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言えないあの子と私が泣いた日


長女が不登校になって、およそ1年が経過した。
午前中だけ。中休みまで。1時間だけ。
はじめは、少しずつなら行けていた小学校。
今は、ほとんど行っていない。
たまに「先生に会いに行こうか?」と聞いてみて
「そうだね。そろそろ行こうかな」
と、彼女の口からその言葉が出たときに、少し面談に行くくらい。

私にとってはそれで充分だと思っていたし、今もそう思ってる。
でも、それで彼女の言葉を、気持ちを「汲み取った」気になっていたのかもしれない。
彼女の口から「本当の気持ち」があふれ出た今、私は自分と彼女のこれからを、改めて考えるための岐路に立っている。


2ヶ月待った児童精神科へ

「ぼくはなんで調子が悪いのかな」
「いつかは。学校に行きたいって思う」
「まずは。病院に行きたいな」

そう彼女がふとこぼしたのは、2か月前のこと。
学校に行けなくなって、でもたまに担任の先生との面談に行き初めていた時期だった。

そこから2ヶ月が経過し、昨日がついに診察の日だった。

「先生は、ぜったいにあなたとどんなことを話したとか、他の人には言わないよ。だから、自分が困っていることとか、本当の気持ちを話してごらん」

今の彼女にはちょっと、難しいことだろうな。そう思いながらも、私は事前に長女にそう伝えた。

「うーん、がんばってみるよ」

長女はそんなことを言っていた。

コメダで少しゆっくりした時間を過ごしながら、受診までの時間をつぶす。長女はチョコレートケーキを食べて、英気を養った。私は、むちゃくちゃ分厚いサンドイッチの卵を、ぼろぼろとこぼしながら食べた。
少し、ドキドキしながら。


明るく、とても清潔な待合室で、私は彼女にくっついていた。
長女は「まだ呼ばれないよね?」と言いながら、Switchを取り出してあつ森をしだす。
「はい、あなたは不安感が強いですか?はい、吐き気はどうですか?」
質問事項に答える必要があるので、私は横から彼女に質問項目を尋ねる。
「そうだねえ」「うーんそれはないな」
いろんな項目をみながら、彼女とチェックをしていく。

先の質問事項に目を通した彼女が

「『死にたいと思うことがありますか』」

口に出して、それを読んだ。あえて避けていた質問事項。その言葉にドキッとする。

「そんなこと思う人がいるの?」
と、彼女は無垢な響きをたずさえてそう聞いてきた。

「うん……そういう人もいる。思っていなくても、想像してしまう人もいる。困ってて、でも言えなくって、思いつめちゃったり。……だから……」

うまく言葉をつなぐことができない私に、彼女は
「そんなこと、思ったことないなあ」
と言った。

「そう。じゃあ、これは大丈夫ね……」

胸をなでおろしそう答えながら。
この場所で。ここの欄に、勇気を出してチェックする人のことをふと、想った。


はじめまして、シロ先生

先生は、白髪ですらっとした、お年を召した紳士な雰囲気の男性だった。長女は先生のことを「校長先生ってかんじ」と言った。
それを聞いていた先生は
「僕はね、校長先生じゃないんだけどね。少し前まで、病院の院長先生だったんだよ」
そう優しい声で応えた。
輝くような白髪が綺麗だったので、ここではシロ先生とする。

シロ先生は穏やかに、でも少し子どもっぽく笑いながら、長女の緊張をほぐす。
「長女ちゃん。素敵な名前なんだねえ」
「先生の名前はね……だよ。小さい頃はね、こんなあだ名でね……」
うふふ、と長女は笑った。安心している様子だった。

