや先入観は危険だ。
✅年下だろうが年上だろうが、後輩や部下だろうが、自分が間違っていたときは、素直に謝ろう。信頼関係が結べなくなる。
10歳年下の先輩が、わたしを小バカにしなくなったり、自分が言い過ぎたと認めたとき、わたしも画像再生能力のことを言うだろう。
それは果たして、彼女がこの職場を去る前、つまり、初夏になる前には訪れるだろうか。
わたしも、彼女に理解されるように、少しずつ話してみよう。でも、こちらが彼女のドアをノックし続けても、あちらが頑なにドアに鍵をかけていたら、そのときはそっと去ろう。でないと、自分自身が壊れてしまうから。なにをどうしても、信じない、認めないという人は存在して、それをまともに相手にしていたら、こちらが倒れてしまうから、諦め時も肝心だ。
(注) 今回《フォトリーディング》という単語ではなく《画像再生能力》という単語を使ったのは、フォトリーディングが速読によく用いられる言葉らしいからです。わたしは、読書などが遅読です。テスト中に教科書の画像を再生して読むのも、遅かったです。
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