「はい。じゃあ、長女ちゃん。先生、聞いてみるよ。さて。学校は楽しい人?楽しくない人?」

シロ先生にそう言われた長女は
「楽しいよ」
そう即答した。

「ええ!ズコーッ!なあに、そうなのお?」

シロ先生はずっこけてみせた。思わず私もずっこけた。そうだったの?
いや、でも、そうだったよね。
あなたは友達も先生も授業も好きだった。

好きな授業は図工で、嫌いな授業は算数。長女はすぐに答える。
そうだった。そうだったね。

「でも、今は、行けないんだね?ほとんど。そうかあ。わかったぞお。お友達が……イヤなことを言った!そうでしょ?」
おどけた感じでシロ先生が尋ねると、少しの間があったあとに「違うよ」と彼女は言った。

「友達にそんなこと、言われないよ。まあ、前はあったかもしれないけど……うん、でも、それじゃあないよ」

「そうなんだね。じゃあ……どうしてだろう?他に理由がありそうだね」

長女は、答えなかった。

「じゃあ、また、あとで聞いてみるね?お母さんにお話を聞いてもいい?」

シロ先生はそこから、彼女の生まれた時からの様子を私に聞いた。出生体重や、母乳だったのか、夜泣きはどれくらいあったのか、人見知りはあったかどうか。
予約したときに言われた通りに母子手帳を用意してきていたけれど、それを読む必要もなかった。私は記憶をたどりながら、長女と過ごした日々を回顧した。

育てやすい子だった。あまりにも。
こうして不登校になった今でさえ、そう思う。
言ったことを守り、周りをよく見ていて、空気も読める。
彼女はあまりにも育てやすい。
でも、それは私があまりにも鈍感だったせいなのかもしれない。

「なにか、すごく気にしているとかありませんか?服のタグとか」
シロ先生にそう言われて、彼女を見ながら答える。

「ありますね。下着も服も、『コレ』と決めると絶対にそれしか着てくれなくて。今は、ユニクロの下着とパンツじゃないと無理ですし、洋服も試着して着心地がよくないとダメで。夏に水着を何度も試着したけど、結局どれも無理だったりとか……ね?」

私は長女の脇腹をつん、とした。だってえ、と彼女は笑った。
「なるほどね。じゃあ今日のこの服がお気に入りか。素敵じゃないの。ユニクロならね、お母さん、よかったでしょう!もっと高価なのだったら大変だ!」
彼は笑い飛ばしてくれた。

でも少し、感覚過敏の発達の特性もあるかもしれないね。
シロ先生はそのあと、そっと声を落として、私にそう伝えた。
でも、私自身、児童発達支援士の勉強をしながら「これは長女のことかもしれない」と思っていたことでもあったので、納得だった。

「次女も実は発達障害で。双子の弟も……」
私がそう言うと「そうか。そうなのね。お母さん、大変だよね。うん、うん」と頷いてくれた。

今日、ここに来た経緯を話したときも、
「本人の口から、病院に行きたいという言葉が出たので」と言うと
「そうか。お母さん、ちゃんと待っていてくれたんだねえ。よかったねえ」と長女に笑顔を見せていた。
私はこの部屋で、ずっと涙目だった。長女だけではなく、私のことも支えてくれる。シロ先生にはそんな安心感があった。


「…………そろそろ、学校に行きたくない理由って、言える?」
しばらくすると、シロ先生はそう尋ねる。長女はマスクを気にしてみせたり、視点を泳がせながら、何度目かのその質問に答えた。

小学2年生のときに、気持ち悪くなって、保健室に行ったこと。そのあと、保健室の先生が私に電話して、次女といっしょにお迎えにきてくれたこと。泣きながら保健室で待っていたこと。ランドセルをお友達が持ってきてくれたこと。
それがまた、起きたらいやだなって思っている。ということ。

「どうして、それがいやだったんだろう?」
シロ先生の言葉に、彼女は「恥ずかしいから」とこぼした。
確かにあった。ちょうど学校に行けなくなってきていたときのことだった。まず最初にその話が出るとは思わず、私は少し驚いた。

「そうだったんだね。心配なのか。でもね、言っていい?先生はね、ぜーんぜん、恥ずかしいことじゃないよって思うよ。でもそうか、心配なんだなあ」

でもさ。ぜーんぜん、大丈夫だよ。
シロ先生は言った。
長女は、うん、とだけ言った。


そこから。
友達の話。家でやっているゲームの話。
いろんな話をしたあとに、シロ先生は彼女にしっかりと向き直した。

「よおくわかったよ。長女ちゃんのこと。あなたはとっても我慢強い。そうだね?そして、SOSもうまく出せない。頑張り屋さんで、まじめな子だね」

長女は「SOSってなあに」と言った。

「『困ったよ~助けて~』って、誰かに言うことだよ」と、シロ先生は言った。私は隣で、何度も頷いた。彼女の心理を、すでに理解してくれたことに感謝しながら、涙をこらえて。

「これができないと、困ったことになっちゃうんだ。誰かに助けてっていうことはとっても大事。そうでないと、人は、生きていけないから。先生も院長先生やっていて、そこでは一番エライ先生だった。でも、いつも誰かに助けてもらっていたよ。困ったら、誰かに助けてもらうの。そうじゃないと、いつか倒れて、僕がいた病院なんかに、入院してしまうんだ」

シロ先生は長女の視点をとらえながら、いいかい?わかるかい?そう確認しながら、慎重に話を進めた。長女はまじめな話をするといつもそうするように、少し居心地悪そうにもじもじした。それでもシロ先生がじっと自分を見据えてくれるので、徐々にその眼鏡の奥の瞳を、真剣にのぞき込んでいった。

「先生と、大事な約束をしてほしい。まずは、自分が行きたいと思ったら、学校に行くこと。学校に行きたい。今なら行ける。あなたがそう思ったときに。そうじゃないと、ダメ。行ってはいけないよ。長女ちゃんが『行きたいな』と思わないといけないの。
そして、もうひとつ。『助けて』って言えるようになること。困ったな、いやだな。そう思ったら、そうだね、まずはママがいいかな?助けて、困ってるって、ちゃんと言うこと。少しずつね」

シロ先生は、皺と歴史が刻まれているその大きな手を差し出し、小指をあげた。

「次に会うときに、先生、確かめるよ。ちゃんとできるようになっているか、どうか。約束だからね」

長女は「うん」と笑って、その小さな小指を交わらせた。

その光景に、なんだか、涙が出た。
彼女の心をまっすぐに見据えてくれる大人がここにもいることに、深く感謝した。


我慢強いあの子の本音

「とってもいい先生だったね」
診察室にもどった私がそう言うと
「やっぱり校長先生ってかんじ」
と長女は言った。
彼女は自分の小学校の校長先生のことが好きだ。
つまり、すでに信頼できる大人と判断してくれたようだ。

「先生が言ってたみたいに、困ったり、なにかしてほしいということがあったら、ちゃんと言ってね。練習しようね」

私はそう言って、彼女の手を握った。
すると彼女は「ママ、じゃあ、ずっといっしょにいて?」と言った。
それはわりと、『いつもの感じ』に近かった。
普段から甘えん坊の彼女が「ママこっちにきて」「ここにいて~」「ママ、スキ~」と言ってすり寄る感じ。

「う、うん、そうね、」

そのためには仕事をアレしてコレして……と考えがよぎり、私は即答してあげられなかった。


「…………だってぼくは、ママと、ずっといっしょがいいの。ママじゃないとイヤ。ママじゃないと、ダメなんだよ…………」


途端に、長女は消え入りそうにそう言って、ポロポロと涙をこぼした。
はっとした。
彼女は最近、こんな風に泣いてもいなかった。
学校には行けないけれど、家では元気になって、ゲームをして、平日は仕事をしている夫とともに、元気に過ごしているものだと思っていた。
だから思い違いをしていた。



アホか。私は。


私は彼女を強く抱きしめた。
「わかったよ。ママ、今週に、ママの先輩と相談してくるからね。長女ちゃんといっしょにいられる時間を増やせるように言ってくる。でもね、すぐは無理かもしれない。今日もお願いして授業休んだけど、それを毎日って難しいかもしんない、今すぐは。
でも、来年には調整して、いっぱいいっしょにいられるようにする。そしたら、先生が言ってたみたいに、支援室に通うとか、いろんなこといっしょにできるかもしれないもんね」

これを伝えている脳内では「休職」の考えがよぎった。でももちろん、それでもかまわないと思った。

今彼女は、シロ先生との約束を守って、達成した。私にSOSをしっかりと出したのだ。それを今このタイミングで受け止めないでどうするのか。

「偉いね。もう、約束守ったね。ママに言えたね。ありがとね」

長女は手で涙を拭って言った。
「ママがいっしょなら、支援室に行ってもいいかもしんない。ちょっと、今度、見学行こうかな」
すぐにそうやって、私が求めそうなことを言うところが、あなたがまじめな証拠。まじめすぎるところ。
でも、それをやめろとも言わないよ。それが、あなたなんだから。



そのあと、次女のお迎えまで少し時間があったので寄ったケンタッキー。
「ママにあげる」と、ポテトを分けてくれた。

「パパのこと。イヤじゃないよ。大好きだよ。でもね、ママにしか言えないことがあるの。ママにここにいてほしいって、思うことがあるの」と、そこにはいないパパのことを気遣った。

あなたは本当にやさしいね。
だから、大変だよね。
ママ、ちゃんとあなたの話を聞けているかな。
きっと十分じゃ、なかったよね?ごめんね。
もっといっしょにいられるようにするからね。
これは、あなたとママの約束だからね。

窓の外では、通り雨が降っていた。
「帰り、濡れちゃうかな?」
そう言うと、私のパーカーのフードをかぶせて
「大丈夫。ちょっとくらい」
そう言って、彼女は笑った。
強い子だ。

分けてくれたポテトは、思っていたよりもずっとしょっぱかった。
おいしいね、と言いながら、ふたりで目を真っ赤にして笑った。


私と家族のこれから

育てやすい私の長女が、いつしか不登校になるなんて、誰も教えてはくれなかった。
当然だ。それは誰にもわからないことだから。
彼女の心を強くする必要があったのだろうか?
弟妹が多い彼女のことを、もっと気にしていたらよかった?

気にしても仕方ないはずの考えが、ときに私を苦しめる夜がある。

けれど、シロ先生は昨日、言ってくれた。
彼女の目を見つめて。


「先生はね、長女ちゃんみたいに、学校に行けない子とたくさん、1000人くらい会ってきたよ。みーんな、学校サボろうなんて考えてなかった。学校に行きたいけど、行けないんだ。すっごくまじめで、やさしい子しかいないんだよ。だから、あなたもとってもやさしいんだね」


長女のための言葉は、私の心にじんわりとしみこんだ。

シロ先生。
そうなんです。
そうなんです。
彼女はとってもいい子でやさしくてまじめで……
だから、行けないんです。
ありがとうございます。わかってくれて。


自分の子どもを温かく見つめてくれる大人が、家族以外にも存在する。
そのことを目の当たりにして、泣かされる夜もあるんだと、知った。


先はまだ見えていない。
でも、長女はすでに次の一歩を踏み出している。
そこに私が今度は応える番。もちろん、夫も協力してくれている。
だから大丈夫。


「ママのこと、もーっと、大好きになったよ」


長女は隣で布団に入り込みながら、そう言った。
「ママもだよ。大好き」

私はまだわかっていなかった。
家族には。言っても言っても足りない言葉があるんだね。
でも、だからこそもっと伝えよう。そう思うよ。


あなたのことが大好き。
これからもずっと。




#想像していなかった未来

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shiiimo|5児の母
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